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疑心暗鬼と泥沼ショコラ

疑心暗鬼と泥沼ショコラ


キャラ紹介

▼槻木(つきのき)涼(りょう)
 普通ラノベなら女性キャラにモテる立ち位置なのに、そんな現象が起きなかった『月は何も語らない』本編の主人公(笑) 貴重な突っ込み役として日夜奮闘している。密かに自分の突っ込みに自信を持っている。

▼暁(あかつき)夜鳥(ぬえ)
 こちらも主人公。白髪紅眼(アルビノ)の少女。幾らかの常識を備えている普通の子だが、実は 天然バースト。非常に弄り易い。今回は萌えキャラとなれるかどうかが存在意義。

▼黒木(くろき)彼方(かなた)
 旧姓・捺夜。夜鳥だけがこの苗字で彼女の事を呼んでいる。普通の女の子。但し日本刀を振る。割と万能なので話の流れ的に便利である。記憶力が凄まじく、どうでもいい事を訂正したりする事がある。両者にその気は無いが夜鳥と百合るかも知れない。

▼簓木(ささらき)鏡花(きょうか)
 任天堂の携帯ゲーム機的な性質を遺憾無く発揮するお方。ライフワークは槻木虐め。彼を虐める為なら三ヶ月前からの仕込みも厭わない。覚え難いが生徒会長ではなく副会長を努める完璧超人。だが一応欠点もある。

▼有馬(ありま)孝之(たかゆき)
 チョモランマ級馬鹿。賢い馬鹿。夜鳥が好きだが馬鹿過ぎて相手にされない馬鹿。開けっ広げにアピールするがリアクションが返って来ない馬鹿。寧ろアピールし過ぎて「アレはそういうものなんだな」だと思われている馬鹿。

▼長谷(はせ)誡(かい)
 新聞部員その一。『月は何も語らない』で色々あったが引き籠りにならずに社会復帰に成功。本編以降一皮剥けたのか、外面(そとづら)はにこやかだが心中の黒さを全く隠さない毒舌家へと昇華した。周囲では賛否両論である。爆発しないイケメンのリア充。

▼鮎河(あゆかわ)雪華(せつか)
 新聞部員その二。『月は何も語らない』で誡の更生の契機を作った女の子。思いやりのある非常にいい娘で、誡と付き合っているが今一つ恋人らしく出来ず悩んでいる。

▼乙野(おつの)鈴風(すずかぜ)
 新聞部員その三。敬われる事が決して無い、部員の心の拠り所となっている部長。たまに遣り過ぎてペンも剣も折る。基本的にイベント好きで、今回のバレンタインは勿論絶好のネタ。

▼森枝(しんし)汀(てい)
 新聞部員その四。シベリア暴走特急の様に走ってしまう鈴風のストッパーであるが、自身も特急列車になる時がある彼女の良きパートナー。本人達は明言していないが確実にやっている事は夫婦である。

▼楢沢(ならさわ)紀一(きいち)
 新聞部員その五。最近、新聞部の中のカップル率が一〇〇パーセントになってしまい、何だか居場所を失った様に感じているが、その心中を察せられ地味にフォローされている。そして余計に居た堪れない。多分出番無い。


 素直に原稿落としたって言えよ。
 違いますー、落としたんじゃありませんー。ゆとりを持たせただけですー。
 最低だなお前。



「明日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる冷たい反応、何たる蔑みの眼……有馬君へこみますよ……」
 突然押し掛けて来たと思ったら意味不明な事を喋くる知人・有馬孝之。正直言うと彼は平和的なまでにウザい。
 大体なんだ、大して仲のいい間柄でも無ければ、そもそもそういう関係になる様な事をした覚えは無いというのにこの馴れ馴れしさは。剰え人を変な綽名で呼んで、しかも元の名前よりも長い。
「ところで、その意味不明な呼び方止めてくれないかな。君しか使ってないし、僕としてはキャラ的に全く似合わない呼び名だと思ってるんだ。そして如何にも無理矢理定着させようとしているその安直な選択は何なんだ」
「え? 何言ってんだよりょーちん。俺以外皆、りょーちんの前じゃ呼ばないだけで、影ではこう呼んでるぜ?」
「何だそれ新手の虐めか?! 本人の前で使わない綽名ってただの陰口じゃないか! しかもそれを堂々と本人の前で言うのか君は!?」
「いやー、オレってばそういうの嫌いなもんでさ。――正直って、美徳だろ?」
「何だそれは決め台詞のつもりかそれとも僕の神経を逆撫でしたいだけなのかどっちにしろおちょくりに来たのか君は……!!」
「おいおい、一分前の事をもう忘れちまったのかよりょーちん、ドジッ子だなー」
 オーケー、解っている。キレたら負けだ。我慢するんだ僕。ここでこのまま馬鹿ジーニアスに主導権を握らせ続けたら不味い。一先ず、話の優先権を僕に持っていくんだ……。
「……だから、その呼び方は止めてくれと言ったじゃないか」
「えぇー、オレ結構気に入ってたんだけどなぁ、これ。じゃ、ちょっと待って。今別の考えるわ。元の涼より短くなった方がいいんだよな」
 ふむぅ、と彼は額に手を遣り、難しい顔をして僕の新しい綽名とやらを考え始めた。単純だ。流石馬鹿の代名詞。いい流れだ、この程度なら取り敢えず問題無く会話の切り返しは出来る範囲だろう。
 よし、と有馬孝之は手を打ち、自信満々に言った。
「呂君でどうだ?」
「もう別人だ馬鹿野郎!」
「え。そうか? オレ的には究極的に短く判り易い綽名に変わったと思うんだけど」
「人種ごと変わってもう三国武将みたいになってるじゃないか!!」
「一騎当千かよ……凄ぇじゃん呂君!」
「人を自然に中国人留学生みたいに呼ぶな! 本当にもう何しに来たんだ君は!」
 おっと、忘れるトコだった、と彼は指を鳴らした。
「バレンタインだよバレンタイン! 明日は女の子からチョコレートと愛情を貰う男にとっては命運の掛かった日だぜ呂君!」
「いいか、もう突っ込まないぞ。僕の名前を普通に呼べ」
「テイクツー? しょうがねぇなぁ、注文の多い親友はこれだから困る」
「勝手に人の信頼ランク上げないでくれるかな」
「いいや! 親友だね! そしてその親友ならオレはきっと簓木サンからオレにチョコを渡す算段をしてくれると信じている!!」
「おい待て最後に下心しか残ってないぞ!?」
「友心あれば下心ありって言うだろ?」
「言わないし元の諺の用法から間違ってる!」
「いいじゃんかー! オレも簓木サンからチョコ貰いたいんだよー! 知ってんだぞ、お前毎年簓木サンからチョコ貰ってるってオレ知ってんだぞー!」
「そんな話は僕が初耳だぞ?!」
 彼女には毎年チョコを貰うどころか、冥土の土産を渡され掛けてるというのに、何処をどうやったらそんな噂が出てくるんだ。大体、高校の中では僕と簓木はほぼ全くと言っていい程に関係性を持っていない。
「誤魔化すなよ……なぁ貰ってんだろ?! お前チョコ貰ってんだろ!?」
「泣くな寄るなしがみ付くな気持ち悪い! そこまで言うなら情報元を言え、誰からそんな話を聞いたんだ!!」
「あぁ?! 情報元だぁ?! んなもん言うまでもねぇだろうが、オレをおちょくってんのか呂君!」
「逆ギレ?! このタイミングで逆ギレ!?」
 ちょっと待ってくれ。誰か助けてくれ訳が解らないぞ。
 ――あ、それならぼくが知ってるよ、と会話の後ろで誰かが言った。助かった。捨てる神あれば拾う神あり。実際大して信じてもいない神に礼を言いながら救世主の顔を拝もうと振り向くと、
「情報元はぼく達の作った校内新聞だよ、涼君」
「って諸に当事者か畜生!!」
 よりによって新聞部員の長谷誡……! しかも有馬孝之と交友関係を持っている人間……!
「たまたまぼく達の新聞に載ってる話題の話が聞こえてたから立ち寄らせて貰ったよ涼君」
 あはは、と笑いながらいけしゃあしゃあと宣う。例の事件の時は人格崩壊起こし掛ける程に追い詰められた癖に、復帰したら以前は敵対していた僕に対してもあっさりと踏み込んでくる図太さを身に付けて帰ってきた彼。以来、何だか彼からは生理的に受け付けられない属性を感じる。いや、具体的には簓木属性なんだけどさ。
 っていうか、三つ離れた教室だろう君。
「バレンタインが近付いたからさ、部長がバレンタイン特集の記事でも作ろうって企画だったんだよね」
「来たなリア充……! カノジョ持ちだからって余裕ぶっこいて他人のバレンタイン事情なんて調べやがって、趣味悪ぃぞー! ぶーぶー!」
 頬を膨らませてブーイング。ガキかこの馬鹿。
「それより何だ、君誰かと付き合ってるのか」
「あ、うん。雪華――鮎河さんとお付き合いさせて貰ってるよ。ぼくは、彼女のお陰でまともになれた気がするからね。とても大切に想ってる」
「まぁー! 聞きました奥さん?! 恋人を呼び捨てですわよこのリア充様! ファミリーネームじゃなくてファーストネームですって!! とぉっても充実した学生生活をお送りになられてるアピールですわー!」
「君ちょっと黙れ」
 何か今僕の役目が奪われた気がする。
 長谷誡が続ける。
「話が逸れたから戻すけど、校内で一番有名な女子生徒である簓木鏡花さんのチョコレートを受け取る相手は誰かっていう記事を書こうって話になったんだよ」
「そこで僕の名前が出てきただって? 有り得ないね、君達の調査能力も随分と杜撰なんだな」
「いやいや、流石に君には劣るよ。何せぼくは一般人だからね。凡人は凡人らしい事しか出来ないんだよ、いやぁ、辛いね」
 い、嫌味を棒読みと皮肉を加えて返された……明らかにブラック化が進行してるぞ長谷誡……! というかこれ、本編知らない人意味解らないんじゃないか? いいのこういうネタ回し?
「まぁ兎に角、君達のせいで実害を被っている以上、その記事をすぐに訂正してほしいね、槻木涼が簓木鏡花からチョコを受け取っているなんていう噴飯ものの情報は事実無根だと」
「いや、それは無理だよ。情報元が正確だからね」
「はぁ? 僕本人が言ってるのに何で覆せないのさ。怪訝しいだろう、どういう事さ」
「だって簓木さん本人に訊いたから」
「これ嫌がらせだー! 絶対彼女の嫌がらせだー!」
 解くまでも無いよこの謎! 命懸けてもいいぐらい確実にこれ簓木の虐めだよ!!
「ほぅれ見ろ! そうやってお前は嘘に嘘を重ねるつもりかりょーち……呂君!」
「いやいいよもうそのネタ。もう勝手に呼んでいいよ」
 そんな事より問題は簓木がバレンタイン当日ではなく前日に仕掛けてきた事だ。彼女の性格上、絶対にこれだけでは終わらない筈だ。恐らくこの新聞騒動を僕が治めようと躍起になって動き始めた頃に、その一番テンパッてるタイミングに横合いから仕掛けてくるに違いない。
 何とか、何とか対策を立てなければ……


「そう言えば、明日ってバレンタインだよな」
 ファミレスのボックス席での俺の言葉に鏡花は、そうね、と答えた。
「お菓子業界の欲望陰謀渦巻く日ねぇ。街でもセールとか色々やってるわ」
 ご苦労な事ね、と鏡花は艶のある黒髪を手梳く。
「えー、でもあたしは好きだよこの雰囲気? 街で小学生の女の子が一生懸命手作りチョコの材料を見てたりさ、微笑ましくて心がほんわかするし」
 メロンソーダを飲みながら言う捺夜に、鏡花が微笑いながら応えた。
「いえ別に私もバレンタインが嫌いな訳じゃないわよ? 一応、生徒会の皆にはチョコを渡したりしているし――まぁ、それで? ヌエはどうしたのかしら?」
「いや……思ったんだが、バレンタインって普通女から男にチョコ渡す日だよな」
 うん、と捺夜が言う。
「聖バレンタインは日本じゃ女性が意中の男性にチョコを渡すのが慣習化してるけど、本当は別に親愛の情を持っている相手になら誰でもいいんだよ。聖職者だったウァレンティヌスさんが殉教した日だから、って言うのが有名な話だよね」
「まぁ、愛を誓う日だけどアル・カポネが『血のバレンタイン』を起こしたり、アフガニスタンの政治家が群衆に撲殺された日でもあるわね」
「鏡花ちゃん……何でそういうの知ってるの」
 急な血腥い話に、捺夜が苦そうな顔をする。
「たまたま覚えてただけよ、特に意味は無いわ。あぁ、また話が逸れたわね、ごめんなさいヌエ」
「いや、別に構わないが……俺さ、バレンタインにチョコ渡した事って無いんだよな」
「あれ? そうだっけ? あたしと毎年交換してなかったっけ?」
「捺夜は特別だよ。先刻、親愛の情のある相手に渡すって言ったろ? 捺夜は俺の大切な友達だから、それはまた別カウント」
「ヌエ……嬉しい――けど、真顔でその台詞はちょっと恥ずかしいよ……」
「…………」
「はいはーい、私は貰ってないわよー。そこで顔を真っ赤にしてるヌエさーん」
「っ! お前は俺と一緒で高校の女の子達に毎年いっぱい貰ってるからいいだろ!」
 鏡花のおちょくりに向きになって怒鳴ると、捺夜が流れを取り戻そうと言った。
「えっと、それが話の元?」
「あ、うん。貰った分はきっちりホワイト・デイにお返ししてるんだが、やっぱりバレンタインにも、ちゃんと渡した方がいいのかな、って……その、何と言うか……女の子らしく……って奴で」
 言った途端、がたっ、と急に捺夜が椅子を思い切り引かせ口元を押さえ、身体を震わせ始めた。
「えっ、何だ? な、何だ捺夜どうしたんだ急に?」
「可愛い……」
「は?」
「今のヌエ物凄く可愛かった……久し振りに女の子らしいヌエを見れてちょっとツボに入っちゃって……」
「萌えねー、これがカナちゃんの萌えなのねー」
 ……一体何を言っているのかさっぱり解らない。
「だって鏡花ちゃん今の見た?! はにかむヌエだよ?! 恥ずかしそうに目を逸らしながら声小さくしながら喋ってるんだよ!? 可愛い過ぎるでしょ!」
「言いたい事はとても解るわよ? でも、とある事情でそれが十分に伝わっていない可能性が危惧されてるのよね」
「何の話?」
「気にしないで、ただのメタ発言だから。自虐ネタよ」
 状況が俺にも解る様に誰か説明してくれ。全く理解出来ない。怪訝にしている俺に気付いている癖に、鏡花は無視して話を続けた。
「つまるところ、ヌエはチョコを渡したいと思っている相手が居るって事ね」
「誰? 晨夜さん?」
「何であの探偵に渡さないといけないんだ……」
 そもそもアイツ、そう言う事しても殆ど関心も興味も示さないだろうに。
「あら、探偵さんぐらいのレベルの相手には渡しても全然いいと思うわよ?」
「そういうお前は渡さないだろ」
「今年の私はちゃんと本命が居るのよ」
「本命? 誰だよ胡散臭いな」
「秘密よ、教えちゃったら色々つまらないじゃない? それに、その為の仕込みももう全部終わらせてるしね」
「随分準備がいいな」
「というか、ヌエが遅いんだよ。せめて三日前ぐらいから材料とか何をするか決めておかないとバタバタしちゃうもん」
 だからバレンタイン初心者の俺はそんな事知らない。
 そんな事よりさ、と捺夜が身を乗り出して訊いてくる。
「誰に渡すの? そんな風に急に思い立ったって事は出会いがあったの? ねぇ、どんな人に渡すの?」
「……言わない」
「何でー!? 気になるのにー、親友にぐらい教えてよぉ」
 その親友にだからこそ言いたくないという事もある。というよりも、捺夜の場合絶対に首を突っ込んでくるから教えたくないだけだが。
「まぁ、渡したい相手が居るのなら私は渡してもいいと思うわよ。そもそもそんな風に悩んだりするキャラでもないでしょう、貴方?」
「それはそうだが……」
 だが……何かこう……俺がそういう事するのが、自分の事の癖に不自然に思ってしまって、物凄く恥ずかしい事をしているのではないかと思ってしまう。
「そうだ。そんな事よりもっと大前提の問題があるよ、ヌエ」
「え、何だ?」
「その口振りだと何も準備してないでしょ?」
「…………」
「この後は都市側にお買い物ね」
「違うんだ。準備はしておかないいけないと考えてはいたんだ。何かずっと悶々と悩んでいる内に前日になってしまっただけで、忘れてた訳ではなくて」
「いや、まぁ準備してないのは事実だし」
「……ごめんなさい」


「今日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる既視感、何たる天丼……有馬君へこみますよ……」
「煩い。別にバレンタインだからって僕は何もする気は無いし、君に付き合ってやる義理も無い」
「何だよクールぶって。年下好きのむっつりの癖に」
「……人の趣味に口出ししないでくれるかな」
「お、突っ込みに切れが無いぞりょーちん。どうしたんだよ?」
 切れも糞もあったものか。今日の僕は最大限に警戒心のアンテナを張っておかなければいけないのだから、彼に付き合って愚かな振る舞いをしている余裕など無い。隙を見せて何かを見落とせば、それで一巻の終わりだ。そのままずるずると簓木の術中に嵌ってしまうに違いない。
「まさか周知の事実とは言え、年下属性をりょーちんが否定しないとは……調子でも悪いのか? 気持ち悪いぞお前」
 そう、だから目の前で如何に突っ込みたい事を馬鹿に喚かれたとしても、それに反応したら負けだ。それこそが、有馬孝之がここに来て僕の日常を引っ掻き回す事自体が、簓木の仕掛けた罠かも知れないからだ。
「何だ何だ、スルースキル発動中っすか。酷ぇわぁー、流石にりょーちんそれは無いわー……オレそこまで悪い事してねぇのになぁ」
 っていうか超突っ込みてぇ……。
 これは最早職業病だろう。仕方無い事ではある。突っ込み不在の空間が如何にカオスになるかは、その場に居る普段はボケ役の人間の中から自然に突っ込み役が選抜される様に自然の摂理と証明されているも同然の事なのだから。故に初めから突っ込み側に居る僕が目の前のボケを流して見過ごす事は、かなりの痛手で心苦しい事ではあるが、それをしてしまえば自ら危険に飛び込む可能性がある事の方が看過出来ない。
 だから、僕は今日絶対に突っ込みを入れない……!!
「それよりも、バレンタイン当日の君の目的は僕じゃなくて、暁夜鳥の方じゃないのかい?」
 どうだ……! 突っ込み無しの会話の繋ぎにだけ徹したこの返し……!! 恐らくは内容的にも大体合っているだろう、この方向性で進めば有馬孝之は僕の前から居なくなる筈っていうかもうどっか行ってくれこの野郎おぉぉ!
「あ、無理無理。朝、愛してるからチョコくれ、って言ったらバックドロップされた」
 あははは、と世間話の様に非常識な事を言いやがる……! 乗るな、絶対に乗るな僕! それで終わりだ、簓木に嵌められるに違いない!
「っていうか、ヌエはあげる側じゃなくて貰う側だぜー? 見た目と中身のお陰で随分と年下の女の子に人気出てっからなぁ」
 怪訝しい! 常識的に考えて何もかも怪訝しい!! 何かもう僕の存在自体が場違いの様に思えてきた!
「そうでも無いみたいだよ」
 不意に、後ろの席からの声。
「お、長谷じゃん。いつから居たんだよ」
「いやいや、ぼくの事は気にしないで」
 微笑みを崩さない厄介な奴が来た……明らかに先刻まで居なかった筈なのに、というか前も言ったけど別のクラスだろ君……! 何でわざわざ来たんだ。糞っ、面倒事を増やされた……!
「そ、それよりどういう事かな長谷誡? 暁夜鳥についての事だよね?」
「あぁ、うん。そうなんだ。昨日、暁さんが手作りチョコレートの材料とラッピング用と思われる包装材を買ったらしいって話が出てきたんだ」
「何ぃ!? 今朝のヌエはオレに何も言ってくれなかったぞ!」
「いや、それは有馬君が馬鹿だからでしょ」
「ふぐぅっ……! 何たる事……オレはヌエに義理チョコすら貰った事が無いというのに……一体どういう事だ!?」
「それでさ、誰に渡すのか、って話題を新聞部で調べてみたんだ、突貫だけどね」
「あれぇっ?! オレのリアクション無視っすか長谷さん!?」
「そしたら一つの結論に至ったんだよね。今まで誰にも渡していなかったのなら、最近知り合った男性に渡す可能性が一番高いんじゃないか、って」
 ……こっち見んな。
 胡散臭い笑顔で微笑ったままこっちを見るな。その意味深なフラグ立ての様な発言を止めろ。僕は今突っ込みを自粛して隙を作らない様にしているんだ。そんな虚実定まらない話に振り回されてる余裕なんか無いんだ。
「ねぇ、涼君はどう思うかな?」
「さ、さぁね……僕は彼女とは余り親しくはないから」
 こいつ……明らかに僕を何かに巻き込もうとしている。そんな事は有り得ないという事は、以前の事件に関わった人間なら知っている癖に、よくもそんな見え透いた嘘の情報を流せたものだ。
「あはは、それもそうだね。それに君には簓木さんが居るもんね」
「……それは、誤解だと、昨日散々言っただろう」
「おぉう……オレが完全に空気……」
 君はKYスキルがある限り絶対にそんな事にならないから安心しろ。
「そっかそっか。それじゃ、お邪魔したね。ぼくはそろそろ戻るよ」
 長谷誡は席を立ち上がると、片手に紙袋を持っていた。そしてその中には、リボンの付いた色取り取りの箱が沢山。あー……あれって、もしかしなくても。
「お、お、お前……! それはもしや……!」
 まぁ、有馬孝之の反応は当然そうなるか。
「あ、これは副部長とか部長に渡して下さいっていう、新聞部へのチョコレートだよ」
「そ、そっか。ならいいや。いやー、個人で袋一杯貰えるとか都市伝説だよなー」
「あ、ぼくの分も入ってるよ」
「お前爆発しろやリア充ッ!!」


「そういう訳でヌエちゃん誰にチョコ渡すか教えて!」
「嫌ですよ……いきなり何なんですか乙野さん」
 訊きたい事があるから新聞部の部室に来てくれって言うから来たのに、こんな無茶振りする為だけにわざわざ呼んだのかこの人。
「ふふふ、誤魔化そうとしたって無駄よ、調べは付いてるのよヌエちゃん……ここに居るアユちゃんが昨日バレンタイン用のチョコの材料を買っているのを目撃しているのよ! 自分のカレシの長谷君に渡す為のチョコのラッピング材を買いに行ってね! 長谷君羨ましいわこん畜生!!」
「ちょ、ちょっと部長一言多いですよっ」
 顔を赤くしながら鮎河がわたわたと言う。相変わらず振り回されてるんだなぁ……。
「あれから長谷と付き合う事になったんだな鮎河。……ごめんな、長谷の事は」
「あ、いえ。いいんです。暁さんの立場だったら仕方の無い事ですし、それにあんな事がずっと続くよりも、あんな風に一度絶ち切れた方が誡君も自分を取り戻すのが簡単だった筈ですから……」
 普通なら一番俺を恨んでもいい筈なのに、赦してくれるのか。
「……鮎河は優しいな」
「い、いいえっ! そ、そんな、わたしは別に何も……」
 顔を赤らめて俯いてしまった鮎河に、乙野さんが後ろから抱き付きながら俺に言った。
「おーおー、ヌエちゃんも中々のタラシですなぁ。でもアユちゃんはやらんぜー? アユちゃんはアタシのものだからやらんぜー? 今年のバレンタインの本命はアタシはアユちゃんって決めてたからやらんぜー?」
「ぶ、部長には副部長が居るじゃないですか!」
「ありゃ本命チョコじゃないわよ、馴染チョコよ。森枝だって毎年ホワイト・デイにきっちり同じ様な感じで返してくるしね。殆どただの習慣よー」
 ……で、俺は何で呼ばれたんだろう。遠回しな惚気を聞かされに来たんだろうか。
「だから正真正銘アタシの本命はアユちゃんよ、ホワイト・デイにはアユちゃん自身がプレゼントとかだと嬉しいわー」
「ちょ、ちょっと部長、変なトコ触らないで下さい!」
 何か勝手に楽しそうにしてるし帰ってもいいのかな……と、ぼんやり思い始めると部室に森枝さんが入ってきた。
「何してるんだ鈴風……またセクハラか。いい加減にしないと真面目に訴えられるぞ」
「アユちゃんはそんな事しないわよー」
「長谷がやるぞ」
「そ、それはそうね……もうアユちゃんには恋人が居るからちょっと自重しないとね」
 事件以来、長谷もどうやら少し変わったらしい。乙野さんの長谷に対する反応が前とは違うものになっている。というか怯えている。それなりに上手くやれている様なら、それはそれで安心する。乙野さんは相変わらず敬われていないみたいだが。
「今日は、暁さん。バレンタインの事で鈴風に呼ばれたのか?」
「あ、はい。まぁー、そうですね」
 正確には騙されたというのが近いんだが。
「悪いね、本当はプライベートな事だから首を突っ込むのは良くない事なんだが、思ったよりも暁さんのチョコを気にする人間が多くてね……どうにも皆抑えが効かない」
 じろり、と森枝さんは乙野さんを睨み付けるが、肝心の乙野さんは何処吹く風という態度で言う。
「ヌエちゃんは山瀬高校で一二を争う有名人なのよ、気にしない人間が怪訝しいわ!」
「別に無理に答えなくてもいいからな。俺は割とどうでもいいから」
「ちょっとアンタ副部長でしょう!? 部に貢献しなさいよ!」
「お前の趣味に貢献はしない」
「そんな事言ってると、折角アンタに用意してあげたチョコ渡さないわよー……情けない思いをさせない様にと用意してあげたアタシの愛の手を、アンタは突っぱねられるかしら?」
 何処からともなく取り出したチョコ(多分、渡す為にずっと用意しておいたのだろう)を、自信満々に見せ付ける乙野さん。何か間違っている。
「別にいいぞ」
「えぅ?」
 予想外の一言だったんだろう。きょとんとした顔で瞠目している。
「無理して用意したのなら逆に悪いしな、他の奴に渡せばいい」
「え? えぇぇ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「そもそも俺は愛情表現としてのバレンタイン・デイは尊重するが、ただの乱痴気騒ぎのイベントとしては興味無いからな」
「ちょ、待って」
 淡々と事務的に話す森枝さん。気のせいか乙野さん涙目になってきているが、いいのかな……。
「まぁ、暁さんもアレだ。鈴風になんかは付き合わずに戻っていいと思うぞ、鮎河もまだ鈴風に付き合って長谷に渡してないんだろう? 行ってくるといい」
「つ、つべこべ言わんと受け取らんかい!!」
 投げ付けたよ。
 追い詰められた勢い余ってか、節分の炒り豆宜しく力の限り投げられたチョコは綺麗に森枝さんの顔面に入った。
「女の子が渡すと言ってるチョコはぐだぐだ言わずに受け取りなさい! それが男子の努めよ!」
 顔真っ赤にしながら肩震わせて涙ぐみながら言われても全然説得力無いです乙野さん。
「……毎年毎年、普通に渡す事は出来ないのかお前は」
「煩いバーカ! 理屈捏ねるアンタが悪いのよバーカ!」
 仲いいなぁ……。
 そのまま普段通りに口喧嘩を始めた二人を、呆れているのか感心しているのか最早よく判らない心中で眺める俺の隣で、鮎河が可笑しそうに笑っていた。
「去年もあぁだったんですよ、素直じゃないというか解り合っているというか……羨ましいですよね」
「いや、まぁお前だって長谷が居るだろ?」
「そう……なんですけど」
 急にしゅんとしてしまう鮎河。
「え、まさか上手くいってないって訳じゃないだろ?」
「いえ……違うんです、その――誡君はモテるんです!!」
 わっと、顔を押さえて声を上げる鮎河。
 えぇー……俺にそういう話しないでくれ……。
「きっとわたしなんかよりもいい子はもっと居る筈だって思っちゃって……わたし特に何か取り得がある訳じゃないのに誡君と付き合い始めちゃって、しかも前と変わった事が特にある訳じゃないから不安になってきちゃって……」
 いや無理だって。
 俺にこの手の話題振るのが間違ってるって。
 何か変な汗出てきた……誰か助けてくれ。というか肝心の長谷は鮎河を思い詰めさせて何やってるんだ。幾ら何でも鈍過ぎるだろう、自分の事を好きだと言ってくれる奴が居るのに、剰え付き合ってるのに、この様は何なんだ。つまるところ俺を巻き込むな。
「えっ、えぇっとな、そのな鮎河。長谷もきっと鮎河の事を好きになったから付き合い始めた訳だからな? べ、別にそういう事は、ただ気にし過ぎって奴かも知れなくてだな」
 ……し、しどろもどろにしか話せない。
 おろおろする以外にこの場で俺に何が出来るんだよ!
「――そんな事無いよ雪華」
「うわぁ?! お前何処から出てきたんだ長谷!?」
「今日は、暁さん。気にしないで、今丁度来ただけだから」
 こいつ、こんなに心臓に悪い奴だったっけ……?
「ぼくは君のお陰で立ち直れたんだから、命の恩人みたいなものだよ。それ以上に大切な人なんてぼくには居ないよ。だから今日は、僕は君のチョコが欲しいんだ」
「誡君……」
 ……何だろう、いいシーンなのだろうかコレ。非常に気持ち悪く感じるのは何でだ。長谷の胡散臭さが為せる業なのか、それとも俺が変なのかな……。
 取り敢えず、何かもうこの部室居辛いから静かに出て行こう。
 教室に戻ろうと部室を出ると、ばったりと楢沢と出会った。疲れている俺の顔を見て部室の中で起こっている事が解ったのか、不思議と悟った様な顔で無言で肩に手を置かれた。
 そして楢沢はそのまま何も言わずに部室に入っていった。
 ……来年は、楢沢にチョコを用意してあげよう。


 放課後、僕は即行で家路に着いた。
 最早簓木のテリトリーである高校の中から一刻も早く脱出し、自宅で平穏なコーヒーブレイクをしたくて堪らない。今の今まで何も仕掛けられなかったのだから、残る可能性は下校のタイミングだろう。帰路の最中ですら通りすがる他人全員に気を張りながら、そして普段とは違うルートを選択して帰る事をしなければならないだろう。
 出来るだけ人目に付かない道で、それでいて最短で帰れるルート。自宅マンションにさえ入ってしまえば、それで僕の安全は保障される。あと一歩の努力だ槻木涼。
 あの犬の散歩をしている女性だって、もしかしたら簓木の仕掛け人でいきなり僕に爆竹チョコみたないものを渡してくる事さえ考えれる。思考の飛躍の憂慮は確かにあるけれども、簓木相手だったらこれぐらいで丁度いいぐらいだろう。
 歩いていたら頭上から業務用の岩石みたいなチョコが降ってくる事も考えられるから、高い建物の近くを歩くのもアウトだ。もしも僕の奇行と事情を知っている人が居たら、それは考え過ぎだと思うだろう。
 違う。
 それは否だ。
 絶対に否だ。
 日常に罠を絡めてくる事など、あの女からすれば容易な事で、それを回避する為ならばどんな些細な事すらも疑って掛からなければ生き残れない。
 それが僕が彼女と数年上付き合っている僕が下した結論であり真理だ。
 今だって塀の上を歩いている黒猫が居る。見ろ、あの特徴的なガーネットの付いた首輪。あれだって簓木が数年前に思い付いた企みの為に、数年掛けて仕込みに仕込んだ躾のされている猫かも知れない。そして突然僕に襲い掛かってきても、今のこの状況ならなんら不思議じゃない。
 暫く僕は黒猫から距離を取りつつ、大回りをする様に道をゆっくりと歩いた。厳戒態勢だ。何か来そうになったら能力(ベクター)を使う事すら僕は厭わない。
 黒猫は怪訝そうな(そう見えただけだが。猫に表情がある訳は無い)顔をして、何処かに歩いていった。
「ふぅ……」
 思わず嘆息する。
 もう家は目前だ。あと少しなんだ。
 ――と、そこでちらりと視界に白いものが掠めた。
「っ!?」
 反射的に〝全能の個(ペルソナ)〟を使って謎の物体を『固定』する。その正体を落ち着いて見て見ると、それは雪だった。
「糞っ……! ここに来て新しい要素か……!?」
 状況が変わった。雪が降ってくるという事すらも、天気予報から計算された罠に織り込み済みの事かも知れない。形振り構う段階じゃない、雪が影響を及ぼす程に積もってくる前に家に辿り着かなければ……!
 積もってしまって、風景に白い雪にカモフラージュを施してしまったら完全にアウトだ。そうなってしまえば僕に罠の在り処を知る事は出来なくなる!
 僕は走り出し、マンションのエントランスに飛び込んですぐさまエレベーターに乗り込んだ。誰も来ない事を祈りつつ、階数ボタンを押して自宅への距離を縮める事に一心不乱になる。
 何事も無くエレベーターは動き出し、そしてそのまま目的の階で止まる。エレベーターを降りて自宅の方へと駆け出し、ドアの前に滑り込む。
 そしてそのまま数秒待機。
 ……何も無い。
 起こらない。
「あぁ……勝った」
 僕は彼女の罠に勝った……狂気に囚われんばかりの注意を周囲に放ちながら、苦節の末の勝利だ。あとは、自宅の鍵を開けて、家に入ればそこは温かい独り暮らしの部屋……
「あ、お帰りなさい槻木君。遅かったわね」
 膝から絶望と共に崩れ落ちた。
「あらどうしたのかしら? そんな暗い顔をして? 今日はめでたいバレンタイン・デイよ?」
「どうやって侵入った!? 僕の家にどうやって侵入った!!」
「それは勿論、槻木君が体育の時間に鞄に鍵を入れっ放しにしている時に合鍵を作ったからよ」
「何でもありか君は! 大体何なんだ、あの新聞部へのインタビューは!」
「何ってどういう意味かしら? 私は嘘を吐くのは嫌いなのよ? だからあれは本心から出た槻木君への愛情の表れよ」
「嘘だ! 絶対に僕への嫌がらせだ!!」
「好きな子を、いぢめたくなる心理って、女の子にでもあるのよね……」
「巫山戯るな簓木!! 今日だって僕は、君が高校で何を仕掛けているか解らなかったが、こうして僕の家に居るところを見ると、結末を見る為だったんだろう!?」
「あ、惜しいわ。最後だけ合ってる」
「何ィ?!」
「正確には槻木君が疑心暗鬼に陥っている様子を今日一日中ライブ中継して、私は槻木君の家で大爆笑してたの。不思議に思わなかったかしら? 前日にあんな風に私と槻木君の関係が噂になっていたのに、当日に誰も何も言いに来なかった事を?」
 そう言えば確かに有馬孝之も何も言ってこなかったし、新聞部の長谷誡も特に何も言ってこなかった……。
「私からのバレンタインのプレゼントはスリリングな一日よ、楽しんでもらえたかしら」
 ぷふー、と吹き出しながら簓木は言う。
「録画もしてあるから、槻木君の失態プレーはずっと楽しめるわよー? あ、今から一緒に観ましょうよ。そうそう、あの、特に最後の滑り込み帰宅は、さ、最高だった、わ――あぁ、ごめんなさいもう無理だわ!」
 ぶっふ、と堪えていた笑いを彼女は最後に爆発させた。


 雪が降ってきた。
 曇天だというのに、同じ条件の雨とは違って雪だと何故か嫌にはならない。寧ろ物珍しいからか、気分は高揚してきて、柄にも無くはしゃぎたくすらある。
「あ、ヌエ。高校の帰り? バレンタインお疲れー」
「うん、まぁ毎年の事だけど、荷物一杯になっちゃうからな」
 何とも無く、いつもの様に俺は黒木探偵事務所に訪れていた。玄関で服に付いた雪を落として、貰ったチョコの紙袋を置く。
「おぉ、今年も大量だね」
「何か貰い過ぎて悪い気もするぐらいだよ」
「こういうのは皆好きで渡してるんだよ」
 あはは、と笑いながら捺夜は台所に立つ。バレンタインだからか、ココアの準備をしてくれているらしい。
「黒木は?」
「晨夜さんは自分の部屋、いつもと何も変わらないよ。折角のバレンタインだってのにね。あたしがチョコあげたのに『そうか、バレンタインか。有り難う彼方』って、何も調子変わらないの。もう慣れちゃったけどさ」
 言いながら、ホットココアを持ってきてくれた。
「有り難う捺夜。あ、そうだ。忘れない内に渡しておく、捺夜の分」
「わーい、ヌエからのチョコ、何気に楽しみなんだよね」
「そんなに大層なものじゃないんだが……」
「ふふっ、あたしは知ってるんだよ。ヌエが毎年ウロボロスのマスターに手伝ってもらってチョコを作っている事を。段々上手くなってきているのが、あたしのバレンタインの楽しみの一つなの」
「別に……親友に渡すものなんだから、手作りぐらいしてあげたいだけだよ」
「嬉しい言葉です。あたしも親友甲斐があるよ」
 可愛いらしく首を傾げさせながら捺夜は微笑う。
「はい、じゃあこれはあたしから」
「あぁ、毎年有り難う」
「その前に」
 受け取ろうとしたら手を引っ込められた。そして捺夜は変わらないにこにことした笑顔で続ける。
「ね、誰に渡したの?」
「……その話は、別にいいだろ」
「って事は渡したんでしょ? ね、渡したんでしょ?! 誰だれ?」
「渡してないよ。結局面倒臭くなって止めたんだ」
「えー、そうなのー? つまらないなぁ」
「面白がるなよ。別にどうだっていいだろ俺が誰に渡そうが。それより捺夜だって誰か本命は居ないのかよ。毎年、俺と黒木と、商店街の人とかに渡してるだけだろ」
「え? あたしはマスターが本命だよ」
「そう言えば中年オタクだったな捺夜は……」
「失礼なっ。あたしだっておじ様なら誰でも好きな訳じゃないんだよ」
「でも中年オタクには変わりないだろ」
「まぁそうだねー。あーあ、でも今年はヌエが本命さんを作ると思って期待してたのになぁ」
 残念そうにココアを啜る捺夜。それを見て、嘘を付いた事を心中で謝る。
 まぁ、でも。
 恥ずかしくて言えないよな。
 直接渡せなかったからって、下駄箱に置いてきたなんてさ。

おわり

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