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罰ゲームはチャイナ服で

「十二」
 ぺち。
「十三」
 ぺち。
「一」
 ぺち。
「二」
 ぺち。
「……三」
「ダウト」
「げ」
 ぺち、と暁(あかつき)夜鳥(ぬえ)が札を出した瞬間に、黒木(くろき)彼方(かなた)が透かさず宣言すると、彼女は顔色を変えた。
「確認するよー。はい、ハートの十だね。ダウトー」
「ぐ、ぬ……」
「じゃあ、これ全部ヌエのね」
 ずいっと、積まれたトランプの札を渡され、暁夜鳥は苦い顔でそれを受け取る。大体トランプ一組の内、半分ぐらいの量だろうか。
「このタイミングでその量か。絶望的だね」
「う、煩い。逆にこれだけあれば十分に戦える」
 ほぼ負け惜しみにしか聞こえないが、彼女は地道に大量の手札を整理している。
「負けたら王様ゲーム方式で、一位になった人の言う事を何でも聞かないといけないから必死ね」
 その隣で簓木(ささらき)が自分の手札で口元を隠す様に微笑っていた。
「まぁ、悪いけど私は全く負ける気がしないわ」
「あー、僕もだな」
「あたしもー」
「…………」
 暁夜鳥だけが手札と睨めっこして何やら呻いていた。
 ぶっちゃけ、彼女はこの手のカードゲームは弱い。阿呆の様に弱い。憐憫の情で勝利を祈ってあげたくなる程だ。ダウトを始めて十五分程しか経ってないが、表情に出る出ないというレベルではなくて、挙動不審になるのでバレバレだ。
 というか、嘘吐けない性格過ぎるだろ。
 自分の手番で五の札を出す時に「八」と宣言し、その後に慌てて「ち、違う! 五、五だ!」と言われれば、普通はギャグがフェイクの類かと思うだろう。だがしかし彼女のキャラクター上、素だ。そんな「さぁ『ダウト』と言ってくれ!」と言わんばかりの珍プレーを噛ます上に、こっちが似た様なフェイクを仕掛けると即答で『ダウト』を宣言してくれる。鴨が葱を背負って自分の身体を掻っ捌いている。見てて不憫だ。
 そんな彼女を見て、すぐさま僕と簓木と黒木彼方は言葉を交わさずに彼女がビリになる事を把握したので、互いに後はどうやって一位になるかを考える様になっていた。因みに僕は簓木が一位になると思っているので、二位辺りに収まれればいい。
「そ、それダウト……」
 僕の出した札に、暁夜鳥が自信無さそうにダウトを宣言するが、
「残念、外れだ」
 安心して手札を減らせるなぁ。
 あとは簓木が順当に一位になった後に、僕と黒木彼方が適当に上がればいいだけ――
「十。あ、これであたし上がりだよー」
「何ぃっ!?」
「だ、ダウト!」
 予想外な事に初めに上がりを宣言したのは黒木彼方だった。それに対して暁夜鳥が食って掛かるが、
「えっへへー、残念でした。スペードの十だから上がりだよ」
 また増える暁夜鳥の手札。もう逆に降参させてあげた方がいいのではないだろうか。
「やっぱりカナちゃんには勝てないわね。出てきた札が全部憶えられてると、手業のイカサマだけじゃ対応し切れないわ」
 さらりと簓木が不正を暴露した訳だが、それよりも札を全部憶えているだと?
「そんな事が出来るのか君は?」
「一応、あたしは記憶力はいい方だよ」
「カナちゃん、円周率何桁まで言えたかしら」
「一万」
「いちっ……?!」
「別にそこまで凄くないよ? ギネスは十万だし」
 何かもう理解出来ない領域の話だな……。
「そんな事より、一位が決まった事だし、ビリの人に対する罰ゲームを決めてもらいましょう」
「あ、そうだったね。んー……何がいいかなぁ」
「……おい、捺夜(なつよ)。何で俺を見るんだ」
 何でも糞も無いと思う。もう一人でスピード出来るくらいの量を手札に持ってるんだから。
「え? いや別にヌエが今一番負ける確率が高いかなーって。あはは」
 一応やんわりとフォローをしてあげるところが優しい。
「まだ俺の負けは決まってない!」
 いやー、どうかなぁ。
「そうねー、まだ勝負は判らないわよねー」
 棒読みもここまで来ると自然だ。
 現時点で、先刻の暁夜鳥のダウト宣言から僕と簓木の残りの手札は、それぞれ四枚と二枚だ。需要と供給を考えると明らかに無理がある。
「じゃあ、取り敢えず皆が終わらせる間にあたしは罰ゲーム考えておくね」
「そうね、それじゃこっちは続けましょうか。私の番ね、十一」
「――ダウト!」
「阿呆か君は」
 彼女の勝ちはもう、どう足掻いても絶望な様が気がする。
「残念だったわね、ちゃんと十一よ」
 また増える彼女の手札。暁夜鳥は苦虫を噛み潰した様に積まれた札をまた手札に加える。因みに、僕達がこのゲーム中で彼女以外にダウトを宣言した事は無い。
「ふ。ふふふ。お前等、俺が勝つのはもう無理だと思ってるだろ?」
 彼女は急に不敵に笑う。負けが込んで可哀想な子になってしまったのだろうか。
「ダウトってゲームは確かに俺に向いてない。だが、逆にこれだけ手札があって相手の手札が少ないなら絶対にお前等が持ってない手札も判る!」
 どうやって勝つんだよそれ。
「一位にはなれないがビリにもならない戦法が俺にはある……!! 勝負に負けても試合には勝てる!」
「…………」
 僕と簓木は顔を見合わせた。
「まぁ、それなら続けようか」


彼方:「あ、罰ゲームはチャイナ服着用ね」(※タイトル)


 今週末。
 僕達は駅前の大型ショッピングモール『オーグ・モール』に来ていた。
「えーっと、『チャイナフェア開催中! 中華料理食べ放題や、普段は着れない本格チャイナ服へのお着替え体験などやっています!!』だって」
「このモールそんな事やってるのか」
「というかこのモール、私達の会社のところの持ち物よ」
「そうなのか?!」
「オルガノンの最初の三文字を捩っての『ORG(オーグ)』だもの」
「本当に何でもやってるんだな、あの会社は……」
 ショッピングモールって。
 自分の所属する組織の節操無さを知って何と無く複雑な気分になる。
「貴方と私が使っているクレジットカードだって、そもそもオルガノンの子会社なのよ? 何も言わずにカードを使わせてくれてるんだから、メリットとして素直に受け取りなさい」
「まぁ、そう言う事なら納得するけど……」
 黒木彼方が言った。
「今回の罰ゲームにここのチャイナフェアはぴったりだよね。実際に本格的なチャイナ服買ったりしたら高いから助かっちゃった」
「ついでに中華料理も楽しめて休日の過ごし方としては一石二鳥ね」
 それで――簓木はここに来てからずっと黙っている暁夜鳥に向き直る。
「先刻からどうしたのかしら? 折角中華料理を食べれるのに、普段ならもっと嬉しそうにするのに」
「…………」
 問われた彼女は呻く様な声を出すだけで表情は暗い。
「え? 何? 聞こえないわ、もっとはっきり言って頂戴」
 無茶苦茶楽しそうですね簓木サン。
「……たい」
「聞こえなーい。全っ然聞こえないわ。言いたい事はしっかり伝えないと駄目よー?」
「……帰りたい」
 彼女のそんな切実な希望に対して、間髪入れずに黒木彼方が言う。
「無理。駄目。許さない」
 彼女には珍しく強めの口調だ。
「約束すっぽかして何処かに逃げようとしてたなんて見損なったよヌエ。あたしは親友として、そんな事しちゃうのは見過ごせないからね!」
 目が怖い。矛盾理由(パラドツクス)の人みたいな目になってるぞ。
 因みに暁夜鳥は待ち合わせ場所に現れずに逃走していたところを、簓木が自前のオルガノンの情報網を使って見つけ出した。職権濫用過ぎる。まぁ、暁夜鳥も能力(ベクター)フル稼働でガチで逃げるのが悪いとは思うんだけど。人込みをスプリンターばりの速度で走るのは兎も角、追い詰められたからってビルの屋上を転々とするとか一般人に見つかったらどうするつもりだったんだ。というかどれだけ嫌なんだチャイナ服。
「まぁ今日は諦めて素直にチャイナ服を着なよ暁夜鳥。それで中華料理の食べ放題でプラスマイナスゼロにすればいいじゃないか」
「この苦しみはお前には解らない!」
「いや解んないけど」
 そんなシリアスに言われても。
「お前には解らない……!」
「二回言われても」
 ちょっと半泣きだぞこいつ。
「さーさー、ここで駄弁っててもしょうがないから早く行くわよー」

「という訳で、早速チャイナ服のお店に来ましたー!」
「おー……何かこう、極端にチャイナ色だなぁ」
 モールの中のチャイナコーナーに行くと、周りの装飾は見事に中華染みていた。見るからに『チャイナー!!』と叫んで主張している様な飾り付けで、訪れる人間を迎え入れる。割と気合の入っているイベントの様だ。
「ちょ、ちょっと待て捺夜!」
 真っ先にチャイナ服の店に来たところで暁夜鳥が言った。
「着替えるのは中華料理食べてからでもいいだろ?! 汚しちゃうかも知れないのに何で先に着替えるんだ!」
 どうやら出来る限りチャイナコスをする時間を減らしたいらしい。まぁ確かにレンタルした服で食事をして汚したりしてしまったら、クリーニング代やら何やら面倒臭いのは確かだろう。
「ところがそうも行かないのよね」
 と、簓木が言う。
「このイベントではチャイナ服に着替えて中の店を巡ると、割引してくれるサービスがあるのよ。高いチャイナ服をレンタルするのに腰が引けるお客さんに対して、敷居を下げる措置ってところね」
「なっ」
 当然ながら予想外な事に暁夜鳥は顔色を変える。
「補足すると男性が着ても割引は適用されるわ」
「なっ!?」
 僕も顔色が変わった。
「安心しなさい槻木君、ここに居る誰一人としてグロテスク趣味は無いから」
「えっ、あぁ、安心したよ……」
 何か釈然としないが良しとしよう。
「待て待て待て! チャイナ服を着て俺にここを回れって言うのか!?」
「愚問」
「愚問ね」
 二人共返事が同時だった。息がぴったり過ぎる。
 そして二人して暁夜鳥の両腕を掴むとそのまま引き摺っていく。
「さぁー行くよヌエー、チャイナ服に着替える時間だよー」
「支払いは私がカードでしておくから気にしないでいいわよー」
「は、離せ! 離せー!!」
 宇宙人的なアレな構図で彼女はそのまま店内の奥へと連れて行かれた。何処か恐ろしい光景だった。名状し難い。

 十数分後。
「……うぅ」
「思ったよりも動きやすいね」
「スリットがあるから足の動かし方は気をつけないといけないわね」
 生足である。
 何は兎も角生足である。
 太腿。
 ぱねぇ。
 眩しい……。
 眩し過ぎる……!!
「くっ……!」
 チラつく白い肌についつい目が行ってしまう。男子として健全な反応だが度を越すと自分が変態になった様な気分で精神衛生上宜しくない。
 暁夜鳥と黒木彼方は髪型をシニヨンに纏めている。黒木彼方は別段恥ずかしがっている様子も無く自然体で楽しんでいるので、割と身体のラインがはっきりしているのがまた困ったものです。
 一方の暁夜鳥は赤面しっ放しで頻りにスリットをどうにか隠そうとしているのだが、片方を隠すともう片方が疎かになって寧ろ見える。見えるのだ、はっきりと。
 そして簓木は髪は弄らずに黒いチャイナ服にちゃっかり黒い羽扇子という、自分の長い黒髪に合わせたコーディネイト。これまた似合い過ぎて笑ってしまう程だ。
 三人とも総じてエロス。
 善哉、今ならフロイトの言葉の全てを鵜呑みに出来る。
 はしゃぎ過ぎて自分のキャラクターを崩壊させない様に僕は努める。割とマジで。
「と、というか、結局三人共着たのか」
「まぁね、折角の機会だし、楽しまなくちゃ」
 簓木は口元を羽扇子で隠しながら、ふふっ、と艶やかに微笑う。
 やべー。
 何かイケナイ事してる様な錯角が。婀娜っぽ過ぎるでしょう簓木サン。
「ね、ね、涼君どう? 似合ってるかな?」
「えぇとても」
 上目遣い止めてくれ黒木彼方。それは不味い。思わず丁寧に返答してしまった。
「こ、これ歩いたら足が見え過ぎないか……?」
 未だにスリットと格闘している暁夜鳥が言う。彼女は気付いていない様だが、格闘のし過ぎで周りの目を集めまくっていた。
「それはそういう服だからそれでいいのよ」
「だ、だけどこれは幾ら何でも見え過ぎ……」
「元々罰ゲームだし恥ずかしいくらいが丁度いいんじゃないかな?」
「そ、そんな無責任な……!」
 暁夜鳥は顔を真っ赤にして恥ずかしさのせいか少し涙ぐんでいる。
 普段見せない恥じらいは中々いいものだ。素直に可愛い。単純に嗜虐心が満たされる様な、背徳感にも似た妙な感情が満たされる。萌え。
 因みに僕はここまで無表情で済ませている。
 別にムッツリとかじゃない。女性陣に軽蔑されない為の僕なりの処世術という奴だ。紳士的振る舞いと言ってもいいだろう。お互いに嫌な気分にならずに楽しむ為に、こういう方便も男女の間には必要だ。だから僕は何も疚しくない。
「ほらほら、いつまでも恥ずかしがってないで中華食べに行くわよヌエ」
「ちょ、おっ、押すな! 足が、足が見える!!」

 その後、一応罰ゲームという名目を果たす為に、暁夜鳥を衆目に曝してから中華料理を食べに行くという事になり、コーナーを一通り練り歩いた。
 彼女は終始恥ずかしさでもじもじしながら落ち着かない様子で周りの目を気にしていた。そしてこけた。それはもう見事にこけた。直ぐに起き上がって額と顔を赤くさせながら「誰にも言うなよ……」と睨まれたが全く怖くない。
 簓木に至っては素早くこけた瞬間をしっかりとケータイのカメラで撮っていた。これでまた校内に彼女の写真が出回るんだろうなぁ……。
 その一騒動の後は暁夜鳥は極度の恥が転じて不機嫌になってしまい、むっつりとしていたが、いざ中華料理屋に着いて食事を始めると、あっという間に機嫌は直った。
 ちょろい。
 とは言ったものの、やはり暁夜鳥の食べる量は尋常ではなくて安くは済まず(一応僕達全員で食べたがメニュー全部頼んだ)、その場は立て替えるという形で簓木がカードで一括して支払う事になった。
 しかし立て替えとは言えカードで気前良く支払うなぁ……。
 ともあれ、メインイベントであるチャイナ服関連以外は特にこれと言った事も無く、すっきりと終わったので割愛。
 ただ、何かが引っ掛かっている様な気がしてならないんだけど……それが何なのか判らない。あと少しで出てきそうな違和感の答えが妙に気持ち悪い。
 …………。
 まぁ、そう大した事では無いんだろう。

 そんな事無かった。
「何が大した事無いだよ!!」
 思わず僕は手に握っていた紙を殆どノリ突っ込みの要領で床に叩き付けた。
「何か怪訝しいと思ったらそういう事か! 簓木の奴気前が良過ぎると思ったんだ……!!」
 糞っ、今回は暁夜鳥に対する嫌がらせに集中していると思って油断していた。まさかきっかり僕に対しても仕込みを済ませていたなんて夢にも思わなかった。何が「今日は楽しませて貰ったから私が全部払っておくわ」だ……
「あのクレジットカード、僕のじゃないか!!」
 床に叩き付けたカード明細を今一度見て、どれだけ考えても請求金額に心当たりが無い事を確認すると僕は簓木に電話を掛けた。
「おい簓木、どういう事だ」
〝あ、明細届いたのね〟
「っていう事は、やっぱり確信犯か……!」
〝嫌だわー、人聞きの悪い。そもそも女子三人でやればいい様なイベントに私が貴方の参加を何も無しに黙認する訳無いじゃない〟
「そんな理由があるか!」
〝別にいいじゃない。何だかんだで楽しんだでしょう? キャバクラにでも行ったと思って諦めなさい〟
「ふ、巫山戯るなー!!」
〝別にいいのよ、文句たらたら流し続けても? その間ですら私は貴方のカードで買い物をし続けてカード破産に追い遣る事も出来るし〟
「そうだ! 君は先ずどうやって僕のカードを使ってるんだ?!」
〝言ったじゃない、クレジットカード会社もオルガノンの持ち物だって。そして私はそのオルガノン所属の監査官。あとは解るわよね?〟
「ちょ、っと待て……それはつまり、君は僕の経済状況も自由に出来るって事か!?」
〝大正解。私に歯向かったら貴方をあっさりと社会的に殺す事も出来るんだゾ!〟
「可愛い子振って恐ろしい事言うなよ?!」
〝今回は十分楽しませて貰ったわー、有り難うね槻木君。それじゃあまた今度ね〟
「待て、まだ話は」
 ぶつん、と一方的に電話は切られた。
「……結局またこういうパターンか!!」

おわり

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疑心暗鬼と泥沼ショコラ

疑心暗鬼と泥沼ショコラ


キャラ紹介

▼槻木(つきのき)涼(りょう)
 普通ラノベなら女性キャラにモテる立ち位置なのに、そんな現象が起きなかった『月は何も語らない』本編の主人公(笑) 貴重な突っ込み役として日夜奮闘している。密かに自分の突っ込みに自信を持っている。

▼暁(あかつき)夜鳥(ぬえ)
 こちらも主人公。白髪紅眼(アルビノ)の少女。幾らかの常識を備えている普通の子だが、実は 天然バースト。非常に弄り易い。今回は萌えキャラとなれるかどうかが存在意義。

▼黒木(くろき)彼方(かなた)
 旧姓・捺夜。夜鳥だけがこの苗字で彼女の事を呼んでいる。普通の女の子。但し日本刀を振る。割と万能なので話の流れ的に便利である。記憶力が凄まじく、どうでもいい事を訂正したりする事がある。両者にその気は無いが夜鳥と百合るかも知れない。

▼簓木(ささらき)鏡花(きょうか)
 任天堂の携帯ゲーム機的な性質を遺憾無く発揮するお方。ライフワークは槻木虐め。彼を虐める為なら三ヶ月前からの仕込みも厭わない。覚え難いが生徒会長ではなく副会長を努める完璧超人。だが一応欠点もある。

▼有馬(ありま)孝之(たかゆき)
 チョモランマ級馬鹿。賢い馬鹿。夜鳥が好きだが馬鹿過ぎて相手にされない馬鹿。開けっ広げにアピールするがリアクションが返って来ない馬鹿。寧ろアピールし過ぎて「アレはそういうものなんだな」だと思われている馬鹿。

▼長谷(はせ)誡(かい)
 新聞部員その一。『月は何も語らない』で色々あったが引き籠りにならずに社会復帰に成功。本編以降一皮剥けたのか、外面(そとづら)はにこやかだが心中の黒さを全く隠さない毒舌家へと昇華した。周囲では賛否両論である。爆発しないイケメンのリア充。

▼鮎河(あゆかわ)雪華(せつか)
 新聞部員その二。『月は何も語らない』で誡の更生の契機を作った女の子。思いやりのある非常にいい娘で、誡と付き合っているが今一つ恋人らしく出来ず悩んでいる。

▼乙野(おつの)鈴風(すずかぜ)
 新聞部員その三。敬われる事が決して無い、部員の心の拠り所となっている部長。たまに遣り過ぎてペンも剣も折る。基本的にイベント好きで、今回のバレンタインは勿論絶好のネタ。

▼森枝(しんし)汀(てい)
 新聞部員その四。シベリア暴走特急の様に走ってしまう鈴風のストッパーであるが、自身も特急列車になる時がある彼女の良きパートナー。本人達は明言していないが確実にやっている事は夫婦である。

▼楢沢(ならさわ)紀一(きいち)
 新聞部員その五。最近、新聞部の中のカップル率が一〇〇パーセントになってしまい、何だか居場所を失った様に感じているが、その心中を察せられ地味にフォローされている。そして余計に居た堪れない。多分出番無い。


 素直に原稿落としたって言えよ。
 違いますー、落としたんじゃありませんー。ゆとりを持たせただけですー。
 最低だなお前。



「明日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる冷たい反応、何たる蔑みの眼……有馬君へこみますよ……」
 突然押し掛けて来たと思ったら意味不明な事を喋くる知人・有馬孝之。正直言うと彼は平和的なまでにウザい。
 大体なんだ、大して仲のいい間柄でも無ければ、そもそもそういう関係になる様な事をした覚えは無いというのにこの馴れ馴れしさは。剰え人を変な綽名で呼んで、しかも元の名前よりも長い。
「ところで、その意味不明な呼び方止めてくれないかな。君しか使ってないし、僕としてはキャラ的に全く似合わない呼び名だと思ってるんだ。そして如何にも無理矢理定着させようとしているその安直な選択は何なんだ」
「え? 何言ってんだよりょーちん。俺以外皆、りょーちんの前じゃ呼ばないだけで、影ではこう呼んでるぜ?」
「何だそれ新手の虐めか?! 本人の前で使わない綽名ってただの陰口じゃないか! しかもそれを堂々と本人の前で言うのか君は!?」
「いやー、オレってばそういうの嫌いなもんでさ。――正直って、美徳だろ?」
「何だそれは決め台詞のつもりかそれとも僕の神経を逆撫でしたいだけなのかどっちにしろおちょくりに来たのか君は……!!」
「おいおい、一分前の事をもう忘れちまったのかよりょーちん、ドジッ子だなー」
 オーケー、解っている。キレたら負けだ。我慢するんだ僕。ここでこのまま馬鹿ジーニアスに主導権を握らせ続けたら不味い。一先ず、話の優先権を僕に持っていくんだ……。
「……だから、その呼び方は止めてくれと言ったじゃないか」
「えぇー、オレ結構気に入ってたんだけどなぁ、これ。じゃ、ちょっと待って。今別の考えるわ。元の涼より短くなった方がいいんだよな」
 ふむぅ、と彼は額に手を遣り、難しい顔をして僕の新しい綽名とやらを考え始めた。単純だ。流石馬鹿の代名詞。いい流れだ、この程度なら取り敢えず問題無く会話の切り返しは出来る範囲だろう。
 よし、と有馬孝之は手を打ち、自信満々に言った。
「呂君でどうだ?」
「もう別人だ馬鹿野郎!」
「え。そうか? オレ的には究極的に短く判り易い綽名に変わったと思うんだけど」
「人種ごと変わってもう三国武将みたいになってるじゃないか!!」
「一騎当千かよ……凄ぇじゃん呂君!」
「人を自然に中国人留学生みたいに呼ぶな! 本当にもう何しに来たんだ君は!」
 おっと、忘れるトコだった、と彼は指を鳴らした。
「バレンタインだよバレンタイン! 明日は女の子からチョコレートと愛情を貰う男にとっては命運の掛かった日だぜ呂君!」
「いいか、もう突っ込まないぞ。僕の名前を普通に呼べ」
「テイクツー? しょうがねぇなぁ、注文の多い親友はこれだから困る」
「勝手に人の信頼ランク上げないでくれるかな」
「いいや! 親友だね! そしてその親友ならオレはきっと簓木サンからオレにチョコを渡す算段をしてくれると信じている!!」
「おい待て最後に下心しか残ってないぞ!?」
「友心あれば下心ありって言うだろ?」
「言わないし元の諺の用法から間違ってる!」
「いいじゃんかー! オレも簓木サンからチョコ貰いたいんだよー! 知ってんだぞ、お前毎年簓木サンからチョコ貰ってるってオレ知ってんだぞー!」
「そんな話は僕が初耳だぞ?!」
 彼女には毎年チョコを貰うどころか、冥土の土産を渡され掛けてるというのに、何処をどうやったらそんな噂が出てくるんだ。大体、高校の中では僕と簓木はほぼ全くと言っていい程に関係性を持っていない。
「誤魔化すなよ……なぁ貰ってんだろ?! お前チョコ貰ってんだろ!?」
「泣くな寄るなしがみ付くな気持ち悪い! そこまで言うなら情報元を言え、誰からそんな話を聞いたんだ!!」
「あぁ?! 情報元だぁ?! んなもん言うまでもねぇだろうが、オレをおちょくってんのか呂君!」
「逆ギレ?! このタイミングで逆ギレ!?」
 ちょっと待ってくれ。誰か助けてくれ訳が解らないぞ。
 ――あ、それならぼくが知ってるよ、と会話の後ろで誰かが言った。助かった。捨てる神あれば拾う神あり。実際大して信じてもいない神に礼を言いながら救世主の顔を拝もうと振り向くと、
「情報元はぼく達の作った校内新聞だよ、涼君」
「って諸に当事者か畜生!!」
 よりによって新聞部員の長谷誡……! しかも有馬孝之と交友関係を持っている人間……!
「たまたまぼく達の新聞に載ってる話題の話が聞こえてたから立ち寄らせて貰ったよ涼君」
 あはは、と笑いながらいけしゃあしゃあと宣う。例の事件の時は人格崩壊起こし掛ける程に追い詰められた癖に、復帰したら以前は敵対していた僕に対してもあっさりと踏み込んでくる図太さを身に付けて帰ってきた彼。以来、何だか彼からは生理的に受け付けられない属性を感じる。いや、具体的には簓木属性なんだけどさ。
 っていうか、三つ離れた教室だろう君。
「バレンタインが近付いたからさ、部長がバレンタイン特集の記事でも作ろうって企画だったんだよね」
「来たなリア充……! カノジョ持ちだからって余裕ぶっこいて他人のバレンタイン事情なんて調べやがって、趣味悪ぃぞー! ぶーぶー!」
 頬を膨らませてブーイング。ガキかこの馬鹿。
「それより何だ、君誰かと付き合ってるのか」
「あ、うん。雪華――鮎河さんとお付き合いさせて貰ってるよ。ぼくは、彼女のお陰でまともになれた気がするからね。とても大切に想ってる」
「まぁー! 聞きました奥さん?! 恋人を呼び捨てですわよこのリア充様! ファミリーネームじゃなくてファーストネームですって!! とぉっても充実した学生生活をお送りになられてるアピールですわー!」
「君ちょっと黙れ」
 何か今僕の役目が奪われた気がする。
 長谷誡が続ける。
「話が逸れたから戻すけど、校内で一番有名な女子生徒である簓木鏡花さんのチョコレートを受け取る相手は誰かっていう記事を書こうって話になったんだよ」
「そこで僕の名前が出てきただって? 有り得ないね、君達の調査能力も随分と杜撰なんだな」
「いやいや、流石に君には劣るよ。何せぼくは一般人だからね。凡人は凡人らしい事しか出来ないんだよ、いやぁ、辛いね」
 い、嫌味を棒読みと皮肉を加えて返された……明らかにブラック化が進行してるぞ長谷誡……! というかこれ、本編知らない人意味解らないんじゃないか? いいのこういうネタ回し?
「まぁ兎に角、君達のせいで実害を被っている以上、その記事をすぐに訂正してほしいね、槻木涼が簓木鏡花からチョコを受け取っているなんていう噴飯ものの情報は事実無根だと」
「いや、それは無理だよ。情報元が正確だからね」
「はぁ? 僕本人が言ってるのに何で覆せないのさ。怪訝しいだろう、どういう事さ」
「だって簓木さん本人に訊いたから」
「これ嫌がらせだー! 絶対彼女の嫌がらせだー!」
 解くまでも無いよこの謎! 命懸けてもいいぐらい確実にこれ簓木の虐めだよ!!
「ほぅれ見ろ! そうやってお前は嘘に嘘を重ねるつもりかりょーち……呂君!」
「いやいいよもうそのネタ。もう勝手に呼んでいいよ」
 そんな事より問題は簓木がバレンタイン当日ではなく前日に仕掛けてきた事だ。彼女の性格上、絶対にこれだけでは終わらない筈だ。恐らくこの新聞騒動を僕が治めようと躍起になって動き始めた頃に、その一番テンパッてるタイミングに横合いから仕掛けてくるに違いない。
 何とか、何とか対策を立てなければ……


「そう言えば、明日ってバレンタインだよな」
 ファミレスのボックス席での俺の言葉に鏡花は、そうね、と答えた。
「お菓子業界の欲望陰謀渦巻く日ねぇ。街でもセールとか色々やってるわ」
 ご苦労な事ね、と鏡花は艶のある黒髪を手梳く。
「えー、でもあたしは好きだよこの雰囲気? 街で小学生の女の子が一生懸命手作りチョコの材料を見てたりさ、微笑ましくて心がほんわかするし」
 メロンソーダを飲みながら言う捺夜に、鏡花が微笑いながら応えた。
「いえ別に私もバレンタインが嫌いな訳じゃないわよ? 一応、生徒会の皆にはチョコを渡したりしているし――まぁ、それで? ヌエはどうしたのかしら?」
「いや……思ったんだが、バレンタインって普通女から男にチョコ渡す日だよな」
 うん、と捺夜が言う。
「聖バレンタインは日本じゃ女性が意中の男性にチョコを渡すのが慣習化してるけど、本当は別に親愛の情を持っている相手になら誰でもいいんだよ。聖職者だったウァレンティヌスさんが殉教した日だから、って言うのが有名な話だよね」
「まぁ、愛を誓う日だけどアル・カポネが『血のバレンタイン』を起こしたり、アフガニスタンの政治家が群衆に撲殺された日でもあるわね」
「鏡花ちゃん……何でそういうの知ってるの」
 急な血腥い話に、捺夜が苦そうな顔をする。
「たまたま覚えてただけよ、特に意味は無いわ。あぁ、また話が逸れたわね、ごめんなさいヌエ」
「いや、別に構わないが……俺さ、バレンタインにチョコ渡した事って無いんだよな」
「あれ? そうだっけ? あたしと毎年交換してなかったっけ?」
「捺夜は特別だよ。先刻、親愛の情のある相手に渡すって言ったろ? 捺夜は俺の大切な友達だから、それはまた別カウント」
「ヌエ……嬉しい――けど、真顔でその台詞はちょっと恥ずかしいよ……」
「…………」
「はいはーい、私は貰ってないわよー。そこで顔を真っ赤にしてるヌエさーん」
「っ! お前は俺と一緒で高校の女の子達に毎年いっぱい貰ってるからいいだろ!」
 鏡花のおちょくりに向きになって怒鳴ると、捺夜が流れを取り戻そうと言った。
「えっと、それが話の元?」
「あ、うん。貰った分はきっちりホワイト・デイにお返ししてるんだが、やっぱりバレンタインにも、ちゃんと渡した方がいいのかな、って……その、何と言うか……女の子らしく……って奴で」
 言った途端、がたっ、と急に捺夜が椅子を思い切り引かせ口元を押さえ、身体を震わせ始めた。
「えっ、何だ? な、何だ捺夜どうしたんだ急に?」
「可愛い……」
「は?」
「今のヌエ物凄く可愛かった……久し振りに女の子らしいヌエを見れてちょっとツボに入っちゃって……」
「萌えねー、これがカナちゃんの萌えなのねー」
 ……一体何を言っているのかさっぱり解らない。
「だって鏡花ちゃん今の見た?! はにかむヌエだよ?! 恥ずかしそうに目を逸らしながら声小さくしながら喋ってるんだよ!? 可愛い過ぎるでしょ!」
「言いたい事はとても解るわよ? でも、とある事情でそれが十分に伝わっていない可能性が危惧されてるのよね」
「何の話?」
「気にしないで、ただのメタ発言だから。自虐ネタよ」
 状況が俺にも解る様に誰か説明してくれ。全く理解出来ない。怪訝にしている俺に気付いている癖に、鏡花は無視して話を続けた。
「つまるところ、ヌエはチョコを渡したいと思っている相手が居るって事ね」
「誰? 晨夜さん?」
「何であの探偵に渡さないといけないんだ……」
 そもそもアイツ、そう言う事しても殆ど関心も興味も示さないだろうに。
「あら、探偵さんぐらいのレベルの相手には渡しても全然いいと思うわよ?」
「そういうお前は渡さないだろ」
「今年の私はちゃんと本命が居るのよ」
「本命? 誰だよ胡散臭いな」
「秘密よ、教えちゃったら色々つまらないじゃない? それに、その為の仕込みももう全部終わらせてるしね」
「随分準備がいいな」
「というか、ヌエが遅いんだよ。せめて三日前ぐらいから材料とか何をするか決めておかないとバタバタしちゃうもん」
 だからバレンタイン初心者の俺はそんな事知らない。
 そんな事よりさ、と捺夜が身を乗り出して訊いてくる。
「誰に渡すの? そんな風に急に思い立ったって事は出会いがあったの? ねぇ、どんな人に渡すの?」
「……言わない」
「何でー!? 気になるのにー、親友にぐらい教えてよぉ」
 その親友にだからこそ言いたくないという事もある。というよりも、捺夜の場合絶対に首を突っ込んでくるから教えたくないだけだが。
「まぁ、渡したい相手が居るのなら私は渡してもいいと思うわよ。そもそもそんな風に悩んだりするキャラでもないでしょう、貴方?」
「それはそうだが……」
 だが……何かこう……俺がそういう事するのが、自分の事の癖に不自然に思ってしまって、物凄く恥ずかしい事をしているのではないかと思ってしまう。
「そうだ。そんな事よりもっと大前提の問題があるよ、ヌエ」
「え、何だ?」
「その口振りだと何も準備してないでしょ?」
「…………」
「この後は都市側にお買い物ね」
「違うんだ。準備はしておかないいけないと考えてはいたんだ。何かずっと悶々と悩んでいる内に前日になってしまっただけで、忘れてた訳ではなくて」
「いや、まぁ準備してないのは事実だし」
「……ごめんなさい」


「今日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる既視感、何たる天丼……有馬君へこみますよ……」
「煩い。別にバレンタインだからって僕は何もする気は無いし、君に付き合ってやる義理も無い」
「何だよクールぶって。年下好きのむっつりの癖に」
「……人の趣味に口出ししないでくれるかな」
「お、突っ込みに切れが無いぞりょーちん。どうしたんだよ?」
 切れも糞もあったものか。今日の僕は最大限に警戒心のアンテナを張っておかなければいけないのだから、彼に付き合って愚かな振る舞いをしている余裕など無い。隙を見せて何かを見落とせば、それで一巻の終わりだ。そのままずるずると簓木の術中に嵌ってしまうに違いない。
「まさか周知の事実とは言え、年下属性をりょーちんが否定しないとは……調子でも悪いのか? 気持ち悪いぞお前」
 そう、だから目の前で如何に突っ込みたい事を馬鹿に喚かれたとしても、それに反応したら負けだ。それこそが、有馬孝之がここに来て僕の日常を引っ掻き回す事自体が、簓木の仕掛けた罠かも知れないからだ。
「何だ何だ、スルースキル発動中っすか。酷ぇわぁー、流石にりょーちんそれは無いわー……オレそこまで悪い事してねぇのになぁ」
 っていうか超突っ込みてぇ……。
 これは最早職業病だろう。仕方無い事ではある。突っ込み不在の空間が如何にカオスになるかは、その場に居る普段はボケ役の人間の中から自然に突っ込み役が選抜される様に自然の摂理と証明されているも同然の事なのだから。故に初めから突っ込み側に居る僕が目の前のボケを流して見過ごす事は、かなりの痛手で心苦しい事ではあるが、それをしてしまえば自ら危険に飛び込む可能性がある事の方が看過出来ない。
 だから、僕は今日絶対に突っ込みを入れない……!!
「それよりも、バレンタイン当日の君の目的は僕じゃなくて、暁夜鳥の方じゃないのかい?」
 どうだ……! 突っ込み無しの会話の繋ぎにだけ徹したこの返し……!! 恐らくは内容的にも大体合っているだろう、この方向性で進めば有馬孝之は僕の前から居なくなる筈っていうかもうどっか行ってくれこの野郎おぉぉ!
「あ、無理無理。朝、愛してるからチョコくれ、って言ったらバックドロップされた」
 あははは、と世間話の様に非常識な事を言いやがる……! 乗るな、絶対に乗るな僕! それで終わりだ、簓木に嵌められるに違いない!
「っていうか、ヌエはあげる側じゃなくて貰う側だぜー? 見た目と中身のお陰で随分と年下の女の子に人気出てっからなぁ」
 怪訝しい! 常識的に考えて何もかも怪訝しい!! 何かもう僕の存在自体が場違いの様に思えてきた!
「そうでも無いみたいだよ」
 不意に、後ろの席からの声。
「お、長谷じゃん。いつから居たんだよ」
「いやいや、ぼくの事は気にしないで」
 微笑みを崩さない厄介な奴が来た……明らかに先刻まで居なかった筈なのに、というか前も言ったけど別のクラスだろ君……! 何でわざわざ来たんだ。糞っ、面倒事を増やされた……!
「そ、それよりどういう事かな長谷誡? 暁夜鳥についての事だよね?」
「あぁ、うん。そうなんだ。昨日、暁さんが手作りチョコレートの材料とラッピング用と思われる包装材を買ったらしいって話が出てきたんだ」
「何ぃ!? 今朝のヌエはオレに何も言ってくれなかったぞ!」
「いや、それは有馬君が馬鹿だからでしょ」
「ふぐぅっ……! 何たる事……オレはヌエに義理チョコすら貰った事が無いというのに……一体どういう事だ!?」
「それでさ、誰に渡すのか、って話題を新聞部で調べてみたんだ、突貫だけどね」
「あれぇっ?! オレのリアクション無視っすか長谷さん!?」
「そしたら一つの結論に至ったんだよね。今まで誰にも渡していなかったのなら、最近知り合った男性に渡す可能性が一番高いんじゃないか、って」
 ……こっち見んな。
 胡散臭い笑顔で微笑ったままこっちを見るな。その意味深なフラグ立ての様な発言を止めろ。僕は今突っ込みを自粛して隙を作らない様にしているんだ。そんな虚実定まらない話に振り回されてる余裕なんか無いんだ。
「ねぇ、涼君はどう思うかな?」
「さ、さぁね……僕は彼女とは余り親しくはないから」
 こいつ……明らかに僕を何かに巻き込もうとしている。そんな事は有り得ないという事は、以前の事件に関わった人間なら知っている癖に、よくもそんな見え透いた嘘の情報を流せたものだ。
「あはは、それもそうだね。それに君には簓木さんが居るもんね」
「……それは、誤解だと、昨日散々言っただろう」
「おぉう……オレが完全に空気……」
 君はKYスキルがある限り絶対にそんな事にならないから安心しろ。
「そっかそっか。それじゃ、お邪魔したね。ぼくはそろそろ戻るよ」
 長谷誡は席を立ち上がると、片手に紙袋を持っていた。そしてその中には、リボンの付いた色取り取りの箱が沢山。あー……あれって、もしかしなくても。
「お、お、お前……! それはもしや……!」
 まぁ、有馬孝之の反応は当然そうなるか。
「あ、これは副部長とか部長に渡して下さいっていう、新聞部へのチョコレートだよ」
「そ、そっか。ならいいや。いやー、個人で袋一杯貰えるとか都市伝説だよなー」
「あ、ぼくの分も入ってるよ」
「お前爆発しろやリア充ッ!!」


「そういう訳でヌエちゃん誰にチョコ渡すか教えて!」
「嫌ですよ……いきなり何なんですか乙野さん」
 訊きたい事があるから新聞部の部室に来てくれって言うから来たのに、こんな無茶振りする為だけにわざわざ呼んだのかこの人。
「ふふふ、誤魔化そうとしたって無駄よ、調べは付いてるのよヌエちゃん……ここに居るアユちゃんが昨日バレンタイン用のチョコの材料を買っているのを目撃しているのよ! 自分のカレシの長谷君に渡す為のチョコのラッピング材を買いに行ってね! 長谷君羨ましいわこん畜生!!」
「ちょ、ちょっと部長一言多いですよっ」
 顔を赤くしながら鮎河がわたわたと言う。相変わらず振り回されてるんだなぁ……。
「あれから長谷と付き合う事になったんだな鮎河。……ごめんな、長谷の事は」
「あ、いえ。いいんです。暁さんの立場だったら仕方の無い事ですし、それにあんな事がずっと続くよりも、あんな風に一度絶ち切れた方が誡君も自分を取り戻すのが簡単だった筈ですから……」
 普通なら一番俺を恨んでもいい筈なのに、赦してくれるのか。
「……鮎河は優しいな」
「い、いいえっ! そ、そんな、わたしは別に何も……」
 顔を赤らめて俯いてしまった鮎河に、乙野さんが後ろから抱き付きながら俺に言った。
「おーおー、ヌエちゃんも中々のタラシですなぁ。でもアユちゃんはやらんぜー? アユちゃんはアタシのものだからやらんぜー? 今年のバレンタインの本命はアタシはアユちゃんって決めてたからやらんぜー?」
「ぶ、部長には副部長が居るじゃないですか!」
「ありゃ本命チョコじゃないわよ、馴染チョコよ。森枝だって毎年ホワイト・デイにきっちり同じ様な感じで返してくるしね。殆どただの習慣よー」
 ……で、俺は何で呼ばれたんだろう。遠回しな惚気を聞かされに来たんだろうか。
「だから正真正銘アタシの本命はアユちゃんよ、ホワイト・デイにはアユちゃん自身がプレゼントとかだと嬉しいわー」
「ちょ、ちょっと部長、変なトコ触らないで下さい!」
 何か勝手に楽しそうにしてるし帰ってもいいのかな……と、ぼんやり思い始めると部室に森枝さんが入ってきた。
「何してるんだ鈴風……またセクハラか。いい加減にしないと真面目に訴えられるぞ」
「アユちゃんはそんな事しないわよー」
「長谷がやるぞ」
「そ、それはそうね……もうアユちゃんには恋人が居るからちょっと自重しないとね」
 事件以来、長谷もどうやら少し変わったらしい。乙野さんの長谷に対する反応が前とは違うものになっている。というか怯えている。それなりに上手くやれている様なら、それはそれで安心する。乙野さんは相変わらず敬われていないみたいだが。
「今日は、暁さん。バレンタインの事で鈴風に呼ばれたのか?」
「あ、はい。まぁー、そうですね」
 正確には騙されたというのが近いんだが。
「悪いね、本当はプライベートな事だから首を突っ込むのは良くない事なんだが、思ったよりも暁さんのチョコを気にする人間が多くてね……どうにも皆抑えが効かない」
 じろり、と森枝さんは乙野さんを睨み付けるが、肝心の乙野さんは何処吹く風という態度で言う。
「ヌエちゃんは山瀬高校で一二を争う有名人なのよ、気にしない人間が怪訝しいわ!」
「別に無理に答えなくてもいいからな。俺は割とどうでもいいから」
「ちょっとアンタ副部長でしょう!? 部に貢献しなさいよ!」
「お前の趣味に貢献はしない」
「そんな事言ってると、折角アンタに用意してあげたチョコ渡さないわよー……情けない思いをさせない様にと用意してあげたアタシの愛の手を、アンタは突っぱねられるかしら?」
 何処からともなく取り出したチョコ(多分、渡す為にずっと用意しておいたのだろう)を、自信満々に見せ付ける乙野さん。何か間違っている。
「別にいいぞ」
「えぅ?」
 予想外の一言だったんだろう。きょとんとした顔で瞠目している。
「無理して用意したのなら逆に悪いしな、他の奴に渡せばいい」
「え? えぇぇ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「そもそも俺は愛情表現としてのバレンタイン・デイは尊重するが、ただの乱痴気騒ぎのイベントとしては興味無いからな」
「ちょ、待って」
 淡々と事務的に話す森枝さん。気のせいか乙野さん涙目になってきているが、いいのかな……。
「まぁ、暁さんもアレだ。鈴風になんかは付き合わずに戻っていいと思うぞ、鮎河もまだ鈴風に付き合って長谷に渡してないんだろう? 行ってくるといい」
「つ、つべこべ言わんと受け取らんかい!!」
 投げ付けたよ。
 追い詰められた勢い余ってか、節分の炒り豆宜しく力の限り投げられたチョコは綺麗に森枝さんの顔面に入った。
「女の子が渡すと言ってるチョコはぐだぐだ言わずに受け取りなさい! それが男子の努めよ!」
 顔真っ赤にしながら肩震わせて涙ぐみながら言われても全然説得力無いです乙野さん。
「……毎年毎年、普通に渡す事は出来ないのかお前は」
「煩いバーカ! 理屈捏ねるアンタが悪いのよバーカ!」
 仲いいなぁ……。
 そのまま普段通りに口喧嘩を始めた二人を、呆れているのか感心しているのか最早よく判らない心中で眺める俺の隣で、鮎河が可笑しそうに笑っていた。
「去年もあぁだったんですよ、素直じゃないというか解り合っているというか……羨ましいですよね」
「いや、まぁお前だって長谷が居るだろ?」
「そう……なんですけど」
 急にしゅんとしてしまう鮎河。
「え、まさか上手くいってないって訳じゃないだろ?」
「いえ……違うんです、その――誡君はモテるんです!!」
 わっと、顔を押さえて声を上げる鮎河。
 えぇー……俺にそういう話しないでくれ……。
「きっとわたしなんかよりもいい子はもっと居る筈だって思っちゃって……わたし特に何か取り得がある訳じゃないのに誡君と付き合い始めちゃって、しかも前と変わった事が特にある訳じゃないから不安になってきちゃって……」
 いや無理だって。
 俺にこの手の話題振るのが間違ってるって。
 何か変な汗出てきた……誰か助けてくれ。というか肝心の長谷は鮎河を思い詰めさせて何やってるんだ。幾ら何でも鈍過ぎるだろう、自分の事を好きだと言ってくれる奴が居るのに、剰え付き合ってるのに、この様は何なんだ。つまるところ俺を巻き込むな。
「えっ、えぇっとな、そのな鮎河。長谷もきっと鮎河の事を好きになったから付き合い始めた訳だからな? べ、別にそういう事は、ただ気にし過ぎって奴かも知れなくてだな」
 ……し、しどろもどろにしか話せない。
 おろおろする以外にこの場で俺に何が出来るんだよ!
「――そんな事無いよ雪華」
「うわぁ?! お前何処から出てきたんだ長谷!?」
「今日は、暁さん。気にしないで、今丁度来ただけだから」
 こいつ、こんなに心臓に悪い奴だったっけ……?
「ぼくは君のお陰で立ち直れたんだから、命の恩人みたいなものだよ。それ以上に大切な人なんてぼくには居ないよ。だから今日は、僕は君のチョコが欲しいんだ」
「誡君……」
 ……何だろう、いいシーンなのだろうかコレ。非常に気持ち悪く感じるのは何でだ。長谷の胡散臭さが為せる業なのか、それとも俺が変なのかな……。
 取り敢えず、何かもうこの部室居辛いから静かに出て行こう。
 教室に戻ろうと部室を出ると、ばったりと楢沢と出会った。疲れている俺の顔を見て部室の中で起こっている事が解ったのか、不思議と悟った様な顔で無言で肩に手を置かれた。
 そして楢沢はそのまま何も言わずに部室に入っていった。
 ……来年は、楢沢にチョコを用意してあげよう。


 放課後、僕は即行で家路に着いた。
 最早簓木のテリトリーである高校の中から一刻も早く脱出し、自宅で平穏なコーヒーブレイクをしたくて堪らない。今の今まで何も仕掛けられなかったのだから、残る可能性は下校のタイミングだろう。帰路の最中ですら通りすがる他人全員に気を張りながら、そして普段とは違うルートを選択して帰る事をしなければならないだろう。
 出来るだけ人目に付かない道で、それでいて最短で帰れるルート。自宅マンションにさえ入ってしまえば、それで僕の安全は保障される。あと一歩の努力だ槻木涼。
 あの犬の散歩をしている女性だって、もしかしたら簓木の仕掛け人でいきなり僕に爆竹チョコみたないものを渡してくる事さえ考えれる。思考の飛躍の憂慮は確かにあるけれども、簓木相手だったらこれぐらいで丁度いいぐらいだろう。
 歩いていたら頭上から業務用の岩石みたいなチョコが降ってくる事も考えられるから、高い建物の近くを歩くのもアウトだ。もしも僕の奇行と事情を知っている人が居たら、それは考え過ぎだと思うだろう。
 違う。
 それは否だ。
 絶対に否だ。
 日常に罠を絡めてくる事など、あの女からすれば容易な事で、それを回避する為ならばどんな些細な事すらも疑って掛からなければ生き残れない。
 それが僕が彼女と数年上付き合っている僕が下した結論であり真理だ。
 今だって塀の上を歩いている黒猫が居る。見ろ、あの特徴的なガーネットの付いた首輪。あれだって簓木が数年前に思い付いた企みの為に、数年掛けて仕込みに仕込んだ躾のされている猫かも知れない。そして突然僕に襲い掛かってきても、今のこの状況ならなんら不思議じゃない。
 暫く僕は黒猫から距離を取りつつ、大回りをする様に道をゆっくりと歩いた。厳戒態勢だ。何か来そうになったら能力(ベクター)を使う事すら僕は厭わない。
 黒猫は怪訝そうな(そう見えただけだが。猫に表情がある訳は無い)顔をして、何処かに歩いていった。
「ふぅ……」
 思わず嘆息する。
 もう家は目前だ。あと少しなんだ。
 ――と、そこでちらりと視界に白いものが掠めた。
「っ!?」
 反射的に〝全能の個(ペルソナ)〟を使って謎の物体を『固定』する。その正体を落ち着いて見て見ると、それは雪だった。
「糞っ……! ここに来て新しい要素か……!?」
 状況が変わった。雪が降ってくるという事すらも、天気予報から計算された罠に織り込み済みの事かも知れない。形振り構う段階じゃない、雪が影響を及ぼす程に積もってくる前に家に辿り着かなければ……!
 積もってしまって、風景に白い雪にカモフラージュを施してしまったら完全にアウトだ。そうなってしまえば僕に罠の在り処を知る事は出来なくなる!
 僕は走り出し、マンションのエントランスに飛び込んですぐさまエレベーターに乗り込んだ。誰も来ない事を祈りつつ、階数ボタンを押して自宅への距離を縮める事に一心不乱になる。
 何事も無くエレベーターは動き出し、そしてそのまま目的の階で止まる。エレベーターを降りて自宅の方へと駆け出し、ドアの前に滑り込む。
 そしてそのまま数秒待機。
 ……何も無い。
 起こらない。
「あぁ……勝った」
 僕は彼女の罠に勝った……狂気に囚われんばかりの注意を周囲に放ちながら、苦節の末の勝利だ。あとは、自宅の鍵を開けて、家に入ればそこは温かい独り暮らしの部屋……
「あ、お帰りなさい槻木君。遅かったわね」
 膝から絶望と共に崩れ落ちた。
「あらどうしたのかしら? そんな暗い顔をして? 今日はめでたいバレンタイン・デイよ?」
「どうやって侵入った!? 僕の家にどうやって侵入った!!」
「それは勿論、槻木君が体育の時間に鞄に鍵を入れっ放しにしている時に合鍵を作ったからよ」
「何でもありか君は! 大体何なんだ、あの新聞部へのインタビューは!」
「何ってどういう意味かしら? 私は嘘を吐くのは嫌いなのよ? だからあれは本心から出た槻木君への愛情の表れよ」
「嘘だ! 絶対に僕への嫌がらせだ!!」
「好きな子を、いぢめたくなる心理って、女の子にでもあるのよね……」
「巫山戯るな簓木!! 今日だって僕は、君が高校で何を仕掛けているか解らなかったが、こうして僕の家に居るところを見ると、結末を見る為だったんだろう!?」
「あ、惜しいわ。最後だけ合ってる」
「何ィ?!」
「正確には槻木君が疑心暗鬼に陥っている様子を今日一日中ライブ中継して、私は槻木君の家で大爆笑してたの。不思議に思わなかったかしら? 前日にあんな風に私と槻木君の関係が噂になっていたのに、当日に誰も何も言いに来なかった事を?」
 そう言えば確かに有馬孝之も何も言ってこなかったし、新聞部の長谷誡も特に何も言ってこなかった……。
「私からのバレンタインのプレゼントはスリリングな一日よ、楽しんでもらえたかしら」
 ぷふー、と吹き出しながら簓木は言う。
「録画もしてあるから、槻木君の失態プレーはずっと楽しめるわよー? あ、今から一緒に観ましょうよ。そうそう、あの、特に最後の滑り込み帰宅は、さ、最高だった、わ――あぁ、ごめんなさいもう無理だわ!」
 ぶっふ、と堪えていた笑いを彼女は最後に爆発させた。


 雪が降ってきた。
 曇天だというのに、同じ条件の雨とは違って雪だと何故か嫌にはならない。寧ろ物珍しいからか、気分は高揚してきて、柄にも無くはしゃぎたくすらある。
「あ、ヌエ。高校の帰り? バレンタインお疲れー」
「うん、まぁ毎年の事だけど、荷物一杯になっちゃうからな」
 何とも無く、いつもの様に俺は黒木探偵事務所に訪れていた。玄関で服に付いた雪を落として、貰ったチョコの紙袋を置く。
「おぉ、今年も大量だね」
「何か貰い過ぎて悪い気もするぐらいだよ」
「こういうのは皆好きで渡してるんだよ」
 あはは、と笑いながら捺夜は台所に立つ。バレンタインだからか、ココアの準備をしてくれているらしい。
「黒木は?」
「晨夜さんは自分の部屋、いつもと何も変わらないよ。折角のバレンタインだってのにね。あたしがチョコあげたのに『そうか、バレンタインか。有り難う彼方』って、何も調子変わらないの。もう慣れちゃったけどさ」
 言いながら、ホットココアを持ってきてくれた。
「有り難う捺夜。あ、そうだ。忘れない内に渡しておく、捺夜の分」
「わーい、ヌエからのチョコ、何気に楽しみなんだよね」
「そんなに大層なものじゃないんだが……」
「ふふっ、あたしは知ってるんだよ。ヌエが毎年ウロボロスのマスターに手伝ってもらってチョコを作っている事を。段々上手くなってきているのが、あたしのバレンタインの楽しみの一つなの」
「別に……親友に渡すものなんだから、手作りぐらいしてあげたいだけだよ」
「嬉しい言葉です。あたしも親友甲斐があるよ」
 可愛いらしく首を傾げさせながら捺夜は微笑う。
「はい、じゃあこれはあたしから」
「あぁ、毎年有り難う」
「その前に」
 受け取ろうとしたら手を引っ込められた。そして捺夜は変わらないにこにことした笑顔で続ける。
「ね、誰に渡したの?」
「……その話は、別にいいだろ」
「って事は渡したんでしょ? ね、渡したんでしょ?! 誰だれ?」
「渡してないよ。結局面倒臭くなって止めたんだ」
「えー、そうなのー? つまらないなぁ」
「面白がるなよ。別にどうだっていいだろ俺が誰に渡そうが。それより捺夜だって誰か本命は居ないのかよ。毎年、俺と黒木と、商店街の人とかに渡してるだけだろ」
「え? あたしはマスターが本命だよ」
「そう言えば中年オタクだったな捺夜は……」
「失礼なっ。あたしだっておじ様なら誰でも好きな訳じゃないんだよ」
「でも中年オタクには変わりないだろ」
「まぁそうだねー。あーあ、でも今年はヌエが本命さんを作ると思って期待してたのになぁ」
 残念そうにココアを啜る捺夜。それを見て、嘘を付いた事を心中で謝る。
 まぁ、でも。
 恥ずかしくて言えないよな。
 直接渡せなかったからって、下駄箱に置いてきたなんてさ。

おわり

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Märchen Funeral

Märchen Funeral


――それは、とっても不思議な体験でした。


 大晦日を過ぎて暫くした一月の事です。あたし、堂崎(どうざき)美和子(みわこ)は動物園に出掛けていました。
 子供の頃から動物が好きで、小学生の時には『動物博士になる』とか言っていて事もあります。中学生になった今は将来の事を真面目に考えて、シートンさんの様な博物学者になりたいと思う様になりました。
 ですが、あたしの家ではお母さんが動物嫌いで家ではペット禁止です。お父さんにも頼んでみましたが、やっぱりお母さんに敵わなかったらしくて駄目でした。よく考えてみたら、お父さんとお母さんに動物園に連れて行ってもらった時も、お母さんだけ遠くからあたし達を見ていた様な気がします。
 少し気になって調べてみたら、高所恐怖症みたいに動物恐怖症というものがあるみたいでした。きっとお母さんは昔に動物に嫌な思い出があるんだと思います。考えてみると、お買い物に行って道で野良の猫に会った時、お母さんはあたしの手を取って物凄い勢いで走り出したので多分原因は猫。
 可愛いのに。
 そういう訳で、中学生になって行ける場所が増えたあたしは定期的に一人で動物園に行く様になりました。
 お年玉を貰えて、お小遣いに余裕がある今回は少し遠出して、前から行きたいと思っていた大きな動物園に朝から行く準備をしていました。一人で知らない場所に行く不安と、色々な動物に会えるからと、前の日の夜は中々眠れませんでした。
 それが駄目だったんです。
「君、終点だよ」
「ふぇっ?」
 見事に寝過ごしました。
「え、えと、その」
 慌てて周りを見ると、電車の中にはあたしの他にはもう誰も居なくて、駅の名前も知らないものになってました。
「この電車回送になっちゃうからね、一旦降りてもらっていいかな」
「あ、あぁ、そ、その済みませんっ」
 困惑した表情であたしを見る駅員さんに、急に恥ずかしさが込み上げて来て、あたしは顔を真っ赤にしながら電車を降りました。
 兎に角恥ずかしさで駅員さんから離れたくて、事情が判る人の目があるのも恥ずかしくて、その目が届かないところまでホームを早歩きで移動しました。泣きそうで、少しパニックです。
 ホームを大分動くと、ベンチがあったのであたしは思わず座り込みました。零れそうになっていた涙を拭うと落ち着いて、今自分が何処に居るのか、駅を確認するぐらいの余裕が出来ました。
「えっと……」
 行こうと思っていた駅はあたしの駅と終点の駅の中間。一時間で着く予定だったから、単純に考えて一時間も電車で寝ていた事になります。
「もうお昼だ……」
 今から戻っても一時間掛かるし、そこから更にバスにも乗るから着く頃には午後二時前になっちゃう……それだと、一日で動物園を全部見て回れないし、そもそも普通に見て回るにも楽しめない……。
 ところで、あたしの動物園の回り方は他の人とは違うそうです。一つの場所を見るのに、何十分も掛けないとか――あたしにはそっちの方がよっぽど不思議です。
 なのであたしは、今から動物園に向かって中途半端になるのも嫌でしたし、かと言って家に帰るのも何だか悔しいので嫌でした。
 そこで出した結論は一つでした。
「うん、野良猫探ししよう」
 猫大好きなんです。
 折角なのであたしは、地元以外の野良猫に逢って、この失敗を取り戻す事にしました。地元の猫達とはもう皆友達なので、この機会に新しい輪を広げるのもいい事だと思います。
 見知らぬ土地で交流を深めるのって、何だかちょっとインターナショナルな気分です。
 そうと決まれば話は早く、あたしは早速改札を出ました。

 野良猫が居る場所は、何処でも似た様なものです。
 人通りが少なくて、それでいて人が居る様な場所――つまり、駐車場や公園、高架下、場合によっては民家やマンションの隙間です。ゴミ捨て場とかは餌場になる事が多いですし、公園で餌をあげている人も居ます。ただ、無責任に餌を与えるだけで、その地域の猫の事を考えていない人が大半なのが問題だそうです。
 そう言った事を解決する為に、地域で出来る限りを野良猫を管理しようという活動もあって、そうやって管理されている猫は『地域猫』と呼ぶそうです。
 餌場が無い場合でも、猫は基本的には肉食で繁華街の裏に出るネズミや例の黒い虫も食べるので、やっぱり最終的には人気の裏に住んでいる事が多いです。
 ちょうど駅は高架線にあったので、改札を出てすぐにあたしは高架沿いに歩き始めました。
 少し歩くと駐輪場がありました。今の時間帯だと、駐輪場の様な場所は殆ど人は来ない筈です。野良猫達が居る条件としてはぴったりだったので、あたしはそこで猫を探し始めました。沢山の自転車がある中で、ちらほらと猫が陰に隠れてこちらを見ているのが判ります。
 猫は基本的に自由気儘という印象が持たれていますが、それは同じ様に人に飼われる事が多い犬と比べているからだそうです。犬は社会性を持っていて飼い主に従う習性があるのに、猫は自分のテリトリーの中を歩き回るというところが、そういうイメージの原因なんだと思います。
 それと、犬と違って猫の習性は余り知られてない事があるから、気分屋と思われがちですが、それは正しくはありません。
 例えば、猫は目を合わせると警戒するので、犬の様に顔を見ながらじゃれるのは良くないです。だから、逆に視線を逸らしたり目を瞑ってあげる方が安心します。
 と言う事で、
「にゃー」
 実践です。
 近くに居た三毛猫に目線を合わせる様にしゃがんで、目を閉じたりして少し遠くから声掛け。人にそれなりに慣れている子だったら、これで警戒心を解ける筈です。
「…………」
 中々近付いてくれません。
 ですがあたしは諦めません。何故ならこういう時の為に動物用のビスケットは常備しています。鞄から取り出して、小さく砕いて投げてあげればきっとこっちに興味を持ってくれます!
「ほら、ビスケットだよー」
 ぽいっと投げてあげると、少し興味を持ってくれたらしく、こっちを窺ってきます。ですが、三毛猫はまだ警戒しているらしく、こっちに近付いてくれません。
「むぅ……」
 安心させる為に、ちょっと視線を外してみよう……。
 わざと遠くを見る様にしてあげると、ゆっくりと近付いて来てくれました。少し歩いてまたこっちを見てきますが、気にしない様にして目線は戻しません。それを繰り返している内に、ビスケットを齧り始めてくれました。
 少ない量で、あっという間に食べてしまったので、またビスケットを投げてあげると、それも食べてくれました。
 ……そろそろ平気かな。
 ある程度警戒しなくなってきたと思うので、もう我慢の限界も来ていたので、撫でてあげようと手を伸ばしてみました。
 ですが、そんな事は無かったらしく、
「あ」
 一目散に離れてしまいました。
「うー……」
 流石にそんなに甘くなかったみたいです。一定の距離を取ってこっちを見つめて、そのまま動きません。
 失敗しちゃった……。
 どうやらもう、仲良くなる事は出来そうにないので、残念ですが場所を変える事にします。
「きゃっ」
 立ち上がって駐輪場を出ようとして、あたしは思わず声をあげてしまいました。いつの間にか、近くの自転車のサドルに黒猫が居たからです。
「…………」
 あたしが驚いて声を出したのに、その黒猫は特に驚きもせずにそこでじっとあたしを見て来ます。普通だったらあっという間に逃げちゃうのに……。
 黒猫はどうやら飼い猫らしく、首輪を付けていました。赤くて綺麗な、宝石でしょうか、高そうな石が付いています。真っ黒で艶のある綺麗な毛並みに、金色の眼をしています――確か、金眼の黒猫は珍しくて、ボンベイ種が大半だった気がします。
 人に慣れている子なのかなぁ……。
『お前、堂崎美和子だろ?』
 じっと黒猫と睨めっこしていると、突然声を掛けられました。辺りを見回しますが、誰も居ません。
「えっ、だ、誰?」
『あたしだあたし。お前の目の前に居る猫だ』
 言われて、黒猫にばっと向き直ると、何処か面倒臭そうに、その子はにゃーと鳴きました。
「えっ……」
 猫?
 猫があたしに?
 猫があたしに話し掛けてる?
 それはつまり――
「も、もしかしてあたしもドリトル先生みたいに動物の声が、き、聞ける様に?!」
『違う』
 ばっさりです。何か手厳しいです。
「うぅ……じゃあ何であたしに黒猫さんの声が聞けるんですか」
『あたしはそういうものなんだよ』
「あぁ、そういうものなんですね」
 だったら仕方ありません。
『それで納得するのか……』
「? 違うんですか?」
『いや、いい。それでいいよ』
 黒猫さんは何故かジト目でこちらを見てきました。猫の奥深い味のある表情です。可愛い。猫じゃらしで喜んでくれるかな。鞄から取り出して試してみよう。
『で、だ。あたしはちょっとお前の案内役を頼まれて……るんだ』
 あ、反応した。
『だからもしも良かったら――あたしに付いて来て……くれ』
 やっぱり喋れても猫です。ちょいちょいと猫じゃらしの方に目が行っています。
『ここから少し歩く事になるけど――』
 ちょいちょい。あ、前脚動いた。
『どうせ暇……。暇だったんだろ?』
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
『いい加減にしろ!』
「えぅ?! ご、ごめんなさい!」
『仕舞え! それを仕舞え! 今すぐ!! あたしの話をちゃんと訊いてたのか?!』
「は、はい! えと、黒猫さんは誰かに頼まれてあたしを何処かに案内する様に、い、言われてたんですよね?」
『そう。それで? 返事は? 付いてくるのか! 来ないのか!』
「い、行きます! ごめんなさい! ちゃんと付いて行きますから、お、怒らないで下さい!」
 うぅ……この黒猫さん怖いです……。
『よし、判ればいい。それと、あたしの名前は黒猫じゃなくて柘榴(ざくろ)だ』
 黒猫さんは自転車から降りると、こちらを向いて言いました。
『宜しくな』
「あ、はい。宜しくお願いします、柘榴さん」
 どうしよう。
 勢いで答えちゃった。
 知らない人に付いていっちゃ行けないって言うけど……この場合はどうなるんだろう?

 柘榴さんに案内されて、あたしは駅から外れた裏道を歩いていました。殆ど人の居ない場所で、たまに地元の人と思しき人とすれ違うぐらいです。
 柘榴さんは垣根を歩いていて、話し掛けると応えて雑談くらいはしてくれますが、誰か他の人が居る時は黙ってしまいます。どうやら、柘榴さんの声はあたしにだけ聞こえるのではなくて、誰にでも聞こえてしまうみたいでした。
『ここだよ』
 駅から十五分程歩いた場所で柘榴さんは言いました。そこは小さな洋館で、周りの家と比べると、とても古い印象で何だか作り物みたいです。字は読めませんが『伽藍の堂』という何かのお店でしょうか、看板がありました。
『あたしは先に中に行ってるから、ノックすれば中に入れてもらえるよ』
 柘榴さんはそう言うと、敷地の中に姿を消してしまいました。
 辺りを見ても、ここの家主さんの名前が判る様なものは置いてなかったので、あたしは取り敢えずノックしてみる事にしました。
「あ、あのっ。柘榴さんに案内されてきたんですけどー……」
〝あぁ、美和子君だね。鍵は開いてるよ、中にどうぞ〟
 若い女の人の声です。
 何だかちょっと安心して、あたしは中に入りました。
「お邪魔しまーす……」
 そろそろと入った洋館の中は、外とは大分違う印象です。沢山の置物があって、よく判らないものが一杯飾られています。何処かの部族みたいなお面があると思ったら、洋風のお人形さんも置いてあります。あとは中国みたいな模様が入った、使い方の判らない三脚の釜みたいなものとかがあります。
「やぁ、いらっしゃい」
 きょろきょろとしているあたしを玄関で迎えてくれたのは、目隠しをして黒いワンピースを着た女の人でした。
「初めまして、私は藤堂(とうどう)鼎(かなえ)。ここ伽藍(がらん)の堂の主だよ」
「あ、ど、どうも初めましてっ。堂崎美和子です」
「うん、よく来てくれたね。私は外に出れないから柘榴君に道案内を頼んだんだけど、驚かせてしまったみたいだね」
 眼が不自由なのでしょうか、それで出歩けないのかと思いましたが、鼎さんは特に苦も無くあたしの前まで歩いてきました。
「私の眼はちゃんと見えるよ。普通の人よりもよく視えるぐらいだ」
「え?」
「ふふふっ、まぁ不思議だろうね。兎に角奥にどうぞ、色々と説明するから。お茶でも飲もう」

 奥に通されて、鼎さんは「そこに座って待っててくれるかな」とアンティークみたいなテーブルを指すと、言った通り普通にお茶の準備を始めました。柘榴さんも何処からかやってきて、テーブルの上に乗ります。そのまま柘榴さんは丸まって眠り始めてしまいました。かちゃかちゃと鼎さんが食器を動かす音だけがやけに響きます。
 …………。
 な、何か静か過ぎて沈黙が……。
「あ、あのっ」
「あぁ、いやいいよ。美和子君はお客さんだから、そこでゆっくりしていて」
「え、あ、はい」
 あれ、あたしまだ何も言ってないんだけど……? え? えぇ?
『カナエ。ミワコが付いて来れなくてパンクしそうな顔してるぞ。ちゃんと説明したのか』
 柘榴さんが目を瞑ったまま言いました。
「いや、まだだよ。お茶でも飲みながら話そうと思って」
 柘榴さんに応えながら、鼎さんはトレイを持ってきました。トレイにはポットとカップの他に、何かの花の蕾の様なものと空のガラスの容器が載っています。
「待たせたね」
「あ、い、いえ大丈夫ですっ」
 鼎さんはあたしの顔を見て微笑むと、椅子に座りました。
「さて、美和子君。何で君を呼んだかと言うとね――実は、私は魔女なんだ」
「え?」
『は?』
「え?」
『いや何でもない……』
 柘榴さんは怪訝しそうな声を出して身体を起こしましたが、そのまま、また眠り始めました。
「柘榴君が喋れるのも、私が目隠しをしたまま自由に動けるのもそれが理由なんだよ」
「あ、あぁっ! 成る程、だから外にも出られないんですね」
「そうなんだ。今の時代に魔女が平然と出歩く訳にはいかないからね」
 あっはっはっは、と鼎さんは笑いながらポットのお湯をガラス容器に注ぎます。
「そ、それで……何で、魔女さんが、あたしを……?」
 うん、それはね――と鼎さんは注いだお湯をまたポットに戻しました。ガラスの容器から湯気が立ち上り、鼎さんは湯気越しにあたしを見てきます。
「動物と、話せる様になりたくないかな?」
 一瞬、言われた事を理解するのに時間が掛かりました。
「えっと、それは……あたしにも魔法が使えるって事ですか?」
「そうだよ。簡単に言うと、私の弟子になってくれないかな、ってね」
 言いながら、鼎さんはまたガラスの容器にお湯を注ぎました。今度は注いだお湯は戻さず、そのままです。
「君には才能があるからね、是非私の跡を継いでほしいんだ」
「えっえっえっ、でも。そ、そんな突然言われても」
 ちょっと混乱してきました。魔法というものの存在には驚きましたが、実際に猫の柘榴さんと会話したのは事実ですし、鼎さんが目隠しをしながらでも動き回れているのは確かです。だからその辺りはもう信じていますが、あたしに魔法が使えるというのは、いきなり過ぎて信じられません。
 も、もしかして鼎さんはあたしを騙して何かの生贄にしようとしてるんじゃ……
 余りの不安に、そんな童話みたいな事を考えてしまいます。
「いやいや、そんな事は無いよ」
「えっ?!」
 こ、心まで読まれてる!?
「落ち着いて。そうだね、君が魔法を使える事を証明してあげるよ」
 と、鼎さんはトレイに乗せられた花の蕾をあたしに渡してきました。
「その蕾を掌で包んで咲く様に祈ってごらん。そしたら、それをこのお湯の中に入れるんだ」
「は、はい」
 言われるままに、あたしは蕾を手で包んで祈りました。枯れてしまっているのか、とてもかさかさしていて、力を込め過ぎると崩れてしまいそうです。
「うん、もういいね。それで十分君の魔力は込められた」
「こ、この中に入れればいいんですか?」
 鼎さんは微笑いながら頷きました。
 あたしは恐る恐る蕾をお湯の中に落としました。ちゃぷりと、蕾はお湯の中に沈んで、ガラスの底に触れます。すると、不思議な事が置きました。蕾が見る見る内に花開いて、お湯が綺麗な黄金色に変わります。
「わぁ……!」
 あっという間に、先刻まで蕾だった花は大きな白い菊になりました。
「ほら、言った通りだろう。君には才能がある。今みたいな簡単な魔法だったらすぐに使えるぐらいだ」
「す、凄いです! 蕾が咲きました!」
 それだけじゃないよ、と鼎さんは黄金色に変わった液体を、カップに注ぎます。
「飲んでごらん」
「は、はい。頂きます」
 こくり、と一口飲んでみると、香ばしい様な甘い様な、今まで感じた事の無い味がしました。
「あ、美味しい……」
「それが君の魔力の味だよ。どうかな、信じてもらえたかな?」
「す、凄いです! 感動しました!」
 それは良かった、と鼎さんもカップに口を付けます。
「うん、美味しい。柘榴君も飲むかい?」
『あたしはいいよ。二人で飲めばいい』
 あ、そう? と鼎さんは肩を竦めてまた一口飲みました。
「そ、それで本当にあたしも動物と話せる様になるんですかっ?」
 あたしは興奮してしまって、声が少し震えて変な声で鼎さんに訊いてしまいました。
「勿論。ただ、その為には条件があってね。守れるかな?」
「はい! 守ります」
「それじゃ、先ず一つ目は魔法の事、ここの事は誰にも言わない事。二つ目は、ここを訪れるのは一ヶ月に一度だけ。三つ目は、私が許すまで勝手に魔法を使わない事。四つ目は、決して自分の力を疑わない事、だ。いいかな?」
「はい。判りました、絶対に約束は破りません」
 いい子だね、と鼎さんは頬杖を付きながら目隠し越しにあたしを見ました。
 本当に、本当にあたしも魔法を使える様になれるんだ……。
 何だかそれはとても嬉しくて、自分が特別な事が出来るんだという事は、物凄くどきどきします。嬉し過ぎて、顔が綻ぶというんでしょうか、多分今のあたしは恥ずかしいぐらいにやにやしているかも知れません。でも、そんな事が気にならないぐらいにあたしは心の底から喜んでいました。
「それじゃ、もう時間も遅いし。魔法の事をちゃんと教えるのは次からにしよう」
「えっ? もうそんなに経ちましたか?」
 慌てて鞄からケータイを取り出して時間を見ると、いつの間にか午後の四時になっていました。もう夕方です。
「悪いけど、私は送ってあげる事が出来ないからね。柘榴君に案内させようか?」
「あ、いえっ、大丈夫です」
「そうか、じゃあ、次はまた二月に会おう」
「はいっ! 楽しみにしてます」

 美和子が居なくなった後の伽藍の堂で、柘榴が言った。
『……何であんな変な嘘を吐いたんだ? あたしが喋れるのはあたし自身の能力だし、あの蕾だってただの洋菊茶じゃないか』
「彼女は多分来月死ぬ」
 静かに洋菊茶を飲みながら鼎は言う。
『何だって?』
「あの子はね、不幸な事に死ぬ可能性が高い。そしてその死は、彼女の周囲の人間には正しく伝わらないし、正しく立ち会う者も居ない」
『ちょっと待てよ。カナエの能力では未来を知る事は出来ない筈だろ?』
「たまにあるんだよ、運命を糸で表すのはそれなりに正しくて、様々なモノが交差するが為に結節が出来る事が。彼女は偶然、私の糸の近くを通って、私も彼女の糸に気付いた。だから手繰り寄せてみたんだよ」
 鼎の言葉に、柘榴は何処か落ち着かなさそうに、尻尾をゆっくりと左右に振りながら言う。
『それで……お前はミワコを助けようとは思わなかったのか?』
「『ラプラスの魔』を受胎している私には世界に干渉する資格が無いし、美和子君だけを特別に導いてあげる訳にも行かない。だからもしも彼女が助かるとすれば、それはそうであったというだけの話だよ」
 聞きながら、柘榴は溜息を吐く様に喉を鳴らすと、テーブルから降りた。
『まぁ、カナエがそう言うのならそうなんだろうけどさ。あたしには今一理解出来ないね、何でミワコにあんな話をしたか』
 柘榴が部屋を出て行った後、墨色の服を着た堂の主は、ガラス容器の湯に揺蕩う白い菊の花を見ながら呟く。
「夢を与えて送り出す、ただの気まぐれの弔いさ」

 あたしが地元の駅に帰ってくると、改札口に見知った顔がありました。
「あれ、誡(かい)お兄ちゃん?」
「お帰り、美和子」
 そこに居たのは、お隣さんで高校生になった今でもたまに遊んでくれる長谷のお兄ちゃんです。あたしが小さい頃から家族同士での付き合いがあるせいか、殆どもう本当のお兄ちゃんみたいになっています。
「あ、うん。ただいま。何してるの?」
「美和子がちょうど帰ってくる頃合いだと思って迎えに来たんだよ。時間も遅いしね、幾らもう中学生だからって、小母さんも不安って事だよ」
「うー、別にそんなのいいのに……」
 こうやって極端に子供扱いされるのは恥ずかしいのに……しかもよりによって、誡お兄ちゃんに……。
「それだけ美和子が大切って事だよ。ぼくだってそうだしね」
「でもそれってどうせ、あたしが子供って事でしょ!」
「それだけじゃないよ。小母さんにとっては大切な可愛い娘で、ぼくからすれば大切な可愛い妹って事だからね」
 ……結局、『妹』っていう扱いなんだ。
 何だか少しむかむかします。
「それで? 今日は遠くの動物園に行ったんだって? どうだった?」
「え? えっと……それは」
 本当は鼎さんのところに行ってたんだけど、あそこに行ってた事は秘密にしないといけないし……誡お兄ちゃんは変なところで鋭いから、下手な嘘も吐けません。
「もしかして――動物園に行くっていうのは嘘だった?」
「えぇ?! そ、そんな事無いよっ」
「美和子、嘘吐くの下手だなぁ。恋人でも出来たのかな、今日はカレシと逢ってた、とか」
「ち、違うもん! そんなのじゃないもん! もうっ、揶ってくる誡お兄ちゃんには教えない! 内緒!」
 明らかに慌てるあたしを見て面白がってる誡お兄ちゃんを鞄で叩きながらも、何だか話が有耶無耶になったので、あたしは内心ほっとしていました。
 もしも。
 もしも本当にあたしが魔法を使える様になるのなら、動物と話せる様になりたいと思うのは勿論ですが、それよりもっとしたい事があるからです。
 いつもあたしを助けてくれる、一番大切な人の為に魔法を使ってあげたいな、と――あたしはそう思っています。

Märchen Funeral......End

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海に行くという事になった(中略)話

※この話はフィクションらしいです。登場する人物、団体は実在のものとは一切関係ありません。あと本編にも関係ありません。



 海に行くという事になったので皆にわいわいやらせてみようというコンセプトの下に書いてみたギャグとは銘打ったものの人数を扱って動かす描写スキルが不十分な上に今一つ経験値が無いので割と醒める出来になっちゃっても許してねと最初に釘を刺しておく話(タイトル)


 どうも初めまして槻木涼(つきのきりょう)です。本編ではまだ紹介もされていない登場人物の僕ですが、今回は語り部をさせてもらう事になりました。
 恐縮です。
 というか嫌な予感しかしないぞこの野郎。
 現状既に僕は碌でもない目に合う節がひしひしと感じられている。まだ何も起きていないが、それは決して平穏無事で済む事を示す訳ではない。現に『嵐の前の静けさ』なんていう有り難くも無い先達の軽妙なる表現のお言葉がある。
 殊更に、彼女が――簓木鏡花(ささらききょうか)が、僕に絡む時には碌でもない事が企画済みだと相場が決まっている。
 っていうか、暁夜鳥(あかつきぬえ)と黒木彼方(くろきかなた)を生徒会室に呼んでる時点で、もう何か色々間違ってるよね!! 僕のオルガノンの下っ端エージェント設定は何処に行ったんだよ! 交友関係は限定的に収めている筈だったのに……
「という訳で、海に行くわ」
「はぃ?」
「何今の返事? 水谷豊の物真似? 似てないわね。聞こえてなかったのならもう一度だけ言ってあげてるけど、海よ。夏なんだから海に行きたい、って話を今の今までしてたじゃない。まさか聞いてなかったとは言わせないわよ?」
「いやいや、話し合い開始何秒も経ってなかった気がするんだけど。というか、そんな描写は全く無かっただろう」
「馬鹿ね、シーンカットっていう技術が時には必要なのよ」
「ただのメタ発言じゃねぇか!?」
 はいはい、それじゃ話を進めるわよー、と簓木は僕を無視した。
「ヌエもカナちゃんも、海に行くって話は了解かしら?」
「あたしは別にいいよー、海に行くの初めてだから勝手がよく判らないけど」
「俺も、別に構わないが……」
 謎のシーンカットとやらにあっさりと順応して答える二人。僕が一人だけ怪訝しいのか。そう思った中、何故か暁夜鳥は煮え切らない態度で言い淀んだ。
 それに黒木彼方が訊く。
「あれ、何か都合悪いの、ヌエ?」
「いや、都合っていうか、その……」
 彼女は決まり悪そうに目を伏せ、
「……俺、水着持ってない。学校の奴しか」
 少し恥ずかしそうにそう言った。
 それに超反応で立ち上がり喰い付いたのは黒木彼方。
「スク水ッ!? ヌエがスク水?! 着てるところ凄く見てみたい!!」
 正に『ガタガタッ』というネットのアレ。
「ほら来たよ! 捺夜がそういう反応見せるだろうから、言い難かったんだ!」
「だってヌエがスクール水着を着るんでしょー、見―たーいー。絶対に可愛いもん、萌えるし! ヌエで萌えたいー」
 やたらと懐く猫の様に、黒木彼方は嫌がる暁夜鳥に撓垂れ掛かってスクール水着要請をする。何これ、空気がフワッフワッしてるんだけど。
「黒木彼方って、ああいうキャラだったっけ?」
「一ページ目の注意書きを忘れたのかしら槻木君? これは本編には一切関係無いのよ」
 なるほどなー。
 納得出来ねぇよ。
「いいじゃない、水着が無いなら今から買いに行けば。私もどうせだから新しく買いたいし、何よりヌエの水着を選ぶってのがこの上無く楽しそうだわぁ」
 ふふふっ、と妖しいというかもう完全に権謀術数で愉しむ事しか頭に無い顔で簓木は微笑う。完全にただのSです。
「あら失礼ね、そんな事無いわよ?」
 人の心読むんじゃねぇよ。
「どうかしら二人共。折角だから今から買いに行くのもいいと思うんだけど」
「うん、そうだねー。あたしもちょっと見ていこうかなぁ……初めてプール以外で泳ぐから、用意しておいた方がいいものがあったら買いたいし」
「俺は、あんまりそういう店に行かないから、教えてもらえると助かるかな」
「教えるよ! あたしが幾らでも教えるよ! ヌエの水着を選べる機会なんて滅多に無いんだから、普段の着せ替え欲求を満たす為にあたし頑張るよ!!」
「やっぱり遠慮してもいいですか」
「駄目よ。私だってヌエの普段の私服の選び方には口を出したくて堪らなかったんだから。せめて水着くらい私とカナちゃんで選ばせて欲しいわ」
「俺の趣味で俺が着る物なんだから別にいいだろ……絶対にやたらと俺に似合いそうにない恥ずかしいモノを押し付けてくるのが目に見えてるっ」
「違うの! 似合うの!!」
「何だその断言」
「そもそも私が海に行きたいのも、ヌエを水着姿にしたいだけだし。それでヌエが恥ずかしい思いをするだけで私の目的の五割は達成されるわ。あとの五割は槻木君が勝手に犬神家ばりに泥沼に嵌ってくれる事は判ってるから」
「お前色々と言っている事が怪訝しいぞ!?」
「普通よ。それとも、ヌエを赤裸々に引ん剥きたい! こう言えばよかったのかしら?」
「止めろ、お前が言うと割と本気臭いから止めろ」
「取り敢えず要約すると、ヌエはあたしと鏡花ちゃんと一緒に水着を買いに行くんだよね?」
「何でそうなる!!」
「えぇー、いいでしょヌエー。おーねーがーいー」
「おい、ちょっと、抱き付くなよ捺夜」
「もし言う事聞いてくれないなら、ヌエから預かってるCDのジャケットと中身を全部ランダムに入れ替える」
「何だその地味な嫌がらせ?!」
「あと序でにヌエのミュージックプレイヤーの曲を全部逆再生にする!」
「うっ、俺が機械音痴なのをいい事に……!」
「私は初めて買ったケータイを、着信に驚いた弾みで壊す様なレベルの機械音痴が悪いと思うけど」
「う、ううう煩い! 仕方無かったんだ! あの時はケータイが音と一緒に震えるなんて知らなかったんだ!!」
「あらあら? それで何でケータイが八十七個のパーツになるのか、私にはさっぱり解らないんだけれども?」
「あ、そう言えば鏡花ちゃん知らなかったよね。ヌエさ、有馬君にパソコンの使い方を教えてもらってる時に、どうしてかUSB端子を潰しちゃって泣きそうに」
「あーあーあーあーあー!! 判った、判った! 行くから、水着買いに行くから! 自由に選んでいいから!!」
「言質は取ったわ、私達の勝ちねカナちゃん」
「やった、考えるだけで楽しくなってきたっ」
 ……あれ。
 僕、今回の語り部じゃなかったっけ?
 何かハブられてねぇ?



 で、何やかんやと当日です。
 これは決して水着買いに行くシーンを書くのが面倒臭かった訳じゃなくて特に何事も無かったから端折っただけであり本当に別に怠惰な理由ではなくそのまま整然と海に行く予定の日が来てしまっただけの事。
 そう、ただそれだけの事。
 マジで。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
 常日頃からの鉄面皮での無愛想面で言ったのは、探偵・黒木晨夜(くろきしんや)。
 彼は黒木彼方がどうしても一緒に海に行きたいと駄々を捏ねて、事務所内での家事ストライキを起こす事で漸く来る事に了承したらしい。
「探偵さんは名目上引率ってところかしらね。一応、私達は皆まだ学生だし」
 そうか、と簓木の言葉に簡単に応える。どうやら海に行く事に関して自分が面倒に巻き込まれる事にならないのならば、どうでもいいらしい。
「ところで、質問が一つある」
「何ですか晨夜さん?」
「これは何だ?」
 ポン、と彼が手を置いたのは夏の日差しを受けて、鈍重な光を照り返す四輪駆動の金属の塊――要はワゴン車。
「どう見ても車だろ」
 暁夜鳥が言う。当然の事だけど。
「俺がそんな事を聞いているのかと思ったのか。何故、ここに車が移動手段と用意されているのかという事を俺は聞いている」
「何だ、そんな事か。それは簓木が用意したものだよ」
「それで? これは誰が運転するんだ?」
「誰って……そりゃあ勿論」
「俺は運転免許を持っていない」
 さらりと、黒木晨夜はこの場の前提が破綻する様な事を言った。
「……はぃ?」
「水谷豊の物真似か。似てないな。もう一度言おう、俺は運転免許を持っていない」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て。この車を用意したのは簓木だろう? 予め運転出来る人間が居る事を知っていて用意したんだろう?!」
「あたしも晨夜さんはてっきり運転出来るのかと思ってました……」
「黒木、お前運転出来なかったのか。じゃあ、どうするんだよ?」
 あたふたと三人で慌てていると、簓木が言った。
「ねー? ホントねー、大変ねー? どうしましょうかねー?」
「君また何か仕様も無い事考えてるな!!」
 顔が笑いを堪えて空気の抜けてる風船みたいになってるじゃないか! しかもこの事態に対して無茶苦茶余裕があるし――いや、そもそも僕は考え違いをしてないか? 簓木が、コンスタントに僕を陥れるのに定評のある簓木鏡花が、こんな単純で簡単な下調べ段階のミスをするだろうか?
 これは、もしかして、僕に対する、
「折角車も用意したんだし、こうなったら運転出来る人がするしかないわよねー?」
 ――殺す一刺し。
「えっ。もしかして鏡花ちゃんが運転するの?!」
「いや、お前まだ高校生だろうが」
「私じゃないわよ、法律違反になっちゃうじゃない。運転するのはね」
 嫌な予感しかしない。繰り返す。嫌な予感しかしない。ぐるりと、簓木は蛇の目で僕を微笑う。
「槻木君よ」
 ほら。きたこれ。
 何この華麗なキラーパス。惚れ惚れして受け取る前に死にたいんだけど。
「まぁ……、待ちなよ。落ち着きなよ。確かに僕は運転技術は持っているけれども、免許を持っている訳じゃないんだから違法に――」
「槻木君だったら別にいいわよね?」
「いやその理屈は怪訝しい!!」
「まぁ、涼君だったら……」
「槻木ならしょうがないな」
「何で納得するんだ君達は!? 黒木晨夜! 君は仮にも引率という立場で、しかも黒木彼方の保護者だろう?! 少しは止めるとかいう事をしたらどうなんだ!!」
 一喝すると、彼は本を閉じて(というか今まで無視して本読んでやがったな)面倒臭そうに一瞥した。
「――法律などどうでもいい」
「何カッコよく言ってやがるんだああああああああ!!」
「ほらほら、早くしないとページ数の無駄よ。さっさと運転しなさい。大丈夫よ、安全運転さえしていれば警察にとっ捕まる事は無いわ」
「納得出来ない。いや、納得して堪るものかっ――って、君達何で無視してもう車に乗り込んでるんだ!?」
 ちゃっかりもう全員荷物も積み込んで、もう完全に準備万端にしている。エンジンも掛かっていて大変地球に優しくないアイドリングで、二酸化炭素を撒き散らしながら僕の事を待っていた。
 しかも助手席には簓木。
 彼女は口をぱくぱく動かして僕に何かを言っていた。何を伝えようとしているのか判らないので唇を読んでみると、
『早く来ないと殺す』
 帰りてぇー。



 高速に乗り料金所の小父さんに怪訝な目を向けられつつ、覆面パトカーに怯えながら簓木にずっと小突かれ笑われる事、数時間。
 僕は、やっと海に辿り着いた。
「海だ……」
 月並みな表現になって申し訳無いが、青い空に白い雲、さざめく人の声に漣の水の音。都会とは微かにだが確かに違う空気と潮の香りが漂って、肌に当たる強い太陽の光が、海風のお陰で不快にはならない汗を掻かせる。
 ――あぁ、無事に生きている。
 今なら言える。
 警察の皆さんごめんなさい。僕は無免許運転で数十キロぐらい走りました。剰え高速に乗って普通に走ってパーキングエリアで休憩して、たこ焼きとかソフトクリームとか食べてました。美味しかったです。精神的にも救われました。でもそれも全部マキアヴェリ・デビル簓木鏡花のせいなので許して下さい。
 僕悪くないもん。
「おぉ――海だ」
「海だー!」
 車を降りるや否や、広い海原を前にしてはしゃぐ暁夜鳥と黒木彼方。特に黒木彼方の喜び方は子供の様だった。今まで一度も海に来た事が無いだけあって、それなりに初体験の衝撃は大きいのだろう。年甲斐も無く大声で騒いでいる。
「ねぇ海だよヌエ! すっごい広いよヌエ!」
「俺も久し振りに来たが、やっぱり、何かこう、爽快だなー」
「そんなに喜んでもらえると、私も連れて来た甲斐があったわ」
「おいこら、車を運転して来たのは僕だろう」
 海を前にして小さい男ね、と彼女は舌打ちする。何故かげしげし蹴られた。
「お前達、いつまでもぼさっとしていないで早く荷物を運び出したらどうだ」
 海に来てすらいつも通りのスタイルを崩さず、シャツにスラックスという恰好の黒木晨夜が言う。真夏だっていうのに長袖で、彼は顔色一つ変えずに涼しげだ。どうなってるんだこの人……鉄面皮序でに文字通り冷血で体温が低いのか?
「あ、そうですね。早く着替えて泳ぎたいですし! 勿論、晨夜さんもですよ?」
「…………まぁ、いいだろう」
 物凄く不服そうな溜めがあったけど、バファリン一錠分ぐらいの優しさはあったらしい。
「それじゃあ、私達女性陣は先に行って着替えてるわ。無論、男性陣は荷物を運んでおいてね」
「あー、はいはい。大体予想はしてたからいいよ。さっさと行って来なよ」
 いい子よ槻木君、と簓木は必要最低限の物だけ持って、女子二人を伴って海の方に向かって行く。僕はちゃっちゃっと荷物を運び出してしまおうと(黒木晨夜は本を読んでいた。働く気が無いらしい)していると、何故か暁夜鳥だけが戻ってきた。
「何か忘れ物?」
「いや、俺も運ぼうか、槻木? お前細そうだし、日差し強いからさ。俺の方がお前よりも力仕事は出来ると思うが」
「……君、何気に酷いよね」

 意地でクーラーボックスやらその他諸々の遊泳道具やらの荷物を一人で運び出して、パラソル借りて砂浜にぶっ刺してシートを敷いて準備を完璧に整えた後に、僕は水着に着替えた。
「……疲れた」
 まだ泳いですらいないのに、パラソルの日陰に座り込んだ途端に、どっと疲れが出てきた。簓木に何か言われる前にと、彼女が戻ってくるより早く準備まで済ませようって全力だったからな……気が付くといつの間にか探偵がやってきていて、既に着替えてまた本を読んでいた。
「…………」
 自由過ぎるだろこの人。
「ご苦労様、ちゃんと準備は出来たみたいね」
 半ば僕が項垂れていると、やっと女性陣が着替えを終えてやってきた。
「おぉっ」
 悔しい事に三人の水着姿に思わず声を出してしまった僕。けど健全な男子高校生がこういう反応をしても仕様が無いだろう?! 無視など出来るだろうか? 否、出来ない。
 と、反語使ってまで正当化しようとしてるけれども、恥ずかしい事をしてしまったという思いには変わりは無く。思わず平静を取り繕う僕は小さい男ですか、そうですか。しかし僕という人物設定的には、彼女達の姿の詳しい描写なんかしてられない。気になる人はブログのトップ絵を舐める様に見つめればいいだけの事だ。
「――流石に似合ってるね」
 オーケー。誤魔化した。完璧だ。さり気無く、それでいて気の利いている必要最低限の社交辞令まで加味した感想。本音と建前の境界線上で嫌らしさも無く、だけど決して女性的魅力を感じていない訳ではない事を汲み取れる発言だ。これで僕のキャラクターが変な方向に損なわれる事も無いだろう。
「……あら? あらあらぁ? まさか、私の肢体を見て感想がそれだけな訳無いわよねぇ、槻木君。しかもヌエとカナちゃんまで居るっていうのに、そんな淡白に居られる男が居るかしら? あ、探偵さんは例外よ」
 目敏く僕の僅かな隠蔽の機微に感付いて、胸を強調する様ににじり寄って来る簓木。黒いビキニでたわわな胸の谷間がよく見えてしまい思わずそこに目が、じゃなくて! 乗らねぇよッ!! くそっ、悔しい事に彼女のスタイルはいい事は確かだ。
 黒いビキニスタイルで大人の色香を演出してきたのか、それでなくても普段からSっ気を醸し出して婀娜っぽい時があるっていうのに、露出した無防備な恰好で逆に誘われている様ななななな何を言ってるんだ僕は……?!
「ねぇ……無理はいけないわよ……?」
 くっ、と僕の頤に手を当て、気が付くと半ば伸し掛かられる様にされていた。彼女の胸がぎりぎりのところで僕の胸板に当たりそうで、あとちょっとで未知の領域の感触を味わえそうなのにもどかしくてもうゴメンナサイ勘弁して下さい。
 核爆発実験地(ビキニ)とは昔の人はよくそんな表現考え付いたよね! 馬鹿じゃないの?! 思わず尊敬しそうになっちゃったじゃないか!!
「正直に言います。簓木サンをエロいと思いました許して下さい」
 砂浜に土下座。
「そうね、人間素直なのが一番可愛いわよー?」
 君の場合は『可愛い』の意味が違う。
「ほら、折角水着姿の美少女が三人も居るのよ? 全員分の感想ぐらい言いなさい」
 ネタ的に美味しいし。最後にぼそりと簓木はそう言った。
 聞こえてるよ。いや、聞こえる様に言ったんだろうけどさ。
 まぁ、確かに男としてここまで来たらもう真情を暴露、もとい吐露しないというのは据え膳食わぬは何とやら用法違ぇ。
 きっと意を決して頭を上げて、もう何の躊躇いも無く黒木彼方と暁夜鳥の水着姿を視界に収める。目の保養です。眼福。
「な、何かそう改まって見られると恥ずかしいんだけど、涼君……」
 あはは、と少し恥ずかしそうに笑う黒木彼方。暁夜鳥は無言で居た堪れなさそうに肌の出ている身体を微妙に隠そうとしていた。
 水着姿ではにかむ女の子。ポイント高し。
 黒木彼方はフリルのチューブトップとスカート水着で、全体的に露出は控え目ではあるが、しかしところがどっこい彼女の身体は綺麗に引き締まっていて、可愛らしい布地の下が見えない事で逆に想像力を掻き立てられるっていう。
 一言で言うと、
「つまり君は絶対領域系だ……!!」
「え、えっ? な、何かよく判らないけど有り難うございます!」
「指差して力説する事じゃないわよ。カナちゃんも槻木君にそんなお辞儀なんかしなくてもいいのよ?」
 煩ぇよ。
「でもやっぱり褒められると嬉しいし」
 えへへー、と照れ笑いする黒木彼方。
「晨夜さん、あたしは絶対領域系みたいですよ! どうですか!?」
 僕の言った事を、恐らく意味はちゃんと判ってないだろうに嬉々としながら黒木晨夜に感想を求める彼女。訊かれた方は複雑そうな左右非対称の表情をしていたが、意外な事に割と普通に返答した。
「そうだな、可愛いぞ、かなた」
「ホントですか!? 嬉しいですっ!」
 感情勢い余って黒木晨夜の片腕に抱き付く黒木彼方。それをこなれた調子で彼は「あぁ、本当だ」と頭を撫でていた。
 何この迸るリア充臭。
 唾吐き付けたくなる気分で辟易していると、暁夜鳥と目が合った。
「…………」
「……べ、別に感想を言われても俺は構わないぞっ」
 そこでツンデレテンプレかよ。リアルだと聞いてるこっちが恥ずかしい……。
 まぁ一応。義務的に。
 暁夜鳥の水着はセパレートでビキニよりは露出は抑えてあるし、パーカーも着てしまっているので露出は非常に少ない。小柄で細身の身体は、それはそれで何かそそられるものはある。髪の毛も普段と違ってアップにしているから、普段の物静かそうな印象と違って見えて、ギャップもあっていい。
 けれども、
「まぁ、あれだよね」
 つまるところ、
「貧にゅ」
 僕の身体が吹っ飛んだ。
 一瞬何が起こったか理解出来ず、気が付いた時には顔面から三回後転していた。そして先刻の位置から五メートルぐらいの場所で眩しい太陽を拝みながら大の字に。顔がヒリヒリしていて日差しで余計に熱い。
 肘を突いて体を起こし前方を確認すると、そこにはカーズ様とガチで殴り合えそうな鬼神の如き背をこちらに見せて立っている暁夜鳥が居た。
「あ、あぁ……な、成る程……」
 ■■は〝禁句″だった、か――
 全てを理解すると僕は気絶した。

 じりじりと。
 熱い感覚。
 日差しの暑さというよりも、夏の空気の熱さだ。
 うっすらと目を開けると、その理由が判った。骨に張られた布地。パラソルの日陰の下に居るから日が当たっていない様だ。そしてどうやら僕は気を失った後、そこに寝かされて居たらしい。
 あー……。
 まだ、頭がぼーっとする。
「気が付いたのか」
「あぁ、暁夜鳥か。全く、君も酷いね。仮にも〝人間以上人外未満〟の媒介者(ベクター)が、本気の蹴りを顔面に極めるなんて」
「お前だって能力者だろ」
「僕の身体能力は常人だ」
 そうだったな、と彼女は薄く微笑うと僕の額に手を乗せて軽く撫でた。
 迂闊にも。
 僕は見惚れた。
 珍しく彼女が他人に見せた素直に穏やかな顔を見上げて、僕は少し――柔らかな気分になった気がした。
 よく考えてみると、こんな風に普通の日常を過ごすのは初めてな気がする……子供の頃に媒介者(ベクター)になって会社に拾われてから今までずっと、ただ人を殺したりしていただけだから。
 大して親しくもない少女に、初めての安穏を貰ったという事が急に気恥ずかしくなって、僕は寝返りを打って海の方に視線を移した。
 海では黒木彼方がはしゃいで浅瀬で簓木と水を飛ばし合っている。近くでは黒木晨夜がゴムボートの上で寝ていた。
 本当に。
 穏やかだ。
 吐き気がする程に。
 考えられもしない『日常』。こんなのんびりと、牧歌的な時間を享受しているという事がとても信じられない。見上げると、友達の様な人間が居て、友達の様に会話している。
 とてもじゃないが、これを幸福と呼ぶ気にはなれなかった。
 っていうか、あれ?
 何か不自然じゃない?
 物凄くスルーしてたけど、何で僕寝ている状態なのに彼女の顔を見上げてるの?
「もう少し寝てたら起き上がれるだろ」
「えっ、あぁうん」
 よくよく自分の今置かれている状況を鑑みてみると、僕は今暁夜鳥の身体の下に居る。そして肘を突いている訳でもないのに横向きの姿勢で楽に寝ていた。
 で、頭は柔らかい彼女の腿の上。
「膝枕かよっ!?」
「うおっ、何だ急に。吃驚するだろ」
「こっちが吃驚だ! 気を失って気が付いたら膝枕ぁ?! 何だそれラブコメでもやりたいの!? 今回のジャンルはラブコメなのか?!」
「何言ってるんだお前」
 僕が全力で起き上がって全開でツッコミを入れると、彼女は申し訳無さそうに言った。
「……膝枕、気持ち悪かったか。寝辛そうだと思ったんだが」
 彼女は少し眉を下げてバツが悪そうに目線を逸らす。僕は思わず、うっ、と言葉につまった。
「……いや」
 不味い、何か僕が悪い事したみたいに感じている。
「いや、別にそういう事じゃなくて寧ろ気持ちはよかった方なんだけれども何かそんな事よりも色々と急で阿呆らしい展開に頭が追い付かなくて思わずあんな事を口走ってしまっただけで」
 俎板の鯉。もうどうにでもなれという感じだ。
「――要約すると全く問題はありませんでした」
 僕が一気に言い切ると、そっか、と彼女はまたあの柔らかい笑顔で微笑ってくれた。
「だったら休めよ。俺、悪い事したしさ」
 ぽん、と彼女は膝の上に手を置く。
「……まぁ」
 たまにはいいか。
 そんな事を誰にも聞こえない声で呟いて、僕はまた彼女の膝の上に寝転がった。
「早く起きろよ。悪いとは思ってるが、これ、結構恥ずかしいんだから」
「君にそんな思いをさせる機会なんて無いから、悪いけどゆっくり休ませてもらうよ」
「嫌な奴だ」
「どうも」
 適当な会話を交わすだけのぼんやりとした時間は、すぐに日を落とさせた。馬鹿みたいに穏やかに、呆けているだけだった。
 そして。
 そんな僕達の様子を、浅瀬から含み笑っている簓木に僕は気が付いていなかった。



 そして勿論落ちは付く。
 早い事に翌日に。
『早く起きろよ。悪いとは思ってるが、これ、結構恥ずかしいんだから』
『君にそんな思いをさせる機会なんて無いから、悪いけどゆっくり休ませてもらうよ』
『嫌な奴だ』
『どうも』
 少し雑音の入った昨日の出来事。
 聞こえてくる声は、僕のものだが少し違和感を感じてしまう。機械で再生されているものだから、それは当然なのだけれども、問題は何でそんなモノがここで流されているのか、という事だ。
 生徒会室で響く何も考えずにしていた海での恥ずかしい会話をリピートさせているのは、我らが生徒会副会長・簓木鏡花。因みに顔を押さえて大爆笑を堪えている。
「…………何これ」
 僕が耐え切れずに苦虫を噛み潰した様な顔で訊くと、簓木はとうとう吹き出した。そしてぷるぷる震えながら笑うのを我慢して言う。
「だ、大分海は楽しめたみたいね、槻木君?」
 ぶふっ、とそこまで言って彼女はまた吹き出した。
「何、これ?」
「いえ、別に槻木君の初体験を記録しておいただけよ?」
「微妙に勘違いされる様な言い回しをするな」
「私は今、巣立ちを見守る母鳥の気分よ?」
「何処の世界に小鳥を巣から蹴落とす真似をする母鳥が居る!!」
 顔はにやけ切ってるしさぁ!
「あぁっ、槻木君がとうとうヌエと関係を持つなんて、夢の様だわ!」
「言うに事欠いて下ネタかよ!!」
「大丈夫よ、貴方は童帝になれる素質があると信じてるわ」
「ヴァンはカッコイイよなぁ!?」
 畜生、作者落ち着け。
「はー、面白かったわ。本当に槻木君はいぢめるの楽しいわね」
「満足して頂いてっ、光栄ですよっ」
 いえいえこちらこそ、と彼女は言う。
「あぁ、それとね、ヌエと仲良くなると漏れ無く近隣の女子学生達に付け狙われるから、気を付けなさいねー?」
 それじゃ、楽しかったでしょ? と彼女は最後の最後で嫌な事を言っていった。
「…………」
 確かに。
 確かにさ、悔しい事に楽しかったさ。
 けど、ただ一つ大声で言える事がある。
「やっぱり日常なんて糞喰らぇええええええええええええ!」


 おまけ 鼎談+一匹


「ところで、今回ワタシ達の出番は無いのかしら?」
「何を言ってるのさキルシェさん? 私達は『本編』からすると『外伝』みたいな位置付けのキャラだよ?」
「はい! あたしも納得出来ませんカナエさん! 海であたしが己(つちのと)さんとデートする様なシーンは無いんですか!?」
「無いよ?」
「あっさり過ぎますよ?!」
「ワタシだって海で男見付けたり、恋人候補の新キャラ出してくれたっていいじゃない。その権利がワタシにはある筈だわ!」
『適齢期を逃した奴は見苦しいね』
「煩いわよランガージュ。あぁもうこの際、手頃なアリスとかで我慢しようかしら……」
『ちょっと待て、何をさらりと言っているんだキルシェ!』
「だから煩いわよランガージュ、猫の癖に。猫じゃらしにじゃれて読者を和ませてでもいなさい」
『誰がじゃれるか!』
「はいはーい、あたしには公式設定で恋人が居るんですけどー!」
『ツキミもいい加減に見苦しいぞ。大体ツチノトからしたら、ただのコブみたいなものじゃないか』
「燃やし、ますよ……?」
「月見君、家で暴れるのは止めて欲しいな」
「煩いですよカナエさん、独り身の僻みですかっ? ヒステリーは嫌われますよ!」
「君の方が余程ヒステリックだけど。それに、私には一応、恋人と呼べる人間は居るよ?」
「なっ、裏切ったのねカナエ!」
「いや、別に裏切ってないよキルシェさん。そもそも知ってるじゃないか、彼にキルシェさんは振られたんだし」
「えっ、何ですか、キルシェって振られた事あるんですか?」
「まぁ、結構古い話になるけれども」
『やっぱり適齢期を逃したから』
「そんな話はしないでいいのよ!!」
「カナエさん、あたしその話無茶苦茶聞きたいんですけど! 特にキルシェの無様なところってトコが!」
「うん、まぁ今度してもいいかな。作者も書こうって考えてるし」
「ワタシは登場人物として断固として拒否するわよ!?」
「メタに対する拒否権は無いよキルシェさん」



「……なぁ、俺達って何の為に用意されたキャラクターなんだろうな」
「そんな事より人殺したい。お前殺してもいいか?」
「そうだな……俺が間違ってるんだな……」















Q.そう言えば横戸君はどうしたんですか?
A.出ません。

おわり

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