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Miraculous Answerer 6/ザラスシュトラの話

6/ザラスシュトラの話


「あたしの神を……殺す?」
 鼎の言葉に月見は戸惑いながら応じた。
「そうだよ。高が偽神の一柱、折るのは他愛も無い」
 対して鼎は、微笑んでいる。余裕だ――月見はそう感じ、焦る。
 ある意味で、駆け引きをしにここへ来たというのに、ずっと先手を打たれていた。恐らくは、自分の目的すらも把握されている事を考えると、乗せられてしまえば相手の思う壺だろう。
 自分からも何か仕掛けなければならない……。けれど、そんな気は起きなかった。
 ただ、鼎の話を聞きたい。
(あたしの事を識っていて、答えを持ってるのなら……)
 それが出来るだろう相手だからこそ、寧ろ自分から何かをする気はしなかった。
「――偽神って、どういう事ですか。神様は神様だと思うんですけど」
 訊いた。自分から。
 もう駄目だろう。火が点いている。
 ここからは鼎に対する見極めの会話ではなく、自らの好奇心だけで話が進んでいく。当初の狙いなど糞喰らえ。それに神を殺そうとしてここに来たのだから、相手から神を殺してくれるのなら願ったり叶ったりだ。
「真神を知っている人は少ない」
 鼎が言う。
「例えば。有栖君、君は神と言ったらどんなのを思い付く?」
「え? 俺っすか? えっと……キリストとか」
「じゃあ、由君は?」
「……YHVH、アッラー、〝父〟、ゼウスですかね」
「それじゃ、キルシェさん」
「ワタシは神なんて糞親父知らないわ」
「柘榴君は?」
『ん? あたしに人間の神なんて聞かないでよ』
 全員に聞き終えると、うん、と鼎は満足そうに頷いた。
「解るかな月見君? 今出てきた神は全て偽神だ」
「……宗教に喧嘩を売りたいんですか?」
 違うよ、と鼎は微笑いながら言う。
「要はね、神(ゴツド)も、神(ディオ)も、神(デウス)も、神(ヤハウェ)も、神(アッラー)も。皆神、同じ神なんだ。それも人格化というプロセスの挿まった、信仰であり妄想の対象のね」
「人格化?」
 その通り、と鼎は続ける。
「宗教に宛がわれた神は、コミュニティ内で発生する共通の無意識の望みから来る逃避を以って作り上げられた偽神なんだよ。だからこそ神格が都合よく自分達の救世を行い、寄る辺として広がって、その位格を上げて君臨する」
 鼎は超越的絶対者の教えを受けるという、宗教のシステムの根源的矛盾を言っている。何故、本来聖なる禁忌として触れざる実体を誰かが突き止め、それに名など与える事が出来るのか。その時点で、凡そ〝神〟とされるものは、開祖よりも下に居る。
 天啓を受けた? 光臨した? 遣わされた? それは全て『始まり』に根差す隘路たる疑惑だ。
「そもそも個人に宿っている偽神はバラバラだ。先刻私は訊いたね、神の名を。そうしたら出てきたのは皆違う名だ。怪訝しいだろう? 何で唯一絶対たる神が様々な形態を取るんだい?」
「それは……」
 絶対者が色々な形を取った時点で相対者に堕ちている。束縛される神など神ではない。
(……神が、死んだ)
 そう、名を持つ神は全て遺骸だ。そこから復活も出来ないモノがどうして超越を語れる。だからこその偽神。
(そんなのって、こんな……。じゃあ、あたしはどうすればいいの? あたしの見ていた神って何だったの……?)
 揺れ動く。
 視界が、自分が、世界が。
 信じるべきものが崩されて、己を支えていた一柱が折られて、月見は胸の奥に掻き毟って取り出したいモノを感じる。これでは、こんな殺し方では、意味が無い。解放されないのだから。
(え?)
 ――解放されない?
 そう。
 一つ、腑に落ちない事がある。
(神様はあたしを決めていた。運命を作ってた。けど、死んでるんなら、そんな事は出来ない筈なのに)
 まだ、作っている。
 自分の行動を自分の意思で決めているという証明が無い。この時点では、まだ月見自身の心の中では、決定者が誰だか解らないのだ。
 己は己なのか、それとも『何か』に内包され続けているのか――殺し切れていない。別の神だ。いや、どころか、ここで否定されたのは偽神だけで、まだ〝神〟は生きている。
 試す様な口調で鼎が言った。
「月見君、君は自分の神の名を言えるかな?」
「…………」
 鼎は微笑っている――あの人はあたしを解っている。だったら、正直に答えればいいのだ。自信を持って、確かな言葉で。
 月見は答えた。
「あたしの神様に名前はありません」
「その通り!!」
 鼎は快哉を叫ぶ様に言う。
「ニーチェが殺し切れなかった神の方を君は見ていた。ツァラトゥストラが語る言葉とは別の物を見ていたんだよ。『神は死んだ』なんて大仰な騙り文句の時代的側面によく騙されなかったね。偽神は死んだけれども、真神には傷一つ付いていないんだから」
「だったら、尚更です。あたしはカナエさんを殺します」
 チリッ、と空気が熱を帯びる。〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟で燃された空気が鼎を威嚇していた。
 月見の雰囲気が変わった事を敏感にキルシェは感じ取り、彼女も殺気立ち始める。場が急激に気色ばみ、由はそうでもなかったが、戦闘能力が皆無に近い有栖と柘榴はそわそわしていた。
「まだ話は終わっていないよ」
 裏腹に、鼎の平坦な声が通った。
「私は君の神を殺すと言った筈だよ。君が見ているのもまた、偽神の亜種に過ぎないんだから」
「カナエ、悪いけど話は終わりにするわよ。今この放火女ははっきりとアンタを殺すと言ったわ。これは明確なオルガノンに対する敵対行為よ」
「話に割り込まないでよ化物。今はあたしとカナエさんが話してるの。何がオルガノンへの敵対行為なの? 勝手にあたしの事を野放しにしてた癖に、今更騒がないでよ」
 目も合わさずに言う月見に、キルシェは、ギリ、と奥歯を噛んだ。
「こ、の、糞ガキ……。調子に乗ってんじゃないわよ、この世界の事を何も知らないで打ち壊す事しか考えられないのに、自己中心な振る舞いは止しなさい」
「それ、そのまま返す」
「今直ぐ血ィ吸い尽くしてやろうか?!」
「消し炭にするっての、化物」
「仲いいね君達」
 取り敢えず、と熱り立って椅子から立ち上がり掛けているキルシェの肩に鼎は手を置いた。
「私も話を続けたいから、落ち着いてもらえるかなキルシェさん。私の能力は知ってるだろう? ちゃんと考えているから大丈夫」
 キルシェは息巻いたまま何かを言おうとしたが、渋々と座った。そして乱暴な手付きで煙草を取り出し、火を点ける。一吸いして燻らせようとすると、物凄い勢いで煙草は一気にフィルターまで燃え尽きてしまった。
「煙草、臭いから止めて」
 燃えカスを見てぽかんとするキルシェを余所に、月見が見下した様な眼で言いながら、煙草を箱ごと燃やしていた。
「ハッ――はははっ。カナエ、あのガキ殺していいかしら!?」
「落ち着いて。二人ともいい歳なんだから、私にゆっくり話ぐらいさせてほしいね。キルシェさんの煙草ならカートンで買い置きしておいたから、外で吸ってきなよ。月見君もそれならいいだろう?」
 つーん、とした態度で月見は答えなかった。「Damn……Damn……!!」とキルシェは何かを罵りながら、仮装の帽子を床に投げ付け部屋を出て行った。
「あの……出来れば俺もこの空気にガクブル状態なんで解放してもらえると嬉しいなぁ……なんて」
 その後に有栖が恐る恐るといった感じで手を挙げる。
 対して鼎は笑顔だった。
「……その、なんていうか」
 表情が口元しか判らなくても断言出来る笑顔だった。
「いや、その……何でも無いですスンマセン」
 有栖はがっくりと首を落として項垂れた。女装させられているので余計に妙な哀愁が漂う。膝元の柘榴がぽんと手を置いて慰めていた。
(俺、こんなヘタレに殺し合いで負けたのか……)
 由は由で、度を過ぎたマイペースで場に馴染んでいる。
「さぁ、話を戻そう」
 鼎は手を組んで月見に向き直った。
「君が私を殺そうとしている理由は、君の偽神に直結しているね」
「そうです。ただ、あたしの神様は偽者じゃありませんよ。名前なんて無いし、救世なんか求めてない。ただそこに在るだけのものです」
「そこまでは正しかったんだよ」
 口惜しそうに鼎は言った。
「けれど、それ以降を間違えた。神の特定までは辿り着いたのに、その後、収斂させてしまったんだ。ただ一つのものに」
「それの、何が間違いなんですか? そもそも、神様なんて世界をアレコレするだけじゃないですか、その為だけにしか存在してませんよ」
 少し苛ついた口調で月見は言う。
 それに、いいや、と鼎は首を横に振った。
「真神を知るにはね、そこから更に広げないと見失うんだ。神は特定されたままだと矛盾する。先刻言った様に、偽神は名を与えられると死んでしまう。神を特定した状態で置いておくのも同じ事だ。だから、神は全である事を思い出さなければならない」
 解るかな、と鼎は問う。
 月見は睨め付け口を噤み、応えなかった。
「神は神である必要すら無い。そこに在りながら、世界の何処にも居ないんだ。何故なら、それは個が投影した実体でありながら普遍的なモノだからだよ」
「そんな……そんな馬鹿な話はありません!」
 月見はテーブルを叩いて立ち上がった。
 自分が思ってきていた事と真っ向から反する神の姿を提示され、反発して彼女は感情的になっている。絶対的だと信じてきたものが、余りにもあやふやで曖昧な形に歪められ、到底受け入れる事が出来ない。
 自らの『上』に居る筈の存在が、それぞれによって違う形を持っていながら、その底で繋がっているなどという事を信じられる訳が無い。それでは偽神よりも酷い。まるで浮かび上がっては直ぐに消えていく、不気味な泡(ブギーポツプ)の様に、居るのか居ないのか解らないものになってしまう。
「神様は全てなんですよね? だったらそんな、今そこにしか居ない様な言い方をされるものが神様な訳ありません、じゃないと変です! 過去も未来も現在も神様が決めた事の筈なんだから!!」
 声を荒げる月見に対し、鼎は静かに言った。
「それだよ。それが君の神が偽神たる所以だ。そして同時に、私を殺す理由だね――正確には、『ラプラスの魔物』を殺す、ね」
 唐突に自分の目的の核心を衝かれ、月見は驚いた様に言葉を詰まらせる。
 鼎は続けた。
「有栖君、君は神を信じてるかい?」
「はい? え、お、俺ですか? いやぁ……まぁ、信じてるっちゃ信じてますけど」
「じゃあ、自分のやっている事は神に与えられた試練だとか思った事はあるかな?」
「いや、俺日本人っすよ? そんな面倒臭ぇ事考えて生きてませんよ」
「由君、柘榴君。君達にも同じ事を訊くけど、どうかな?」
「別に、俺は俺にしか従って生きてませんよ」
『あたしは神なんてもの考えた事も無いよ、猫だから』
 うんうん、と鼎は満足そうに頷く。
「月見君、今の話を聞いて君はどう思うかな?」
「馬鹿らしいです。信じる信じないがどうしたっていうんですか、今そんな事は関係無いと思いますけど」
「大問題さ。今そこに『神』は居なかった」
 月見は困った様に眉を顰める。鼎の次の言葉が予測出来ないからだ。
「有栖君、由君、柘榴君は共に生きる上で神を見ていない。怪訝しいね、三人とも月見君の様に神を特定出来ていない筈なのに――けれど神はそこに潜んでいる」
 最早、この場を支配しているのは鼎だった。彼女が次の言葉を発しない限り、全てが進まなくなっている。この場に、鼎の話術に呑み込まれている事を意識出来ている者は誰も居なかった。
「居ない、が、在る。全ての人に思われる神の本質だ。そして神の性質からして、それは主宰たる存在ではなく世界たる存在なんだよ。そして、それだけでは物足りなかった人々によって、都合のいい幻影が創り上げられた」
「……信仰」
「そう、曲解と婉曲で鍛え上げたのさ、超一流の詭弁に」
 ここまで来れば解るだろう、と鼎は問う様に言う。
「世界は最初から自由だ。神に決定権は無い」
「認めません」
 月見は即答した。
「確かに居るって神様の存在を認めたのに、矛盾します。神様は全てなんですよね? あたしもそう思います。だから、そこに『新鷹月見』も含まれてる。それじゃ――誰があたしなんですかッ?! 神様以外考えられません、そんな、あたしを決め付けてる奴、殺さないと気が済まないっ……!!」
 激して月見は髪を振り乱していた。殆ど突発的な怒りだろう。だが、それ程に壊さないと我慢出来ない柵が、彼女に纏わり付いていた。
 燃え掛けている。徒でさえ感情の堰が脆いのに加えて、殺意ある相手との会話。月見はぎりぎりで抑えていたが、テーブルは燻り掛けていた。
「簡単だよ」
 鼎は塞いだ両眼で月見を真っ直ぐに見つめる。
「神が君を保有しているんじゃない、君が神を保有しているんだ」
「――――」
「超越は上位に居る事を示さない。根源であり全てであるだけだ。だからこそ、神は絶対者である事も相俟って、何よりも高いと錯覚されるんだよ」
 そも、月見の目的は。
 自由を創造する事だった。
 世界が幾重に可能性を秘めようとも、全てに神は在る。分岐させる選択者は自分ではなく神。その気まぐれでいとも容易く決定される運命に対し、月見は反目していた。
 しかも。
 納得出来ないだろう。考えてみれば、全てである存在は決定された世界のどれだろうと観測出来る。世界線という境界など無いに等しい。勝手に決められた方向へ誘導される事に耐えられない。
 藤堂鼎が諦観からの脱却の契機だったというのに、しかし彼女は月見に否定を突き付けてくる。
「確かに私は〝天啓の万象(グノーシス)〟で『ラプラスの魔物』を受胎している」
 もしもこの世界に全てを知覚し、それを解析出来る知性が存在するとしたら、その眼には全てが見えているであろう――それが、数学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した〝魔〟であり、鼎の能力に付随している存在。
 もしも鼎がその能力によって全てを識った時、そこには彼女のヒトとしての知性を超えた何かが生まれるかも知れない。それが受胎であり、顕れたそれは確実に超越だろう。
「だから……だから、あたしは生まれてきた神様に等しいそいつを焼き殺す! 解ってるなら何で訊くんです?! カナエさんの〝魔〟が神様を語ってる! あたしの中なんかじゃない、そこに居るんです!!」
 月見の目的は〝魔〟により世界戦を統一して鼎に神を降ろし、それを殺す事。世界の決定者たる観測者になっている鼎を殺す事は世界の神を殺す事であり、その後の世界に自由を与える事を意味するからだ。
 だが鼎はそんな事をしなくても、元々世界は自由だと言う。
「〝魔〟を降ろす事は、不規則に要素が並んでいるこの世界を、理路整然と決められた通りに配置して無機質なものにする――即ち世界を殺す事しか意味しないよ。その後、観測者である私を殺せば確かにその先の世界は未知数になるけど、逆に配列が変わらずに世界は生まれ変われないかも知れない」
 だから私は伽藍の堂から外に出ないんだ――鼎は月見に問う。
「それでも私を殺すかい?」
 俯いて、月見は膝の上で手を握り締めた。
「結局……話は無意味でしたね。何も証明出来ない事ばかりです――だから殺します」
 仕方が無いね、と鼎は解っていた様な口調で苦笑した。
「えぇ、その通りよカナエ。仕方が無いわ!」
 いつの間にか戻ってきていたキルシェが、部屋に入るなり言う。
「そこの糞ガキが意思を曲げないなら、どっちにしろ手段は一つしか無いのよ。って言うか、判り切ってた事なんだから、ウダウダどーでもいい事を話さなくても、これが一番手っ取り早かったのよ」
「性急だねキルシェさん。まぁ、けれども確かにそうなんだけどね。ただ、月見君に話しておきたかったから、悪いけど時間を掛けさせてもらったよ」
「相変わらず面倒な事すんのね」
「道楽だよ」
 理解出来ないと言う風にキルシェは顔を顰め、鼎は微笑った。
 さて、と鼎は月見に対して口調を三月兎に戻して恭しく言う。
「女王様。これ以上はゲームで白黒を付けましょう」
 虚を衝く提案に、月見は困惑を見せる。
「ゲー……ム? 何するんですか? あたし頭使う奴は苦手なんで、公平に出来る奴がいいんですけど……」
 ふん、とキルシェが下らなそうに言う。
「早い話、カナエが欲しいならワタシを倒しなさいって事よ、放火女」
 あぁ――なんだ、と月見は堂に来てから初めて笑った。
「そんな事でいいなら燃やしてあげる、吸血姫」


7/T or F

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Miraculous Answerer 3/懐古と現状と

3/懐古と現状と


「ぶっちゃけ、アンタのせいよ」
「挨拶も無いのに御挨拶だね」
 放る様なキルシェの言葉に、伽藍の堂の主――藤堂鼎は答えた。
 洋館の雰囲気に合わせたアンティーク風の椅子に、同じ意匠の机。その上にはウィスキーボトルとグラス、水とロックアイスが置かれ、キルシェと鼎は対面で座っていた。
 鼎はゴシックドレスを着込み、その口元に微笑を浮かべている。その派手なドレスは、特に礼装の意味合いがある訳でもなく、ただ単純に趣味で着ている様だ。この洋館に軟禁されているも同然の鼎は、楽しみが少ない事もあるのだろう。
 しかし、着飾る事を楽しんでいるであろう彼女の容姿には、一点だけ奇妙なところがあった。
 目隠し。
 鼎は視界を閉じていた。
 彼女は特に眼が悪い訳ではない。その顔が醜い訳でもない。だがそれでも、彼女は世界を見る事を封じなければならない理由があった。
 そして、その理由をキルシェは知っている。
「御挨拶なんてよく言うわ。グノーシスの貴女なら、ワタシの一言で大体の事が解るでしょ」
「それでも久し振りに会ったんだから、会話を楽しむ事ぐらい構わないじゃないか」
 気怠そうに言うキルシェに、鼎は眉を下げて困った様に苦笑した。
 鼎の持つ能力――〝天啓の万象(グノーシス)〟は、簡単に言えば『識る』事が出来る。己で見聞きしてはいない事でも、ヒトの知覚能力を超えた枠から世界を視る事が出来るのだ。
 キルシェの言う通り、ただの一言でその繋がりを辿って、大まかに事の核心を落としてしまう。藤堂鼎という女は、凡そ全てを知っている存在であり――故に、世界を殺す可能性でもあった。
 鼎をそうさせたのはキルシェだ。十二年前に彼女を巻き込み、そして媒介者(ベクター)となった彼女自身から自由を奪う事を頼まれた。
(負い目……なのかしらね)
 鼎は過去の事を全く気にしていない。好きだと語る世界から、己を禁としなければならなくなったのに、その原因の一端である筈のキルシェに何も言わないのだ。逆に『何を気にしてるんだい?』と理解されない始末だった。
 だがそれでも、どうしても、キルシェは鼎相手に対等な関係を築く事に、心理的に抵抗を抱いてしまう。そのせいか、どっち付かずでぶっきらぼうな態度を取りがちになっていた。
 キルシェはグラスに大きめの氷を三つ放り込み、ウィスキーを注ぎながら言う。
「殺されるわよ、このままじゃ」
「心配は無いよ、このままで」
 鼎の泰然とした物言いに、キルシェは眉を顰めながらグラスを口元に運ぶ。鼎もグラスにウィスキーを水と一対一で注ぐと、一口飲んだ。
「解ってんなら教えなさいよ。そもそも何でアンタの存在が感付かれたのか。原因はそっち以外に考えられないのよ」
「以前、ちょっと人殺しの子と関わってね。その子が、その月見君と接触したみたいだ」
 ところで、と鼎は言う。
「月見君が私を殺したがっている事は解っているけど、その理由が解らないんだ。彼女はどんな子だったんだい?」
「どんなって……可愛かったわ、血を吸わせて欲しいぐらいには」
「君のカーミラ的私見は要らないよ。そんな事を言っているから恋人が出来ないんだ」
 うっさいわねー、とキルシェは鼎から目を逸らす様にグラスを呷る。
「ワタシには恋なんてモノは無いのよ。生まれた時から研究所のモルモットだったんだから、人並みなもんを持ってる訳が無いでしょ」
 グラスに新しくウィスキーを注いで、キルシェはまた一口含む。それに合わせて鼎は言った。
「けど、君の初恋はその研究所の研究員だね」
 キルシェは咽せた。
「な、な、な、何をいきなり言ってるのよっ」
「あれ? 違ったかな」
「合ってるわよ! 合ってるけど何で知ってんのよ!?」
 あぁ、失礼、と鼎はふと思い至った様に言う。
「どうもお酒が入っているせいか、知っている事と識った事がごちゃごちゃになってるみたいだ」
「赤くもない顔でよくそんな事が言えたわね!」
 キルシェは怒った様に言った後、溜め息を一つ吐いた。彼女は疲れた顔でシガレットケースを取り出すと、煙草を一本咥えて火を点ける。深く吸い込み燻らせ、静かに吐き出された紫煙に乗って辺りに桜桃の香りが広がった。
 それを嗅いだ鼎が懐かしそうに言う。
「相変わらずだね、その煙草も」
「ん? あぁ、そうね。もう四十年ぐらいこれを吸ってるかしら」
「私と遇った十二年前よりも前だね。あの頃と違って、私は大人になったけど、キルシェさんはずっと同じだ」
 変わらないね、と鼎は言う。
 変わんねーわ、とキルシェは言った。
「まぁ、恋の仕方も変わらずに乙女なままみたいだけど。幾らまともな少女時代が無かったからって、いつまで引き摺るんだい?」
「死ぬまで引き摺ってやるわよ畜生!」
 自棄っぱちである。
 さて、と鼎は間を執り成して言った。
「キルシェさんはとどのつまり月見君の事は何も解らないみたいだね」
「当たり前よ。殺し合っただけなんだから」
 三年前の記憶を探っても、キルシェに思い出せる新鷹月見の印象は殆ど無い。ただの少女だった月見が、巻き込まれる事で媒介者(ベクター)としての能力を手にしてしまい、それがその場に居た誰よりも強いものだったというだけ。
 少女のした事は少ない。燃やしただけだ――感情と理性で、怒りと意志を。
 キルシェはそれに相反して気に喰わなかっただけなので、特に何かを知っているという程の事は無い。寧ろ何も知らない。
「あの後、ツキミがどうなったかなんて尚更ね。想像しようとも思わなかったもの」
「成る程。月見君が私を狙うに至る理由なんて、知る由も無いね」
「その通りよ。ところで灰皿無いかしら?」
 キルシェは灰が落ちそうになっている煙草を見せながら鼎に訊く。
「あぁ――済まないけど、空いたグラスにでも入れといてくれないかな。今違うグラスを持ってくるよ」
「いいわよ、この一杯で終わりにするわ」
 キルシェはそう言うと、グラスの残りを一気に飲み乾す。そして空になったグラスに灰を落とすと、水に浸かって音を立てた。
 その、火が消えた瞬間。
「――そうか、全燔祭だったか」
 鼎は、納得した様に短く言った。
「は?」
「いや、月見君の能力の名は〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟だったね」
「そうよ。それがどうかしたのかしら」
「そうだね……彼女が私に繋がる理由が解ったかも知れない。だから殺人鬼の彼からの情報だけで、私を殺そうと決心したんだろうね」
「全っ然、話が見えないわ」
 不満そうに言うキルシェだが、鼎が物を見ている位置は明らかに自分と違うので、半ば呆れに諦めを混ぜていた。
「ツァラトゥストラは斯く語りき、という事だよ。彼女は一人で神の特定にまで辿り着いたんだろうね。うん、面白い」
「何言ってんのかちゃんと説明してほしいわー」
「多分、月見君は私と話をしようとする筈だよ。殺すのは確認が取れてからだね」
「あぁ、もういいわ。結論だけでいいわ、勝手にして」
 もうまともに鼎の言っている事を聞く気が失せたキルシェは投げ遣りにし始める。その隣で、鼎は思い付いた様に言った。
「そうだ、お茶会を開こう」


4/前脚の砂掛け

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Miraculous Answerer 5/気狂い共のお茶会

5/気狂い共のお茶会


「……ここがそうなんですか?」
 そうだよ、と月見に由は短く答えた。
 彼女の知らない街の路地裏で、一つだけ浮いて見える洋館。小さくもなければ大きくもない、まるでジオラマに作られた模型の様な館。これがもしも、もっと古臭く黴臭さを漂わせていたなら、間違い無く近隣の住民からは幽霊屋敷とでも呼ばれていただろう。
 月見はその洋館の前に立ち、不安にも似た昂揚を覚えた。
(ここに、カナエが居る)
 まだ会った事の無いその相手の、記号としての名前だけを彼女は思い、少しだけ震えた。望みに臨むこの場所で、期待が溢れ出しそうで自分でも上手く処理出来ない。
 すうっと、一度息を吸い込んだ。
 落ち着きを取り戻す為の深呼吸ではなかったが、焦燥の鼓動が上手く崩れ、何処と無く気は静まった。
 そして平素の心持で月見は中に入ろうとし、
「じゃ、俺は帰る」
「はぇ?!」
 出鼻を挫かれた。
「え、何。ハエ? 蝿がどうした。今の季節に珍しいな」
「ち、違いますよ。何で帰っちゃうんですか己さん、一緒に来てくれるんじゃないんですかッ」
「いや、だって案内するって約束は果たしたし」
「男の人だったら女の子を置いて帰るなんて駄目ですよ! ちゃんと最後まで居て下さいっ」
 面倒臭いなぁ、と由は本心を隠しもせずに片腕で頭を掻く。
「そろそろ殺したくなってきたから、繁華街に行きたいんだけど」
「コンビニ感覚で言わないで下さいよそんな事!」
「コンビニかぁ、確かに適当に見繕うのに丁度いいかもな。うん、俺コンビニ行ってくる」
「あたしと会話する気が無い?!」
 それじゃ、と歩き出した由の腕に月見は抱き付いて引き留める。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さいよ。お願いですから一緒に来て下さいよ、ほらほら可愛い女子高生の頼みですよ?」
「ごめん、性欲より殺人欲の方が強いんだ俺」
「明けっ広げ過ぎます!! しかもあたしがただの頭の軽い子みたいじゃないですか!」
 うーうー、としがみ付いて腕を放す様子の無い月見に、はあぁ、と嫌そうな顔で由は溜め息を吐く。すると、いいか月見ちゃん、と真剣な声で言った。
「俺は――自由なんだ。だからコンビニに行く」
「カッコ付けて言うなそんな事!」
「煩いな。大体何で俺が付いて行かなくちゃいけないんだ。別に一人でもいいだろ。理由が無いぞ理由が」
 う、と月見は言葉に詰まった。無い訳ではない理由だが、それを素直に言うとなると気後れする。というよりも嫌だった。しかし言わなければ由は頑として行動を共にしてくれそうにない。
(あぁもう、面倒臭いなぁこの人。別に女の子の頼みなんだから聞いてくれたっていいじゃない……)
 などと、些か自分勝手な理屈で逡巡してから、月見は観念した。
「……えっと、その。一人だと、キンチョーする」
 それを聞いた由は、何処か可哀想なものを見る様な眼をした。
「……意外とヘタレなんだな、月見ちゃん」
 その一言で、ぷつん、と大して溜まってもいない筈の月見の堪忍袋の緒が切れた。ただの短気である。
「煩いですよ! えーヘタレです、あたしは一人じゃホラーも観れないヘタレです。暗いトコで妹に脅かされて半泣きしちゃう様なヘタレですよ。その腕燃やすぞ!?」
「逆切れかよ」
 全く以って由が正しい。
「逆切れして何か悪いですか、文句ありますか!」
「迷惑だ」
「喧しいですよ!!」
 不憫である。月見が。
 面倒を通り越して鬱陶しくなってきた由は、仕方が無い、と譲歩する事にした。このまま放っておいたら、残った自分の片腕が本当に炭にされるかも知れないという危険を感じてもいたのだが。
「判った。俺も付いていくよ」
「別にいいです、付いてなんか来てくれなくても! って――え? 嘘、ホント? やった、有り難うございます!」
 今度、この娘の事を殺そうかな――と、少しだけ本気で検討した由だった。

「おや、ようこそハートの女王様」
 そう言って玄関で月見を迎えたのは、燕尾服を着て兎の耳を付けた鼎だった。相も変わらず目隠しはしているが、それ以外は彼女の恰好は殆ど仮装である。
「眠り鼠も一緒だね、これで漸くお茶会の人数が揃ったよ」
 次に奇妙な呼び名で呼ばれたのは由だった。え、と彼は何かを言い掛けたが、鼎の事を考え、すぐに不承といった顔で首を傾げる。何かをしている事は判るのだが、その内容にはどうせ突飛過ぎて付いていけない。
 月見も似た様なものだった。もっと何か違う感じを期待していたのだが、予想外な出迎えに思考が停止してしまっている。先ず、鼎に会う事が何がしかの出来事に発展すると思っていたのに、意味不明な言葉を掛けられた。
「奥で帽子屋とアリスが待っているから、早く中にどうぞ」
 ――いや、自分達の来訪を知っていた素振りがある事自体が既に、月見が藤堂鼎という存在に求めているものの一端を証明してはいる。だから、彼女がすべき事は、相手の遣る事為す事に呑まれない様に、けれど決して逆らわない様にする事だ。
 月見は由に確認を取る様に振り向くと、彼は肩を竦める様にして見せただけだった。
(取り敢えず、向こうが何を考えてるか知らないと)
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。そこまで厳めしい状況ではなかったが、気持ちの上では月見はそう感じていた。
 そして彼女は奥に進み、お茶会に参加しようとして、
「……久し振りね、ツキミ」
 帽子屋の恰好をした吸血姫が居る事に、驚きを隠せなかった。
「――何で、キルシェが居るの。しかもそんな恰好で」
 三年前に殺し合い、未だに組織単位で自分を狙っている相手を前にして、月見は一気に敵愾心を露にする。
「カナエとワタシは古い知り合いなのよ。それをアンタがローストにしようとしているって物騒な話を聞いたから、ここに居んの。……あ、それとこの帽子屋の恰好は断じてワタシの趣味じゃないから」
 平然と敵意を受け流しながらキルシェは答える。暗に宣戦布告をしたも同然なのだが、月見もそれを真には受けずに流した。
 その隣で今度は由が見知った顔を見つけ、軽い驚きの声を上げる。
「お前……あの時の」
「うげっ、殺人鬼」
 由の視線の先には、眼帯を付けたアリスが居た。
 長い黒髪のウィッグを付け、エプロンドレスを着たアリスの恰好をした有栖は、由の事を見て嫌そうに顔を歪める。少し憔悴した顔と、居た堪れなさそうにしているところを見ると、あの服は無理矢理着させられたらしい。
 二人はどちらともなく無言で言葉を探す。彼等の間には特別な何か――初対面で殺し合った事を除けば――がある訳ではないので、面識の上にそれ以上のモノを築けそうになかった。
 彼氏彼女がそれぞれの奇妙な知己を相手に黙りこくっていると、ぱん、と鼎が手を叩いた。
「さぁさ、揃いも揃った気狂いの面々。いつまでも黙っていたらお茶が冷めるよ、時間が臍を曲げる前に早くお茶会を終わらそうじゃないか!」
 あぁっ、と気が付いた様に、鼎は大仰に頭を押さえてキルシェに言う。
「そう言えば帽子屋は大分前に時間と喧嘩別れしてたね。失敬失敬」
「キャラ違うわよアンタ」
「今は三月じゃないよ、三月兎も性格は違うに決まっているさ!」
 大分場の空気が壊れている気がする中で、あのー、と有栖がそろりと手を挙げた。
「そもそもこの集まりの意味が判んねぇんですけど俺。何でこんな情け無い恰好しなくちゃならないんすか」
「有栖だからだよ」
 鼎はしれっと答えた。
「……理不尽過ぎます」
 へこたれそうになっている有栖の後ろから、ひょいと黒い影が飛び出しテーブルの上に乗る。その影が彼に向かって言った。
『アリス。カナエのやっている事には、狙いはあっても意味が無い事が多いよ。考えるだけ無駄だ』
 無愛想な声で言ったのは柘榴だった。彼女だけは特に何も仮装はしていないが、それはこのお茶会で宛がわれる役目が無かったのではなく、
「チェシャ猫、何でにやにや笑いが無いんだい? そうでなければ今の君はただの猫なのかい!?」
 素で与えられた役があっただけである。
『…………』
 無用なハイテンションの鼎に、柘榴は困った様に喉を鳴らすだけだった。あたしはブリティッシュ・ボンベイ種だ、と言う訂正の呟きが虚しい。
 その一方では、媒介者達(ベクター)の世界に片足しか突っ込んでいない由が現実に追い付けていなかった。
「……怪訝しいな、猫が喋ってる様に見えるんだけど」
「喋ってますよ? 可愛いなぁ、猫。家でも飼いたいんですけど、お姉ちゃんが許してくれないんですよね」
 異能に耐性のある月見はさらっと柘榴の〝言語活動(ランガージュ)〟を受け入れるが、超常現象程度しか知らない由は猫が喋る事をどうしても直視出来ない。現実味の差だろう。
「やばいな……情緒不安定になりそうだ。ちょっと人殺してきてもいいかな?」
「あ、はい。どう――じゃなくて今度は一服感覚ですか!? 駄目に決まってるじゃないですか!!」
 ふぅ、と由は嘆息する。
「全く、最近は殺人者も肩身が狭くなったな」
「何ですか、その世知辛そうな顔。余裕で犯罪行為なのに、何で世間が悪い様な顔してるんですか」
「だってほら、少なくとも殺人鬼にだって人権はあるだろ?」
「病院行け」
 発想の展開と転換が病気のレベル。そんな諦めから思わず月見は半ば退き気味に冷淡な調子で答えていた。
 お茶会の様相を呈していた堂は、今や各々の自分勝手な雑談場になっている。誰彼無しな会話が飛び交う様は、まともに話も出来ない気狂い共のお茶会になっていた。
 兎に角ッ――纏まりの無さを見兼ねた柘榴がテーブルを叩く。猫の手では、たしっという気の抜けた音しか鳴らないのだが。
 しかしそれが逆に、柘榴に注目を集めた。それは丁度、冗談が滑った人に掛ける言葉を探す様な、何とも居た堪れない視線に近い。
『……えー』
 自分でも遣らかしたと判っている分、辛い柘榴だった。
『と、だ。このお茶会の意味をあたしは知らないから主催者が纏めなよ』
「あ、逃げた」
 煩いっ、と柘榴は有栖に不機嫌に答えると、彼の膝の上に移動し丸くなった。
 ふぅむ、と芝居掛かった口調で鼎は言う。
「女王様。取り敢えず席に着かれてはどうですか? 眠り鼠も適当な場所に座るといい」
 促され、月見と由は少し迷いながらも椅子に座った。
 用意された三つ脚の円卓の席には、鼎の両脇に有栖とキルシェが着いている。卓の余った場所は、互いの知った顔が対面に来る様に、由と月見が囲んだ。
 鼎は紅茶を全員に回し、行き渡った事を確認すると、言った。
「さて、女王様――貴方の神を殺しましょう」


6/ザラスシュトラの話

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Miraculous Answerer 4/前脚の砂掛け

4/前脚の砂掛け


『気に入らない』
「来た早々何さ、柘榴ちゃん……」
 霧澤(きりさわ)有栖(ありす)は、勝手に自宅に上がりこんだ猫――柘榴に眠そうに答えた。
「折角寝てたのに、別に今日は何も鼎さんは予定無かったっしょ」
 狭いアパートの部屋で寝起きの目を擦りながら、有栖は起き上がった。左目だけを寝惚け眼に開き、彼は手探りで机の上に置いてあった眼帯を掴むと、右目に付けた。
『そのカナエから呼び出しだよ。お前が必要だってさ』
「俺が? 何でさ」
 自分が必要とされる事は特に無いだろうに――有栖はぼんやりと思う。彼自身も〝忘却の澪(レテ)〟という能力を持っているが、それは鼎の能力と比べると下位互換と言っても仕様が無い『過去を視る』だけのものだし、そもそも有栖は媒介者(ベクター)ではない。
 昔事故に遭った時に右目を失明した彼は、一緒に巻き込まれ死んだ兄の角膜を移植された。その眼――即ちが兄が媒介者(ベクター)だったのだ。
 数奇と言えば数奇な運命だろう。だが、彼自身はもう右眼とは折り合いを付けている。その切っ掛けを与えてくれたのが鼎であり、伽藍の堂で働く事になったというのは、また数奇ではあるが。
『別に、お前の能力が必要って訳じゃないみたいだよ』
 柘榴は妙に不機嫌に言った。窓の桟に座り込み爪を立てて、かりかりと引っ掻いている。来た時にいきなり言った『気に入らない』事があるのだろうか。
(……ってか、何が?)
 もしも自分の事だとしたら豪く理不尽である。
「あのさ、柘榴ちゃん。窓枠傷付くから、出来れば引っ掻くの止めて欲しいんだけど」
『…………』
 余計に爪に力を入れ始めた。
「ちょ、止めて! 敷金引かれちゃうから傷付けないで!」
 有栖が慌てて柘榴を抱き上げようとすると、彼女はそれを躱し、するりと有栖の脇を通り抜けた。そのまま有栖が寝ていた布団の上で丸まり言う。
『あたしは暫くここに居る。お前はさっさとカナエのところに行きなよ』
「いや、あの何言ってるんすか柘榴ちゃん。ってか、家のアパート動物禁止なんだけど……」
 手を引っ掻かれた。
「痛ぇ!? 何すんだよ、俺何か悪い事したか!」
『うっさい。あたしは堂に今は帰りたくないんだ』
 んん、と有栖は手の傷を押さえながら訝しむ。どうやら、柘榴の言からすると、気に入らない事は伽藍の堂にある様だ。
 鼎と柘榴の仲はとても良い。良いから特に喧嘩もしない、というよりも互いに互いを解っているので、軋轢が生じ様が無いのだ。
 有栖は堂で働き始めてまだ日が浅いが、それでも二人の関係が拗れる事は有り得ないと思う。それがどうしてか、今の柘榴は家出少女宜しく帰りたくないと言い始めていた。
「……嫉妬か」
 がばっ、と柘榴は物凄い勢いで起き上がった。
『何だって?』
「柘榴ちゃん、嫉妬してんなぁ? 堂に誰か来てて、それで鼎さんが独り占めされてっから面白くないんだろ?」
『違う。いや、人が来てるのは合ってるけど、別に嫉妬なんかじゃない。ただ、あたしはあの女と馬が合わなくて、カナエが仲良くしてるのが気に入らないだけだ』
「世間じゃそれを嫉妬って言うんだよ」
 柘榴が本気で言っているとしたら、素直じゃないを通り越して天然である。あの女とやらが余程気に入らないのか、柘榴はそちらにばかり意識が向いてしまっているらしい。
『いいからあたしは放っておいて。お前はカナエが呼んでるんだから急ぎなよ』
「んー、別にいいけどさぁ」
 自分が呼ばれる理由が今一解らない。柘榴の言葉の端々から推測するに、どうやら来客の女性は鼎の知り合いらしい。その知り合いが来ている状況で、自分の必要性が何処にあるのだろうか。
 柘榴を使いに出してまで――彼女にはそれが気に入らない事だったのかも知れないが――呼び出されても、やる事など無いだろう。
 いや。
 違うのだ。
(正直な話……ぶっちゃけ不安、なんだよな)
 あの鼎の知り合いなんてモノは初めてだから、単純に有栖は本能的に拒んでいただけである。しかも何も予定が無かった日に、わざわざ呼び出しを掛けてきた。碌な予感はしない。
 一人じゃ心許無いから誰か連れが欲しいなぁ――当然、それは柘榴なのだが。その当人はここを動きそうにないので、どうにかして煽らなければならない。
 狡っ辛い事を考えていた有栖は、柘榴を横目で見ながら言った。
「……鼎さんに今の柘榴ちゃんの事、話しちゃおっかなぁ。柘榴ちゃんがこんなに嫉妬してるって知ったら、きっと鼎さん喜ぶだろうなぁ」
 にやにやしながら有栖が言うと、柘榴は身を低くして軽く唸った。
「あ、怒った」
『アリス……あんまり調子に乗るなよ』
 柘榴は有栖に眼を合わせじっと見つめてくる。ちょっと怖い。思わず有栖は気圧されて退いた。
「や、いや別に、今のは軽い冗談で」
『……いいよ』
「は?」
『あたしも行くよ。大方、あたしをここに居座らせない為の発破みたいなもんなんだろうけどさ』
 ばれていた。
 だがしかし、柘榴が付いてきてくれるというだけで、有栖は精神的に大分楽になる。何ともまぁ、矮小な目論見ではあったが、上手くいく事はいったのだ。
 ただ、と柘榴は言った。
『苛ついてるあたしを揶う様な事を言った責任は取ってもらうよ』
「……責任?」
 有栖は、その言葉を疑問というよりも、ただ反復しただけだった。一つ間が遅れて有栖は、言われた事を理解する。
「え、いや。いや、ちょっと待とうぜ柘榴ちゃん?」
『待たない』
 柘榴は有栖が動揺している間に、身軽に手頃な高い位置に移動する。そして、その縦長の瞳孔の眼を細めて言った。
『あたしの爪は痛いぞ?』


5/気狂い共のお茶会

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Miraculous Answerer 2/吸血姫の来訪

2/吸血姫の来訪


 瀟洒な洋館の塀に、一人の女が寄り掛かっていた。
 長く真っ直ぐに伸びた白金のブロンドに、紫水晶の様な妖麗な眼。徒でさえ浮世離れした容姿に加えて、すらりとした背格好は、彼女に踏み込み難い雰囲気の圧を加えている。一目で異邦人であると判る彼女――キルシェ=B・ティリングハーストを知る一部の人間は、彼女をこう呼ぶ。
 〝吸血姫〟(ブラッドサッカー)と。
 それは畏怖を込めての皮肉ではあるが、決して比喩等ではない。事実としてキルシェは血を吸う。
 媒介者(ベクター)の研究を行っている複合企業・オルガノンに所属し、異能者専任の終止者(クローザー)である彼女もまた、異能者の側に居るのだ――血を吸い戦う妖姫として。
 その彼女が今、その手にとてもじゃないが、似つかわしくない物を持っていた。その端麗な容姿にも纏う空気にも、はっきり言って場違いである。
 それは鯛焼きだった。
「……粒餡と漉餡の違いが判らないわ」
 明らかに近くの店で買い食いしているものである。
 キルシェは右手に半分齧った鯛を持ち、左手には持ち帰り用に箱詰めされた数匹の鯛が入った袋を持っていた。
「同じ餡子じゃない……何が違うのかしら」
 餡子の粒と漉の違いを真剣に悩みながら、彼女はまた一口鯛焼きを食べる。因みに今食べているのは粒餡だった。
『何してるのさ、キルシェ』
 ふと、塀に寄り掛かって黙々と鯛焼きを食べていたキルシェに声が掛けられた。しかし彼女の周りには誰も居ない。洋館の塀の上に、黒猫が一匹居るだけである。
 久し振りねー、ランガージュ――相手の事を知っているのか、その何処とも知れぬ声に、キルシェは全く動揺せずに答えた。
「鯛焼き食べてるの、鯛焼き。欲しい? 欲しいかしら鯛焼き? あげないわよ、ワタシのだから」
『誰もそんな事は訊いてない』
 ランガージュと呼ばれた相手は、少し苛つきを孕んだ声を出す。
『あたしは何しに来たって訊いてるんだ。それと、〝言語活動(ランガージュ)〟なんて能力名であたしを呼ぶな。あたしの名前は藤堂柘榴(ざくろ)だ』
 キルシェは残った鯛焼きの尻尾を口に咥えると、ふぅん、とその紫色の瞳を塀の上の黒猫に向けて言った。
「猫なのにファミリーネームを名乗るのね。全く、カナエも何考えてんのかしら、自分の監視役に名前なんか付けちゃって」
『煩いな。いいから答えなよ』
「あ、ちょっと怒った? 折角貰った名前を貶されて怒った? ザクロちゃんってば向きになっちゃって、かーわーいーいー!!」
『……もうすぐ還暦の癖に何を若振ってんのさ、ウザさに拍車が掛かってるよ』
 自らを藤堂柘榴と名乗った黒猫は、キルシェに対して冷たい目線を送る。尤も、キルシェが猫のそれを読み取れたかは不明だが。
 キルシェは新しい鯛焼きを食べながら答えた。
「肉体年齢なんてワタシみたいなタイプの論理兵装(ロジカルアームズ)には関係無いわ。歳取らないし、ワタシはずっと二十代っ!」
 だから綽名が〝吸血姫〟なのよー、と彼女は皮肉気に微笑う。
『あたし達(ベクター)と違って、科学が意図的に生み出した化物ってだけだろ。しかも適当な推論で造ったとかいうさ』
 呆れた様に言う柘榴に、化物と呼ばれたキルシェは綽々と答えた。
「厳密には、偶然見つけた生体金属で人体実験を色々やってるってだけよ。それで理論体系が無いのに出来ちゃったものを、困ったから論理兵装(ロジカルアームズ)なんて呼んでるだけ。意図的って言うより、研究の副産物よ」
『ふぅん。で、その兵器さんは結局何しに来たのさ。そっちの主な仕事は、管理出来ない媒介者狩りだろ』
「よく判ってるわね、そうよ。だから来たの」
『……は?』
 キルシェの言っている事が理解出来ず、柘榴は虚を衝かれた様な声を出した。
「だから言ってんでしょ。媒介者(ベクター)が居るのよ、近くに」
 いつの間にか持っていた鯛焼きを全て平らげていたキルシェは、手に付いた汚れを叩きながら言う。
「ホロコーストって名前の放火女がね、カナエを狙ってんの」
 キルシェの口振りは相手を知っているものだが、それは決して好意的なものでは無い。表情こそ余り変わっていなかったが、紫の瞳は据わっていた。それとして、柘榴は訝しげに眼を細める。
『狙うって……何でカナエの事を知ってる奴が居るのさ? そもそも情報は会社から漏れない様にしてあるんだろ』
「そうなのよねー。カナエについては能力が能力だから、ワタシが全部機密扱いにして情報を閲覧禁止にしてる筈なんだけど。それに、見るにしてもワタシを通さないといけないから、見た奴が居たら判る筈なのよ」
 なのに、とキルシェは一拍強調して言う。
「それがバレてる。しかもよりによって、三年前に大暴れした放火魔――新鷹月見にね」
『そいつがホロコーストってベクターの能力者?』
「えぇ、そうよ。三年前にケリを付けたと思ったんだけどね、ずっと大人しくしてたし。それが今更になって、カナエを狙ってるなんて情報が入ってくるもんだから吃驚したわ」
 あーやだやだ、とキルシェは頭を振った。
『その、ツキミって奴は何でカナエを狙ってるのさ?』
 柘榴の質問にキルシェは「さぁ?」と肩を竦めて素っ気無く答える。
「知らないわ。原因があるとしたら、カナエの道楽でしょ。何か心当たり無いかしら、ランガージュ? 一応、カナエの監視役でしょ」
 言われて、柘榴は思い出す様に首を傾げ、
『…………』
 沈黙の後に、にゃー、と一度鳴いた。
「誤魔化したわね」
『違う。寧ろあたしは心当たりが多過ぎて困ってるんだ』
 柘榴の言葉に、はぁ、と呆れた溜め息を吐きながらキルシェは髪を掻き上げる。
「やっぱりカナエの方だったのね。全く、軟禁状態だからって暇潰しも程々にしてほしいわ」
 はあぁ、と今度は大きく疲労の溜め息を吐くと、ザクロちゃーん、とキルシェは如何にも適当な具合に言った。
「カナエが狙われる理由だったら、多分本人に訊いた方が早いわよー」
 それに対し柘榴は黙ってくるくると喉を鳴らす。キルシェを鼎に会わせるのに少し悩んでいた様だったが、やがて、仕方が無いとでも言う様に項垂れた。
『中に入りなよキルシェ。いつまでも外に居たって意味無いだろ』
 とん、と柘榴は塀から降りるとキルシェを敷地の方に誘う。お邪魔するわ、と彼女はそれに付いて行った。
 あ、そうだ――中に入ろうとしたキルシェが、思い出した様に言う。
「忘れてたわ。ランガージュ、一つお願いがあるの」
『何?』
 キルシェは『伽藍の堂』という屋号の洋館の扉を指差し、言った。
「鍵、開けて頂戴」


3/懐古と現状と

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