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Märchen Funeral

Märchen Funeral


――それは、とっても不思議な体験でした。


 大晦日を過ぎて暫くした一月の事です。あたし、堂崎(どうざき)美和子(みわこ)は動物園に出掛けていました。
 子供の頃から動物が好きで、小学生の時には『動物博士になる』とか言っていて事もあります。中学生になった今は将来の事を真面目に考えて、シートンさんの様な博物学者になりたいと思う様になりました。
 ですが、あたしの家ではお母さんが動物嫌いで家ではペット禁止です。お父さんにも頼んでみましたが、やっぱりお母さんに敵わなかったらしくて駄目でした。よく考えてみたら、お父さんとお母さんに動物園に連れて行ってもらった時も、お母さんだけ遠くからあたし達を見ていた様な気がします。
 少し気になって調べてみたら、高所恐怖症みたいに動物恐怖症というものがあるみたいでした。きっとお母さんは昔に動物に嫌な思い出があるんだと思います。考えてみると、お買い物に行って道で野良の猫に会った時、お母さんはあたしの手を取って物凄い勢いで走り出したので多分原因は猫。
 可愛いのに。
 そういう訳で、中学生になって行ける場所が増えたあたしは定期的に一人で動物園に行く様になりました。
 お年玉を貰えて、お小遣いに余裕がある今回は少し遠出して、前から行きたいと思っていた大きな動物園に朝から行く準備をしていました。一人で知らない場所に行く不安と、色々な動物に会えるからと、前の日の夜は中々眠れませんでした。
 それが駄目だったんです。
「君、終点だよ」
「ふぇっ?」
 見事に寝過ごしました。
「え、えと、その」
 慌てて周りを見ると、電車の中にはあたしの他にはもう誰も居なくて、駅の名前も知らないものになってました。
「この電車回送になっちゃうからね、一旦降りてもらっていいかな」
「あ、あぁ、そ、その済みませんっ」
 困惑した表情であたしを見る駅員さんに、急に恥ずかしさが込み上げて来て、あたしは顔を真っ赤にしながら電車を降りました。
 兎に角恥ずかしさで駅員さんから離れたくて、事情が判る人の目があるのも恥ずかしくて、その目が届かないところまでホームを早歩きで移動しました。泣きそうで、少しパニックです。
 ホームを大分動くと、ベンチがあったのであたしは思わず座り込みました。零れそうになっていた涙を拭うと落ち着いて、今自分が何処に居るのか、駅を確認するぐらいの余裕が出来ました。
「えっと……」
 行こうと思っていた駅はあたしの駅と終点の駅の中間。一時間で着く予定だったから、単純に考えて一時間も電車で寝ていた事になります。
「もうお昼だ……」
 今から戻っても一時間掛かるし、そこから更にバスにも乗るから着く頃には午後二時前になっちゃう……それだと、一日で動物園を全部見て回れないし、そもそも普通に見て回るにも楽しめない……。
 ところで、あたしの動物園の回り方は他の人とは違うそうです。一つの場所を見るのに、何十分も掛けないとか――あたしにはそっちの方がよっぽど不思議です。
 なのであたしは、今から動物園に向かって中途半端になるのも嫌でしたし、かと言って家に帰るのも何だか悔しいので嫌でした。
 そこで出した結論は一つでした。
「うん、野良猫探ししよう」
 猫大好きなんです。
 折角なのであたしは、地元以外の野良猫に逢って、この失敗を取り戻す事にしました。地元の猫達とはもう皆友達なので、この機会に新しい輪を広げるのもいい事だと思います。
 見知らぬ土地で交流を深めるのって、何だかちょっとインターナショナルな気分です。
 そうと決まれば話は早く、あたしは早速改札を出ました。

 野良猫が居る場所は、何処でも似た様なものです。
 人通りが少なくて、それでいて人が居る様な場所――つまり、駐車場や公園、高架下、場合によっては民家やマンションの隙間です。ゴミ捨て場とかは餌場になる事が多いですし、公園で餌をあげている人も居ます。ただ、無責任に餌を与えるだけで、その地域の猫の事を考えていない人が大半なのが問題だそうです。
 そう言った事を解決する為に、地域で出来る限りを野良猫を管理しようという活動もあって、そうやって管理されている猫は『地域猫』と呼ぶそうです。
 餌場が無い場合でも、猫は基本的には肉食で繁華街の裏に出るネズミや例の黒い虫も食べるので、やっぱり最終的には人気の裏に住んでいる事が多いです。
 ちょうど駅は高架線にあったので、改札を出てすぐにあたしは高架沿いに歩き始めました。
 少し歩くと駐輪場がありました。今の時間帯だと、駐輪場の様な場所は殆ど人は来ない筈です。野良猫達が居る条件としてはぴったりだったので、あたしはそこで猫を探し始めました。沢山の自転車がある中で、ちらほらと猫が陰に隠れてこちらを見ているのが判ります。
 猫は基本的に自由気儘という印象が持たれていますが、それは同じ様に人に飼われる事が多い犬と比べているからだそうです。犬は社会性を持っていて飼い主に従う習性があるのに、猫は自分のテリトリーの中を歩き回るというところが、そういうイメージの原因なんだと思います。
 それと、犬と違って猫の習性は余り知られてない事があるから、気分屋と思われがちですが、それは正しくはありません。
 例えば、猫は目を合わせると警戒するので、犬の様に顔を見ながらじゃれるのは良くないです。だから、逆に視線を逸らしたり目を瞑ってあげる方が安心します。
 と言う事で、
「にゃー」
 実践です。
 近くに居た三毛猫に目線を合わせる様にしゃがんで、目を閉じたりして少し遠くから声掛け。人にそれなりに慣れている子だったら、これで警戒心を解ける筈です。
「…………」
 中々近付いてくれません。
 ですがあたしは諦めません。何故ならこういう時の為に動物用のビスケットは常備しています。鞄から取り出して、小さく砕いて投げてあげればきっとこっちに興味を持ってくれます!
「ほら、ビスケットだよー」
 ぽいっと投げてあげると、少し興味を持ってくれたらしく、こっちを窺ってきます。ですが、三毛猫はまだ警戒しているらしく、こっちに近付いてくれません。
「むぅ……」
 安心させる為に、ちょっと視線を外してみよう……。
 わざと遠くを見る様にしてあげると、ゆっくりと近付いて来てくれました。少し歩いてまたこっちを見てきますが、気にしない様にして目線は戻しません。それを繰り返している内に、ビスケットを齧り始めてくれました。
 少ない量で、あっという間に食べてしまったので、またビスケットを投げてあげると、それも食べてくれました。
 ……そろそろ平気かな。
 ある程度警戒しなくなってきたと思うので、もう我慢の限界も来ていたので、撫でてあげようと手を伸ばしてみました。
 ですが、そんな事は無かったらしく、
「あ」
 一目散に離れてしまいました。
「うー……」
 流石にそんなに甘くなかったみたいです。一定の距離を取ってこっちを見つめて、そのまま動きません。
 失敗しちゃった……。
 どうやらもう、仲良くなる事は出来そうにないので、残念ですが場所を変える事にします。
「きゃっ」
 立ち上がって駐輪場を出ようとして、あたしは思わず声をあげてしまいました。いつの間にか、近くの自転車のサドルに黒猫が居たからです。
「…………」
 あたしが驚いて声を出したのに、その黒猫は特に驚きもせずにそこでじっとあたしを見て来ます。普通だったらあっという間に逃げちゃうのに……。
 黒猫はどうやら飼い猫らしく、首輪を付けていました。赤くて綺麗な、宝石でしょうか、高そうな石が付いています。真っ黒で艶のある綺麗な毛並みに、金色の眼をしています――確か、金眼の黒猫は珍しくて、ボンベイ種が大半だった気がします。
 人に慣れている子なのかなぁ……。
『お前、堂崎美和子だろ?』
 じっと黒猫と睨めっこしていると、突然声を掛けられました。辺りを見回しますが、誰も居ません。
「えっ、だ、誰?」
『あたしだあたし。お前の目の前に居る猫だ』
 言われて、黒猫にばっと向き直ると、何処か面倒臭そうに、その子はにゃーと鳴きました。
「えっ……」
 猫?
 猫があたしに?
 猫があたしに話し掛けてる?
 それはつまり――
「も、もしかしてあたしもドリトル先生みたいに動物の声が、き、聞ける様に?!」
『違う』
 ばっさりです。何か手厳しいです。
「うぅ……じゃあ何であたしに黒猫さんの声が聞けるんですか」
『あたしはそういうものなんだよ』
「あぁ、そういうものなんですね」
 だったら仕方ありません。
『それで納得するのか……』
「? 違うんですか?」
『いや、いい。それでいいよ』
 黒猫さんは何故かジト目でこちらを見てきました。猫の奥深い味のある表情です。可愛い。猫じゃらしで喜んでくれるかな。鞄から取り出して試してみよう。
『で、だ。あたしはちょっとお前の案内役を頼まれて……るんだ』
 あ、反応した。
『だからもしも良かったら――あたしに付いて来て……くれ』
 やっぱり喋れても猫です。ちょいちょいと猫じゃらしの方に目が行っています。
『ここから少し歩く事になるけど――』
 ちょいちょい。あ、前脚動いた。
『どうせ暇……。暇だったんだろ?』
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
『いい加減にしろ!』
「えぅ?! ご、ごめんなさい!」
『仕舞え! それを仕舞え! 今すぐ!! あたしの話をちゃんと訊いてたのか?!』
「は、はい! えと、黒猫さんは誰かに頼まれてあたしを何処かに案内する様に、い、言われてたんですよね?」
『そう。それで? 返事は? 付いてくるのか! 来ないのか!』
「い、行きます! ごめんなさい! ちゃんと付いて行きますから、お、怒らないで下さい!」
 うぅ……この黒猫さん怖いです……。
『よし、判ればいい。それと、あたしの名前は黒猫じゃなくて柘榴(ざくろ)だ』
 黒猫さんは自転車から降りると、こちらを向いて言いました。
『宜しくな』
「あ、はい。宜しくお願いします、柘榴さん」
 どうしよう。
 勢いで答えちゃった。
 知らない人に付いていっちゃ行けないって言うけど……この場合はどうなるんだろう?

 柘榴さんに案内されて、あたしは駅から外れた裏道を歩いていました。殆ど人の居ない場所で、たまに地元の人と思しき人とすれ違うぐらいです。
 柘榴さんは垣根を歩いていて、話し掛けると応えて雑談くらいはしてくれますが、誰か他の人が居る時は黙ってしまいます。どうやら、柘榴さんの声はあたしにだけ聞こえるのではなくて、誰にでも聞こえてしまうみたいでした。
『ここだよ』
 駅から十五分程歩いた場所で柘榴さんは言いました。そこは小さな洋館で、周りの家と比べると、とても古い印象で何だか作り物みたいです。字は読めませんが『伽藍の堂』という何かのお店でしょうか、看板がありました。
『あたしは先に中に行ってるから、ノックすれば中に入れてもらえるよ』
 柘榴さんはそう言うと、敷地の中に姿を消してしまいました。
 辺りを見ても、ここの家主さんの名前が判る様なものは置いてなかったので、あたしは取り敢えずノックしてみる事にしました。
「あ、あのっ。柘榴さんに案内されてきたんですけどー……」
〝あぁ、美和子君だね。鍵は開いてるよ、中にどうぞ〟
 若い女の人の声です。
 何だかちょっと安心して、あたしは中に入りました。
「お邪魔しまーす……」
 そろそろと入った洋館の中は、外とは大分違う印象です。沢山の置物があって、よく判らないものが一杯飾られています。何処かの部族みたいなお面があると思ったら、洋風のお人形さんも置いてあります。あとは中国みたいな模様が入った、使い方の判らない三脚の釜みたいなものとかがあります。
「やぁ、いらっしゃい」
 きょろきょろとしているあたしを玄関で迎えてくれたのは、目隠しをして黒いワンピースを着た女の人でした。
「初めまして、私は藤堂(とうどう)鼎(かなえ)。ここ伽藍(がらん)の堂の主だよ」
「あ、ど、どうも初めましてっ。堂崎美和子です」
「うん、よく来てくれたね。私は外に出れないから柘榴君に道案内を頼んだんだけど、驚かせてしまったみたいだね」
 眼が不自由なのでしょうか、それで出歩けないのかと思いましたが、鼎さんは特に苦も無くあたしの前まで歩いてきました。
「私の眼はちゃんと見えるよ。普通の人よりもよく視えるぐらいだ」
「え?」
「ふふふっ、まぁ不思議だろうね。兎に角奥にどうぞ、色々と説明するから。お茶でも飲もう」

 奥に通されて、鼎さんは「そこに座って待っててくれるかな」とアンティークみたいなテーブルを指すと、言った通り普通にお茶の準備を始めました。柘榴さんも何処からかやってきて、テーブルの上に乗ります。そのまま柘榴さんは丸まって眠り始めてしまいました。かちゃかちゃと鼎さんが食器を動かす音だけがやけに響きます。
 …………。
 な、何か静か過ぎて沈黙が……。
「あ、あのっ」
「あぁ、いやいいよ。美和子君はお客さんだから、そこでゆっくりしていて」
「え、あ、はい」
 あれ、あたしまだ何も言ってないんだけど……? え? えぇ?
『カナエ。ミワコが付いて来れなくてパンクしそうな顔してるぞ。ちゃんと説明したのか』
 柘榴さんが目を瞑ったまま言いました。
「いや、まだだよ。お茶でも飲みながら話そうと思って」
 柘榴さんに応えながら、鼎さんはトレイを持ってきました。トレイにはポットとカップの他に、何かの花の蕾の様なものと空のガラスの容器が載っています。
「待たせたね」
「あ、い、いえ大丈夫ですっ」
 鼎さんはあたしの顔を見て微笑むと、椅子に座りました。
「さて、美和子君。何で君を呼んだかと言うとね――実は、私は魔女なんだ」
「え?」
『は?』
「え?」
『いや何でもない……』
 柘榴さんは怪訝しそうな声を出して身体を起こしましたが、そのまま、また眠り始めました。
「柘榴君が喋れるのも、私が目隠しをしたまま自由に動けるのもそれが理由なんだよ」
「あ、あぁっ! 成る程、だから外にも出られないんですね」
「そうなんだ。今の時代に魔女が平然と出歩く訳にはいかないからね」
 あっはっはっは、と鼎さんは笑いながらポットのお湯をガラス容器に注ぎます。
「そ、それで……何で、魔女さんが、あたしを……?」
 うん、それはね――と鼎さんは注いだお湯をまたポットに戻しました。ガラスの容器から湯気が立ち上り、鼎さんは湯気越しにあたしを見てきます。
「動物と、話せる様になりたくないかな?」
 一瞬、言われた事を理解するのに時間が掛かりました。
「えっと、それは……あたしにも魔法が使えるって事ですか?」
「そうだよ。簡単に言うと、私の弟子になってくれないかな、ってね」
 言いながら、鼎さんはまたガラスの容器にお湯を注ぎました。今度は注いだお湯は戻さず、そのままです。
「君には才能があるからね、是非私の跡を継いでほしいんだ」
「えっえっえっ、でも。そ、そんな突然言われても」
 ちょっと混乱してきました。魔法というものの存在には驚きましたが、実際に猫の柘榴さんと会話したのは事実ですし、鼎さんが目隠しをしながらでも動き回れているのは確かです。だからその辺りはもう信じていますが、あたしに魔法が使えるというのは、いきなり過ぎて信じられません。
 も、もしかして鼎さんはあたしを騙して何かの生贄にしようとしてるんじゃ……
 余りの不安に、そんな童話みたいな事を考えてしまいます。
「いやいや、そんな事は無いよ」
「えっ?!」
 こ、心まで読まれてる!?
「落ち着いて。そうだね、君が魔法を使える事を証明してあげるよ」
 と、鼎さんはトレイに乗せられた花の蕾をあたしに渡してきました。
「その蕾を掌で包んで咲く様に祈ってごらん。そしたら、それをこのお湯の中に入れるんだ」
「は、はい」
 言われるままに、あたしは蕾を手で包んで祈りました。枯れてしまっているのか、とてもかさかさしていて、力を込め過ぎると崩れてしまいそうです。
「うん、もういいね。それで十分君の魔力は込められた」
「こ、この中に入れればいいんですか?」
 鼎さんは微笑いながら頷きました。
 あたしは恐る恐る蕾をお湯の中に落としました。ちゃぷりと、蕾はお湯の中に沈んで、ガラスの底に触れます。すると、不思議な事が置きました。蕾が見る見る内に花開いて、お湯が綺麗な黄金色に変わります。
「わぁ……!」
 あっという間に、先刻まで蕾だった花は大きな白い菊になりました。
「ほら、言った通りだろう。君には才能がある。今みたいな簡単な魔法だったらすぐに使えるぐらいだ」
「す、凄いです! 蕾が咲きました!」
 それだけじゃないよ、と鼎さんは黄金色に変わった液体を、カップに注ぎます。
「飲んでごらん」
「は、はい。頂きます」
 こくり、と一口飲んでみると、香ばしい様な甘い様な、今まで感じた事の無い味がしました。
「あ、美味しい……」
「それが君の魔力の味だよ。どうかな、信じてもらえたかな?」
「す、凄いです! 感動しました!」
 それは良かった、と鼎さんもカップに口を付けます。
「うん、美味しい。柘榴君も飲むかい?」
『あたしはいいよ。二人で飲めばいい』
 あ、そう? と鼎さんは肩を竦めてまた一口飲みました。
「そ、それで本当にあたしも動物と話せる様になるんですかっ?」
 あたしは興奮してしまって、声が少し震えて変な声で鼎さんに訊いてしまいました。
「勿論。ただ、その為には条件があってね。守れるかな?」
「はい! 守ります」
「それじゃ、先ず一つ目は魔法の事、ここの事は誰にも言わない事。二つ目は、ここを訪れるのは一ヶ月に一度だけ。三つ目は、私が許すまで勝手に魔法を使わない事。四つ目は、決して自分の力を疑わない事、だ。いいかな?」
「はい。判りました、絶対に約束は破りません」
 いい子だね、と鼎さんは頬杖を付きながら目隠し越しにあたしを見ました。
 本当に、本当にあたしも魔法を使える様になれるんだ……。
 何だかそれはとても嬉しくて、自分が特別な事が出来るんだという事は、物凄くどきどきします。嬉し過ぎて、顔が綻ぶというんでしょうか、多分今のあたしは恥ずかしいぐらいにやにやしているかも知れません。でも、そんな事が気にならないぐらいにあたしは心の底から喜んでいました。
「それじゃ、もう時間も遅いし。魔法の事をちゃんと教えるのは次からにしよう」
「えっ? もうそんなに経ちましたか?」
 慌てて鞄からケータイを取り出して時間を見ると、いつの間にか午後の四時になっていました。もう夕方です。
「悪いけど、私は送ってあげる事が出来ないからね。柘榴君に案内させようか?」
「あ、いえっ、大丈夫です」
「そうか、じゃあ、次はまた二月に会おう」
「はいっ! 楽しみにしてます」

 美和子が居なくなった後の伽藍の堂で、柘榴が言った。
『……何であんな変な嘘を吐いたんだ? あたしが喋れるのはあたし自身の能力だし、あの蕾だってただの洋菊茶じゃないか』
「彼女は多分来月死ぬ」
 静かに洋菊茶を飲みながら鼎は言う。
『何だって?』
「あの子はね、不幸な事に死ぬ可能性が高い。そしてその死は、彼女の周囲の人間には正しく伝わらないし、正しく立ち会う者も居ない」
『ちょっと待てよ。カナエの能力では未来を知る事は出来ない筈だろ?』
「たまにあるんだよ、運命を糸で表すのはそれなりに正しくて、様々なモノが交差するが為に結節が出来る事が。彼女は偶然、私の糸の近くを通って、私も彼女の糸に気付いた。だから手繰り寄せてみたんだよ」
 鼎の言葉に、柘榴は何処か落ち着かなさそうに、尻尾をゆっくりと左右に振りながら言う。
『それで……お前はミワコを助けようとは思わなかったのか?』
「『ラプラスの魔』を受胎している私には世界に干渉する資格が無いし、美和子君だけを特別に導いてあげる訳にも行かない。だからもしも彼女が助かるとすれば、それはそうであったというだけの話だよ」
 聞きながら、柘榴は溜息を吐く様に喉を鳴らすと、テーブルから降りた。
『まぁ、カナエがそう言うのならそうなんだろうけどさ。あたしには今一理解出来ないね、何でミワコにあんな話をしたか』
 柘榴が部屋を出て行った後、墨色の服を着た堂の主は、ガラス容器の湯に揺蕩う白い菊の花を見ながら呟く。
「夢を与えて送り出す、ただの気まぐれの弔いさ」

 あたしが地元の駅に帰ってくると、改札口に見知った顔がありました。
「あれ、誡(かい)お兄ちゃん?」
「お帰り、美和子」
 そこに居たのは、お隣さんで高校生になった今でもたまに遊んでくれる長谷のお兄ちゃんです。あたしが小さい頃から家族同士での付き合いがあるせいか、殆どもう本当のお兄ちゃんみたいになっています。
「あ、うん。ただいま。何してるの?」
「美和子がちょうど帰ってくる頃合いだと思って迎えに来たんだよ。時間も遅いしね、幾らもう中学生だからって、小母さんも不安って事だよ」
「うー、別にそんなのいいのに……」
 こうやって極端に子供扱いされるのは恥ずかしいのに……しかもよりによって、誡お兄ちゃんに……。
「それだけ美和子が大切って事だよ。ぼくだってそうだしね」
「でもそれってどうせ、あたしが子供って事でしょ!」
「それだけじゃないよ。小母さんにとっては大切な可愛い娘で、ぼくからすれば大切な可愛い妹って事だからね」
 ……結局、『妹』っていう扱いなんだ。
 何だか少しむかむかします。
「それで? 今日は遠くの動物園に行ったんだって? どうだった?」
「え? えっと……それは」
 本当は鼎さんのところに行ってたんだけど、あそこに行ってた事は秘密にしないといけないし……誡お兄ちゃんは変なところで鋭いから、下手な嘘も吐けません。
「もしかして――動物園に行くっていうのは嘘だった?」
「えぇ?! そ、そんな事無いよっ」
「美和子、嘘吐くの下手だなぁ。恋人でも出来たのかな、今日はカレシと逢ってた、とか」
「ち、違うもん! そんなのじゃないもん! もうっ、揶ってくる誡お兄ちゃんには教えない! 内緒!」
 明らかに慌てるあたしを見て面白がってる誡お兄ちゃんを鞄で叩きながらも、何だか話が有耶無耶になったので、あたしは内心ほっとしていました。
 もしも。
 もしも本当にあたしが魔法を使える様になるのなら、動物と話せる様になりたいと思うのは勿論ですが、それよりもっとしたい事があるからです。
 いつもあたしを助けてくれる、一番大切な人の為に魔法を使ってあげたいな、と――あたしはそう思っています。

Märchen Funeral......End

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Miraculous Answerer 2/吸血姫の来訪

2/吸血姫の来訪


 瀟洒な洋館の塀に、一人の女が寄り掛かっていた。
 長く真っ直ぐに伸びた白金のブロンドに、紫水晶の様な妖麗な眼。徒でさえ浮世離れした容姿に加えて、すらりとした背格好は、彼女に踏み込み難い雰囲気の圧を加えている。一目で異邦人であると判る彼女――キルシェ=B・ティリングハーストを知る一部の人間は、彼女をこう呼ぶ。
 〝吸血姫〟(ブラッドサッカー)と。
 それは畏怖を込めての皮肉ではあるが、決して比喩等ではない。事実としてキルシェは血を吸う。
 媒介者(ベクター)の研究を行っている複合企業・オルガノンに所属し、異能者専任の終止者(クローザー)である彼女もまた、異能者の側に居るのだ――血を吸い戦う妖姫として。
 その彼女が今、その手にとてもじゃないが、似つかわしくない物を持っていた。その端麗な容姿にも纏う空気にも、はっきり言って場違いである。
 それは鯛焼きだった。
「……粒餡と漉餡の違いが判らないわ」
 明らかに近くの店で買い食いしているものである。
 キルシェは右手に半分齧った鯛を持ち、左手には持ち帰り用に箱詰めされた数匹の鯛が入った袋を持っていた。
「同じ餡子じゃない……何が違うのかしら」
 餡子の粒と漉の違いを真剣に悩みながら、彼女はまた一口鯛焼きを食べる。因みに今食べているのは粒餡だった。
『何してるのさ、キルシェ』
 ふと、塀に寄り掛かって黙々と鯛焼きを食べていたキルシェに声が掛けられた。しかし彼女の周りには誰も居ない。洋館の塀の上に、黒猫が一匹居るだけである。
 久し振りねー、ランガージュ――相手の事を知っているのか、その何処とも知れぬ声に、キルシェは全く動揺せずに答えた。
「鯛焼き食べてるの、鯛焼き。欲しい? 欲しいかしら鯛焼き? あげないわよ、ワタシのだから」
『誰もそんな事は訊いてない』
 ランガージュと呼ばれた相手は、少し苛つきを孕んだ声を出す。
『あたしは何しに来たって訊いてるんだ。それと、〝言語活動(ランガージュ)〟なんて能力名であたしを呼ぶな。あたしの名前は藤堂柘榴(ざくろ)だ』
 キルシェは残った鯛焼きの尻尾を口に咥えると、ふぅん、とその紫色の瞳を塀の上の黒猫に向けて言った。
「猫なのにファミリーネームを名乗るのね。全く、カナエも何考えてんのかしら、自分の監視役に名前なんか付けちゃって」
『煩いな。いいから答えなよ』
「あ、ちょっと怒った? 折角貰った名前を貶されて怒った? ザクロちゃんってば向きになっちゃって、かーわーいーいー!!」
『……もうすぐ還暦の癖に何を若振ってんのさ、ウザさに拍車が掛かってるよ』
 自らを藤堂柘榴と名乗った黒猫は、キルシェに対して冷たい目線を送る。尤も、キルシェが猫のそれを読み取れたかは不明だが。
 キルシェは新しい鯛焼きを食べながら答えた。
「肉体年齢なんてワタシみたいなタイプの論理兵装(ロジカルアームズ)には関係無いわ。歳取らないし、ワタシはずっと二十代っ!」
 だから綽名が〝吸血姫〟なのよー、と彼女は皮肉気に微笑う。
『あたし達(ベクター)と違って、科学が意図的に生み出した化物ってだけだろ。しかも適当な推論で造ったとかいうさ』
 呆れた様に言う柘榴に、化物と呼ばれたキルシェは綽々と答えた。
「厳密には、偶然見つけた生体金属で人体実験を色々やってるってだけよ。それで理論体系が無いのに出来ちゃったものを、困ったから論理兵装(ロジカルアームズ)なんて呼んでるだけ。意図的って言うより、研究の副産物よ」
『ふぅん。で、その兵器さんは結局何しに来たのさ。そっちの主な仕事は、管理出来ない媒介者狩りだろ』
「よく判ってるわね、そうよ。だから来たの」
『……は?』
 キルシェの言っている事が理解出来ず、柘榴は虚を衝かれた様な声を出した。
「だから言ってんでしょ。媒介者(ベクター)が居るのよ、近くに」
 いつの間にか持っていた鯛焼きを全て平らげていたキルシェは、手に付いた汚れを叩きながら言う。
「ホロコーストって名前の放火女がね、カナエを狙ってんの」
 キルシェの口振りは相手を知っているものだが、それは決して好意的なものでは無い。表情こそ余り変わっていなかったが、紫の瞳は据わっていた。それとして、柘榴は訝しげに眼を細める。
『狙うって……何でカナエの事を知ってる奴が居るのさ? そもそも情報は会社から漏れない様にしてあるんだろ』
「そうなのよねー。カナエについては能力が能力だから、ワタシが全部機密扱いにして情報を閲覧禁止にしてる筈なんだけど。それに、見るにしてもワタシを通さないといけないから、見た奴が居たら判る筈なのよ」
 なのに、とキルシェは一拍強調して言う。
「それがバレてる。しかもよりによって、三年前に大暴れした放火魔――新鷹月見にね」
『そいつがホロコーストってベクターの能力者?』
「えぇ、そうよ。三年前にケリを付けたと思ったんだけどね、ずっと大人しくしてたし。それが今更になって、カナエを狙ってるなんて情報が入ってくるもんだから吃驚したわ」
 あーやだやだ、とキルシェは頭を振った。
『その、ツキミって奴は何でカナエを狙ってるのさ?』
 柘榴の質問にキルシェは「さぁ?」と肩を竦めて素っ気無く答える。
「知らないわ。原因があるとしたら、カナエの道楽でしょ。何か心当たり無いかしら、ランガージュ? 一応、カナエの監視役でしょ」
 言われて、柘榴は思い出す様に首を傾げ、
『…………』
 沈黙の後に、にゃー、と一度鳴いた。
「誤魔化したわね」
『違う。寧ろあたしは心当たりが多過ぎて困ってるんだ』
 柘榴の言葉に、はぁ、と呆れた溜め息を吐きながらキルシェは髪を掻き上げる。
「やっぱりカナエの方だったのね。全く、軟禁状態だからって暇潰しも程々にしてほしいわ」
 はあぁ、と今度は大きく疲労の溜め息を吐くと、ザクロちゃーん、とキルシェは如何にも適当な具合に言った。
「カナエが狙われる理由だったら、多分本人に訊いた方が早いわよー」
 それに対し柘榴は黙ってくるくると喉を鳴らす。キルシェを鼎に会わせるのに少し悩んでいた様だったが、やがて、仕方が無いとでも言う様に項垂れた。
『中に入りなよキルシェ。いつまでも外に居たって意味無いだろ』
 とん、と柘榴は塀から降りるとキルシェを敷地の方に誘う。お邪魔するわ、と彼女はそれに付いて行った。
 あ、そうだ――中に入ろうとしたキルシェが、思い出した様に言う。
「忘れてたわ。ランガージュ、一つお願いがあるの」
『何?』
 キルシェは『伽藍の堂』という屋号の洋館の扉を指差し、言った。
「鍵、開けて頂戴」


3/懐古と現状と

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Miraculous Answerer 1/灼なる灯し

1/灼なる灯し


 ――俺は人を殺したんだ。
「見れば、解りますよ」
 彼の言葉に彼女はそう答えた。
 新鷹(あらたか)月見(つきみ)の前には、死体が転がっている。その死体は月見の高校の後輩で、月見は今はもう喋らない彼女と一緒に帰っていた途中だった。
(……結構、いい娘だったんだけどな)
 苦痛に塗れた後輩の顔を見ていると、ぼんやりと、そんな曖昧な感慨が湧いてくる。今、目の前に居る男に殺されたばかりだというのに、月見は他に何も感じない。
 仕方が無い。
 それが一番近い感想だった。この娘は、今ここで死ぬ事になっていたのだろう。だから仕方が無い。
「違う。この娘の事じゃない」
「はぁ」
 我ながら何とも気の抜けた返答をしてしまったと月見は思う。相手は人殺しだというのに、彼女には少しも動揺が無い。
「俺は、以前にも人を殺したんだ。この娘が別に初めてじゃない。大体……五人目くらいだな」
「あぁ、連続殺人犯さんですね」
 またやってしまった。意味の解らない返答だ。
 月見は自称・殺人鬼を一瞥する。
 彼には左腕が無い。右手には、後輩を殺した時に付いた血の跡がある包丁を持っている。
「えっと……あたしも殺します?」
 まだ血が滴り落ちる刃の切っ先に目線を落としながら月見は訊く。
 殺人鬼は答えた。
「いや、いや別にその気は無い。もう今日は満足したし……」
 殺人鬼は器用に包丁を持った片手で頭を掻く。
「俺が言いたかったのは、俺が真性の人殺しだって事だ」
 はぁ、と今度はもう何も考えずに月見は間の抜けた返事をする。
「言い訳する訳じゃないけど、人に殺しを見られたのは初めてで……こういう時、どうすればいいのか判らないんだ、俺は」
 普通なら目撃者を殺すんじゃないの、と月見は思ったが、その殺される人間が自分なので、面倒を避ける為に黙っていた。自分が殺される訳が無いと思っていても、会話を繋げてしまうのが怠いのだ。
「……変な奴だな」
 ぼそりと、殺人鬼が呟いた。思わずそれに月見はむっとする。
「変な奴って何ですか。そっちの方が全然変です。人殺しの癖に」
「あぁ、まぁそうなんだけど。友達が殺されたのに、何にも無いから――変だ」
「…………」
 ――それは。
 それは仕方が無い事なのだ。
 殺されてしまったのは仕様が無い。それが月見の後輩の運命だったのだろうから。だから、殺した張本人は殺したのだし、そこに何を言っても意味が無い。月見は、そう思ってしまうのだ。
 この、ともすれば壊れてでもいる様な女子高生の厭世観に、その沈黙から何も読み取れずに、殺人鬼は困り果てる。
「もしも」
 ぽつりと、月見は言った。
「もしもあたしが、この状況に何か思うなら――それは、よくて神様がムカつくってだけですよ」
 はぁ、と適当な相槌を打ったのは、今度は殺人鬼の方だった。
「やっぱり変だ」
「……うっさいな人殺し」
「別にそんな事言われても俺は傷付かないけど。怪訝しな感性だ」
 怪訝しいと言われれば、まぁ怪訝しいんだろうな、と思うしか無いのが頭の痛いところである。
 事実、月見は普通の人間ではないのだから。
 彼女は〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟だった。
 三年前の奇妙な出来事――彼女は世界の枠から外れた人間達の争いに巻き込まれ、自分もまた外れた。
 その事件の時に、自分と敵対した〝吸血姫〟(ブラッドサッカー)と呼ばれていた美しい女の形をした化物は、外れた存在を媒介者(ベクター)と呼んでいた。一度死に、〝文明の安楽椅子(ホモ・サピエンス)〟の世界から消える事で他の世界の可能性を得た存在と。月見は、そうなってしまったのだ。〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟という名を持つ媒介者(ベクター)に。
 それにより彼女は全てを燃やす事が出来る、己の知覚の裡にあるものを。だから、高が殺人鬼の一人ぐらい怖くない。
「神、か」
「え?」
「先刻言ったろ、神様がムカつくって。俺は神なんて考えた事も無い。俺は俺として自由に殺すだけだから、そんな奴は知った事じゃない」
「自由、ですか」
 あぁ自由だ――殺人鬼は言う。
「少し前に俺の中身を読み取った人が居て、その人は俺自身が気付いていなかった事を教えてくれた。この世界で俺は、俺以外になれないから己を由とすればいいんだ、ってさ。だから俺は人を殺し続けていい、って気付いたんだ」
「己を由とする……」
「そう、それが俺の名前だから」
 自由であるという事。月見はそれに不快感を覚える。
「貴方の名前……教えてくれませんか、殺人鬼さん?」
 殺人鬼は不思議そうな顔をして、言った。
「俺は己(つちのと)、己由(ゆう)だ。なんなら、君の名前も教えてもらっていいか?」
「あたしは、新鷹月見です。……自由だなんて」
 月見は目を伏せ、そこで言葉を切った。その先を口にしてしまったら、負けを認めなくてはならなくなると思ったからだ。
 ――下らない、けれど羨ましい。
 月見は、自由を口にする殺人鬼に対して、そう感じてしまったのだ。
 彼女は『運命』や『神』といったものを極端に嫌う癖に、それをどうにも出来ないと諦めて生きている。
 そもそも、その奇妙な達観を抱く様になったのは、彼女自身の能力が原因だった。『ホロコースト』という言葉。これはユダヤ教の、神への供物を焼いて捧げるという全燔祭が、その元々の意味だ。それが転じて火災による惨事、虐殺という意味を持っているが、月見は自分の能力は後者のものだと思っている。
 能力の名の意味を自分で調べた時に、月見は特殊な宗教観を持つこの国に生まれて初めて、神という概念に興味を抱いた。
 何か超越的なモノがこの世界を定めているという考え方。それは明らかに自分よりも上に居るもので、全てを決めている。そう、所詮神が創った世界に於いて、自分の事など始まりから終わりまで最初から決まっているのだ。
 この事に気付いた時、月見は全てを無茶苦茶に燃やし尽くしたくなったが、それも神の決めた事かも知れない、と止めた。あとで思ったが、どっちにしろ、自分のその選択が神の仕業なのだとしたら意味が無い。泥沼に嵌った果てに、彼女は諦めた。
 だから月見は、自由に嫉妬する。
「自由がどうかしたのか」
 殺人鬼がふと訊いてくる。
「いえ……己さんが、どうしてそこまで確信を持てるのかなって」
 他人に言われた程度の事なのに――月見は由に疑問を投げ掛ける。
「あぁ――確かにそうだな」
 変に納得した様に彼は言った。
「あの人……鼎(かなえ)さんは、不思議な人だったからな。まるで全てを識っているみたいな話を俺にしてくれた」
 いや――と由は自分の左腕があった付け根を押さえて、何かを思い出す様に言う。
「今思えば、全部識ってたんだろう、あの人は。そんな能力があったとしか、ただのヒトじゃない存在が世界に絡んでたとしか思えないな」
「ヒトじゃない……?」
「あぁ、変な話だろ? 俺は俺の事を全て把握している人に出逢ったし、俺の全てを模倣している奴にも出遭った」
 そのせいで失くしたんだよ――何処か自嘲気味に微笑いながら、由は左腕のあった場所を月見に見せた。
 どきり、と。
 その時月見は、殺人鬼を前にして初めて動悸を感じた。それは恐怖ではなく、混乱でもなく――期待だった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。その人、己さんが会ったっていう人は、最初から識ってたんですか?」
 月見は自分以外にも媒介者(ベクター)が存在する事は知っている。だから別段、由が語る事に驚きはしない。きっと、由が遭遇したのは、何かしらの能力を持つ人間による出来事だったのだろう。
 だが、問題はそこでは無かった。
 段々と胸の鼓動が早くなるのが感じられる。今までの自分の人生で考えてきた無駄な妄想の実現が、そこにあるかも知れない。
(もしかして、出来るの……!?)
 身体が宙に浮く様な感覚がする。諦観だけの生き方をしていた月見が、期待に胸が膨らむのを止められないのだ。
「教えて下さい己さん! その人、貴方が会った人の事!」
「いや、教えてって言われても……」
「いいんです何でも。その人にあたしは会いたい……!!」
 急に浮き足立った月見に、由は困惑する。殺人を目にしたばかりの少女の奇妙な願いに対し、彼は眉を顰めた。
「まぁ、別にいいけど……。鼎だよ、その人は藤堂(とうどう)鼎。ここから少し離れたとこで、『伽藍の堂』って何でも屋さんをしてる人だ」
「カナエ……」
 月見は噛み締める様に、決して放さない様に、その名を口にする。
「変な女の子だな、本当に。そんな事を聞いてどうすんだ」
 由のその質問に、彼女は後輩の死体へ目を伏せる。
 すると、ぱち、と何かが弾ける小さな音がした。次第にその音は大きくなり、少女と殺人鬼の間に突然に熱が奔る。
 ぼうっ――と死体が燃え上がっていた。
 月見の〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟で点いた炎に、殺人鬼は瞠目する。これは目の前の少女がした事だと直感的に解り、そしてまた、彼女が以前に遇ったヒトではない存在に属すると解ったからだ。
「何だ……お前は」
 超越への畏怖よりも先に、目の前の華奢な少女に由は危険を感じた。雑食性の肉が焼ける異臭が鼻を突く中で、由は右手に持っていた包丁を握り直す。少しでも不審があれば殺せる様に。
「殺人の証拠隠滅です」
「はぁ?」
 予想外の返答に由は馬鹿の様な声を出す。
「己さんには、そのカナエって人のトコまで道案内をしてほしいから、警察に追われたりしたら面倒臭いんです」
 自分に真っ直ぐに向き直る月見のその眼を見て、少女が本気で言っている事が判り、由は取り敢えずの警戒を解く。
「……極め付きに変な子だ」
「変な子じゃないです、あたしは新鷹月見です」
 ふぅん、と由は燃え盛る死体を挟んで、妙に意固地な少女を見据える。大きな火の穂が一本、立ち上った。
「じゃあ月見ちゃん。訊きたいんだけど、君は何をするつもりなんだ?」
 月見の顔は死者の炎で赤らかに照らされている。その顔を向けて、彼女はとても真面目に、しかしそれ以上に突拍子の無い事を言った。
「神様を殺すんです」


2/吸血姫の来訪

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Miraculous Answerer 9/灼然への回答者

9/灼然への回答者


 月見はがたがたと震えていた。
 どう仕様も無いくらいに怖かった。
「……高校を、辞めたい、ねぇ……。それで、その後は旅に出る、ときたか……」
「……はぃ。そぅ、です……」
 由に付いて行くと決めた後の難関。それは、実姉の雪見だった。
 父親も母親も死んでしまった後、すぐに就職して働きながら自分と妹の花見の面倒を見てくれた姉。彼女に対して、月見の申し出は余りにも恩知らずと言えるだろう。
 雪見は眼を据わらせて頬杖を付いていた。話しながら机を人差し指でトントンと叩く。姉の一挙手一投足が月見には恐怖だ。威圧感だけで既にキルシェと戦うよりも怖い。
「それで、どうしようって言うの? 問題は解決したのかしら……?」
 月見は姉と目を合わせて話す事が出来ない。無理、超怖い。自然と俯きがちに喋っていた。
「その、問題は解決、しました」
「月見?」
「はいっ!?」
「人と話す時は相手の目を見るのが礼儀」
「ご、ごご、ごめんなさい。問題の方は、無事に解決しましたっ。その、それで旅、っていうか、放浪というか、それはその――」
 これはどうしても伝えないといけない事だ。月見は、雪見の眼を真っ直ぐに見て、はっきりと言った。
「ここじゃ、出来ない事があると思うから」
「…………」
 雪見は殆ど眼を付ける様に月見を睨む。それでも月見は手をぎゅっと握り締めながら決して退かない。
 やがて雪見は舌打ちすると、姿勢を崩した。
「いいわ、認めてあげる。自主退学していいわよ」
 降参を示す様に雪見は両手を挙げてぶらぶらさせる。
「ったく、昔からよく判らないところで頑固ね月は」
「話終わったー?」
 リビングにひょいと顔を出したのは末っ子の花見だった。
「どうだった雪ちゃん? 月ちゃんに折れた?」
「折れたわよー、このパターンじゃ絶対にこの子譲らねー」
「やった、それじゃ賭けはアタシの勝ちー」
「持ってけ泥棒―、お姉様の懐を寒くさせるなんて酷い妹だことー」
 言いながら雪見は財布から一万円を取り出して花見に渡した。毎度ありー、と花見は自分の財布に金を仕舞いながら、ほくほく顔で椅子に座る。
「えっ、ちょっと何それ。雪姉ちゃんと花ちゃん何それっ」
 二人の遣り取りを咎める様に月見は言う。姉と妹は、一度顔を見合わせてから、同時に答えた。
「賭博」
「ひっ、酷いっ! 他人の人生の別れ道の話し合いでそんな事してたのっ?! あぁっ、って雪姉ちゃんが妙に凄んでたのって、もしかしてそれが理由!?」
「いや、ぶっちゃけ貴方の人生だから高校辞めるとかどうでもいいし」
「ゆーきーねーえーちゃーんー!?」
 月見は身を乗り出して雪見の腕を掴むが、それを無視して彼女は妹を引き摺りながら歩く。
「さーて、妹に男が出来た記念だし、外食にでも行きましょうかー」
「わーい、雪ちゃんアタシ焼肉が食べたいっ!」
「花はわたしから分捕った金で勝手に食え」
「は? 中学生に自腹切らせるなよ、お姉ちゃんでしょ!」
「わたしはこんな憎たらしい妹は知らないわ」
 花見と適当に話しながら雪見は、ぺいっ、と月見の腕を振り払うと、すたすたと外出の準備をしに行った。
「って、ちょ、ちょちょ、待って!? 今の会話何か怪訝しくなかったっ? 平然と男が出来たとか言ってるけど何それ?!」
 月見が呼び止めると、雪見は不思議そうな顔で言う。
「旅って、相手男でしょ? 具体的に言うと恋人」
「え……いや、その別に己さんは恋人とかじゃなくて……。別に告白とかしてないし、そんな風に見てた訳でもないし……何て言うか、その……パートナー? 的な存在の人で……一緒に居ると安心出来るっていうか……いや、その全然恋人とかじゃないの!! うん、まぁ、でも別に嫌って訳じゃなくてね? な、何て言うかね? こう、ね?」
 月見は顔を真っ赤にさせながら俯いて、後ろ手を組んでもじもじと言い淀む。
「うっわー……何コレ恥ずかしい。同じ生き物の行動に見えないんですけど……これが思春期? 気持ち悪っ」
「そうね、これが思春期よ。花、こうなりたくなかったら、姉の姿を目に焼き付けておきなさい。いい反面教師よ」
「うーん、最後の最後に、アタシは月ちゃんからとても大切な事を教わりました。本当に気持ち悪いよ月ちゃん」
「二人ともこれからあたしの門出を祝ってくれるんじゃないの?!」
 さー、さっさと出掛けるわよー、と既に雪見は完全に我関せずである。あ、そうそう、と彼女は思い出した様に月見に向かい直った。
「……ん? 何、雪姉ちゃん?」
 雪見は優しく微笑いながら言った。
「どう致しまして」
 月見は一瞬、面食らった様だったが、彼女も笑顔で答えた。
「うん……有り難う、雪姉ちゃんっ」

Miraculous Answerer……End

Image"Simple Story"
Song by ACIDMAN


「で、何処まで狙ってやってたのよアンタ」
 伽藍の堂で、キルシェが言った。
「狙うだなんて人聞きの悪い言い方だね」
 その言葉に鼎は薄く笑みを浮かべながら答える。
「私に出来るのはお膳立てだけだよ。その後どうなるかまでは解らないさ。月見君の出した答えは、彼女自身のものだ。私はこの面白い世界が好きで、正しいと思う方に誘導してみようとするだけだからね」
 まぁ、何も問題は無かったし、いいんじゃないかな、と鼎は言う。
『いい訳あるかっ!』
 たしっ、気の抜けた音で柘榴が机を叩いた。
『今回の件でアリスは全治二週間の怪我だぞ?! 一人だけ散々な目にあってるじゃないかっ!』
「あぁ、そう言えばそうだったね。彼ほど運の無い子も珍しい」
「まぁ生きてたし、いいんじゃない?」
 あっはっはっは、とキルシェと鼎は他人の不幸を肴の様に笑う。柘榴だけが怒りながら、気の抜けた音を鳴らして机を叩いていた。
「あ、そうだわ。ワタシ、アリスが退院したらキスしてあげなきゃ」
『はぁっ?!』
「約束したのよ、生き残ったらキスしてあげるって。アリスも満更でもなさそうだったしね」
『ちょ、ちょっと待て。それって一体どういう事だ!?』
「どういう事も無いわよー? キスするだけじゃない」
『何をどうしたらそういう事になるんだ?!』
 まぁまぁ、と毛を逆立てる柘榴を、宥める様に持ち上げて鼎は自分の膝元に置いた。
「もう夜も遅いし、時間も無いからここら辺にしておこう」
『時間って何の事さっ? いいから、あたしに仔細を話せキルシェ!!』
 騒がしい堂の中、微笑いながら鼎は深けた空の月に目を移した。
「……月に叢雲花に風、とはよく言ったものだね。――まぁ、だから世界は面白い」


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Miraculous Answerer 8/さよならフリードリヒ

8/さよならフリードリヒ


 目が醒めると日が沈んでいた。
 誰の姿も無い。
 キルシェも、由も、有栖も居なくなっていた。残っているのは由の血の跡だけで、斬られた彼の腕すら無くなっていた。
 寒かった。
 夜がコンクリートを冷やし、風が身体の熱を奪っている。座り込んだまま立ち上がれず、月見はぼうっとしていた。
 突然、スカートのポケットで何かが震える。ケータイが着信していた。月見はのろのろとした動作でケータイを取り出し、電話に出る。
〝月?! やっと繋がった……今何処に居るの? 貴方今日高校サボったでしょ、もう警察に捜索お願いしようかと……ちょっと、聞いてるのっ?〟
 不安そうに、少し怒った声の相手は姉の雪見だった。
「うん……心配掛けてごめんね、雪姉ちゃん。今から、帰るから」
 月見の余りにも気力の無い声に怒りを削がれたのか〝……ま、いいわ〟と雪見は言う。
〝早く帰ってきなさい。花も心配してるから〟
「うん、判った。……花ちゃんにも、ごめんって言っておいて」
 月見はケータイを切ってポケットに仕舞う。そして、のそりと立ち上がり暫く無言で居たが、乾いた由の血の上に崩れ落ちた。意味も無くその跡を手で擦り、何度も何度も必死に擦る。まるで出来事ごと消してしまいたいかの様に。
 気が付くと月見は泣いていた。何で泣いているのか自分でも判らなかった。悔しくて悲しくて虚しくて怒りたくて、それでも何よりただ涙が止まらなかった。
 落ちた涙で乾いた血が水分を取り戻し、月見の手は真っ赤に染まっていく。時折涙を拭うので、乾いていた血が顔にも広がっていった。埃と血で汚れても月見は気にせずに、長い間血の跡を擦り続けた。
 やがて、涙も出なくなり、彼女はふらふらとその場から立ち去った。

「月……どうしたの貴方、その恰好っ?」
 家に帰ると、姉の雪見が心配そうに訊いてきた。
「別に、大丈夫。あたしの血じゃないから、気にしないで」
 月見は笑顔を作ったが、どう見ても元気が無い。どろどろの姿を気にするなという方が無理だ。両親の居ない新鷹家で保護者を務めている長女の雪見からすると、一層である。
「それより、疲れちゃったから寝るね」
「ちょっと、その前にせめてシャワーぐらい浴びなさいよ」
 月見は力無く、判った、と頷くと着替えを出して風呂場に向かう。その様子を、雪見は心配そうに見つめていた。
 月見がすぐにシャワーを済ませて戻ってくると、雪見は自室に行こうとする妹を引き止めて、リビングの椅子に座らせた。何も食べてないでしょ、とクッキーを出して、牛乳をミルクパンで温め始める。
「雪姉ちゃん、あたしお腹空いてな」
「食べろ、つってんのよ」
 睨まれ、一瞬びくりとして月見はクッキーを黙々と食べ始めた。牛乳を温め終えると、雪見はマグカップ二つにホットミルクを移す。そして月見の対面に座った。
「で、何があったの?」
「…………」
 さく、とクッキーを一口齧るだけで、月見は何も答えない。
「この雪見お姉様にも言えない事なのかしら、月。それぐらいは言えんでしょ」
「……あたしだけの問題だから、言えない」
「――はぁっ?」
 雪見は急に身を乗り出すと、月見の頬をぎゅっと抓った。
「高々、十七歳のガキが『あたしだけ』の問題だぁ?」
「痛っ、痛いって雪姉ちゃんっ!」
「あのね、わたしは月と花の貴方達二人を養ってる家長様よ? うら若き乙女でありながら、もう父親役と母親役をやってんの。それを人生経験も碌に無い貴方が、自分だけの問題抱えるなんて生言ってんじゃないわよっ?」
 痛い痛いっ、と喚く月見を無視して雪見は続ける。
「わたしは貴方の悩みを聞く義務があるし、貴方はわたしを頼っていい権利があんの。それがどんな難題であれ、わたしは貴方が自立出来るまでは、どんな事でも受け容れるわっ!」
 一気に捲し立てると、漸く雪見は手を放し、自分の席に戻った。
「――それでも、言えないっての?」
「……うん」
「そう、なら仕方無いわ。荷物纏めて出て行きなさい」
「えっ」
 冗談よ、半ば呆れ気味に雪見は嘆息した。
「話したいと思ったら話せばいいわ。わたしはいつまでも貴方の信頼出来るお姉様で居てあげるから」
 それじゃわたしは先に寝るわ、と雪見は席を立った。
「雪姉ちゃん」
「ん?」
「……有り難う」
 その言葉に、雪見はつっけんどんに答えた。
「まだどう致しませんよ、月。悩みが解決出来たら、そのお礼に応えてあげるわ」

 翌日、月見は高校に行かなかった。
 朝起きて、朝食を食べ、身支度をし、家を出たが、その足がどうしても高校に向かわない。自然と、由と初めて遇った場所に来ていた。
「…………」
 ――どうしてだろう。
 漠然とした疑問だった。何に対してのモノなのかも彼女の内では解っていない。ただどうしてと思うだけで、その先は無かった。
 暫く何も考えず、ぼんやりとそこで立ち尽くす。裡が混沌としているだけで、明確な疑問の形を成さない。
 あたしは負けた。神様を殺された。敗北はそれを意味しているの? 神様は死んだ。本当に? あたしが負けたのは、神様の仕組んだ事じゃないの? だとしたら何処から? 何処まで? 初めから無駄だった。あたしの生きる意味。死んだ意味。自由は何処にあるの? 普通に生きればよかった。気にしなければよかった。諦観が冴えていた。でも出来ない。無理だよ、そんな事。抑えられない。だから戦ったんだから。でも負けた。負けた。負けた負けた負けた。失って――何を? 何も変わってなくて、完璧に負けた。
 ――どうしてだろう。
 結局元に戻る。答えの無い問いだった。
 頭の中の囁き声が全てを台無しにする。どんなに考えても、最後に出てくるのは声が語る一つの疑問だけなのだから。
「……死んじゃおっかな」
 もう全てが面倒臭い。答えが無い。鼎の言葉と自身の言葉が相反して矛盾しか生み出せない。自分の出した答えと、それに対する反証。根拠が無いと認められなかった。だから敗北の後に混沌しか無い。
 最早、意味があるのだろうか――だから死んでしまおう。
「――死ぬなんて止めてくれよ、俺が殺そうと思ったんだから」
 起伏の無いシニカルな声。
 聞き覚えがある。これは、あの殺人鬼の――
「つ、己さんっ!?」
「相変わらず変な子だな。先刻からずっと後ろに居たのに、一人でぶつぶつと」
 振り返るとそこに居たのは由だった。見間違えようの無い殺人鬼だった。最初の時と変わらず、何を考えているのか判らない顔で、片腕に血の付いた包丁を持っている。
「生きて……たんですか?」
「生きてるな」
「だって、だって右腕……ゆ、幽霊?」
「足はある」
「そ、それに血もあんなに……!!」
「そんなに俺を殺したいか」
「いえ、そ、そうじゃないですよ!?」
 由は呆れた様に大きく溜め息を吐いた。
「あの後、キルシェさんが怪しい研究所に連れてって、何か新しい腕とやらをくれたんだよ。生体金属がどうだとか、多分超高性能な義手みたいな物なんだろうけど」
 リハビリがてらに一人殺してきたところだ、と由はひらひらと腕を振る。
「因みに、キルシェさんはあの後、生の血を二リットルぐらいがぶ飲みしたら怪我が全部治ったよ。全く、どういう構造なんだ、あの化物」
 由は苦々しい顔で世間話をする様に喋るが、月見は思考の整理が追い付かない。由が生きていた。もう完全に居なくなってしまったと思っていた。それがこうして平然と人殺しに励んでいる。キルシェは血を飲んだら怪我が治った? いや、それはどうでもいい。吸血姫だし。
 それより何か、何か言わないといけない気が――
「ば、馬鹿ァッ!!」
「何でそこで切れるんだ」
 尤もだ。よりによって何故口を衝いて出た言葉がこれなのか。
「知りませんよ、バーカ!! あたしに会いに来るよりも先に人殺してたってどういう事ですか?!」
 月見は力任せに鞄を投げ付けた。ばす、と由は平然と受け止める。
「……会いに来てほしかったのか」
「え? えっと。そ、れ、は…………し、知りませんよ?!」
「何なんだお前」
 俺としては正直に答えてほしいな……、と由は小さくぼやいた。
「そ、それより何しに来たんですか、どうしてここに来たんですかっ?」
「鼎さんから伝言だ」
 びくっ、と月見は身構えた。
「自由の証を立てる、とか言ってたな……まぁ、伝えるのは一言だけど。『死ぬ瞬間に視たモノが、神の正体だよ』だとさ。よく意味が解らないけど、確かに伝えたぞ」
 あの時、視えたもの――自分。
 確かに、月見はキルシェに殺される直前、はっきりと『決定者』の姿を視た気がした。だが、それは死に直面する事であらゆるものが殺ぎ落とされ、自分の行動の奥――エルゴ、アートマ、自分自身の自己などと呼ばれるモノ――が浮き上がってきただけに過ぎない。謂わば人格的な走馬灯だろう。
 どれだけ祈ろうとも、誓いを立てようとも、死に際にすら神は応えてくれない。最後に居るのは自分だけなのだ。そうして見つめ直す事で漸く解るものは、楽天的なペシミストである『彼』のさもしい笑顔しかない。
 月見は何だか急に可笑しくなって、思わず声を上げながら笑ってしまった。由は意味が解らず、不思議そうに片目を細める。
「何だ、どうした急に」
 いえ、すいません、と月見は笑い涙を拭きながら、それでも可笑しくて笑いながら答えた。
「己さん、あたしの神様、殺されちゃいました」
 偽神。偽者だと、その通りだ。
 運命を決めている存在は居る。しかしそれは神ではなく、かと言って自分でもない。月見はそれを上手く言葉で言い表せなかった。けれども、何と無くは解っている。『自分の中心』……? もしくは滑稽な言葉だけれども『魂』とでも呼べばいいのだろうか。
 一の中に潜む全。
(それが神様で、新鷹月見(あたし))
 何も難しい事は無かった。答えは単純――変えられない自分が大嫌いだった、それだけだ。だから月見は間違っていたとは言え、切っ掛けを見つけたら必死に抗った。
 月見は大きく息を吸って伸びをする。
「あー!! すこーしだけ、今までよりはマシに生きられそうな気がしますよっ!」
「そいつはよかった。俺は月見ちゃんを殺したいと思ってるけどな」
「そう言えば……己さんは、これからどうするつもりなんですか?」
「無視か」
「はい。無視です。で、どうするつもりなんですか?」
「…………」
 由は包丁を持っている手を握り直したが、流石に大人気無いと思い止まった。常識的な殺人鬼である。
「俺は、別に特には変わらないな。キルシェさんにオルガノンに入社しないかって誘われたけど、基本的には多分ぶらり途中下車の殺人だ」
「……土曜日の朝を血腥くしないで下さいよ」
「まぁ、人を殺す機会をくれるなら、オルガノンとやらに入ってもいいとは思ってるな。自由にやらせてもらう、って条件は付けるけど」
 それで、と由は月見に言う。
「こんな事を訊いてどうするんだ?」
「あたしも付いて行きます」
 思考が停止した。
 しかし由の表情はちっとも変わっていないので、月見をじっと見つめている様に見える。「そ、そんなに見ないで下さいよっ」と月見は何を勘違いしたのか恥ずかしそうに顔を背けた。
「…………は?」
 やっと真っ白になっていた由の脳味噌がまともに働き始める。
(俺、確かこの子に殺したいって伝えたよな、今先刻。無視されたけど。それを差し引いても、自分から俺に付いて来る理由は何だ。人殺しに興味があるのか……? いや、だったら自分で焼き殺せばいいだけだな。何で俺に付いて来る…………まぁ、いいか)
 由は考えるのをやめた。面倒臭くなっただけである。
「別に――俺は構わない」
「本当ですかっ?」
「あぁ。まぁ、ただ何で付いてくるんだ?」
 由の問いに、月見は少し、はにかみながら笑って答えた。
「あたしも、自由に生きてみたくなったからですよっ」


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