■Calendar

05 2018/06 07
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

■Comment

Name:
無料掲示板

■Twitter

■Search

疑心暗鬼と泥沼ショコラ

疑心暗鬼と泥沼ショコラ


キャラ紹介

▼槻木(つきのき)涼(りょう)
 普通ラノベなら女性キャラにモテる立ち位置なのに、そんな現象が起きなかった『月は何も語らない』本編の主人公(笑) 貴重な突っ込み役として日夜奮闘している。密かに自分の突っ込みに自信を持っている。

▼暁(あかつき)夜鳥(ぬえ)
 こちらも主人公。白髪紅眼(アルビノ)の少女。幾らかの常識を備えている普通の子だが、実は 天然バースト。非常に弄り易い。今回は萌えキャラとなれるかどうかが存在意義。

▼黒木(くろき)彼方(かなた)
 旧姓・捺夜。夜鳥だけがこの苗字で彼女の事を呼んでいる。普通の女の子。但し日本刀を振る。割と万能なので話の流れ的に便利である。記憶力が凄まじく、どうでもいい事を訂正したりする事がある。両者にその気は無いが夜鳥と百合るかも知れない。

▼簓木(ささらき)鏡花(きょうか)
 任天堂の携帯ゲーム機的な性質を遺憾無く発揮するお方。ライフワークは槻木虐め。彼を虐める為なら三ヶ月前からの仕込みも厭わない。覚え難いが生徒会長ではなく副会長を努める完璧超人。だが一応欠点もある。

▼有馬(ありま)孝之(たかゆき)
 チョモランマ級馬鹿。賢い馬鹿。夜鳥が好きだが馬鹿過ぎて相手にされない馬鹿。開けっ広げにアピールするがリアクションが返って来ない馬鹿。寧ろアピールし過ぎて「アレはそういうものなんだな」だと思われている馬鹿。

▼長谷(はせ)誡(かい)
 新聞部員その一。『月は何も語らない』で色々あったが引き籠りにならずに社会復帰に成功。本編以降一皮剥けたのか、外面(そとづら)はにこやかだが心中の黒さを全く隠さない毒舌家へと昇華した。周囲では賛否両論である。爆発しないイケメンのリア充。

▼鮎河(あゆかわ)雪華(せつか)
 新聞部員その二。『月は何も語らない』で誡の更生の契機を作った女の子。思いやりのある非常にいい娘で、誡と付き合っているが今一つ恋人らしく出来ず悩んでいる。

▼乙野(おつの)鈴風(すずかぜ)
 新聞部員その三。敬われる事が決して無い、部員の心の拠り所となっている部長。たまに遣り過ぎてペンも剣も折る。基本的にイベント好きで、今回のバレンタインは勿論絶好のネタ。

▼森枝(しんし)汀(てい)
 新聞部員その四。シベリア暴走特急の様に走ってしまう鈴風のストッパーであるが、自身も特急列車になる時がある彼女の良きパートナー。本人達は明言していないが確実にやっている事は夫婦である。

▼楢沢(ならさわ)紀一(きいち)
 新聞部員その五。最近、新聞部の中のカップル率が一〇〇パーセントになってしまい、何だか居場所を失った様に感じているが、その心中を察せられ地味にフォローされている。そして余計に居た堪れない。多分出番無い。


 素直に原稿落としたって言えよ。
 違いますー、落としたんじゃありませんー。ゆとりを持たせただけですー。
 最低だなお前。



「明日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる冷たい反応、何たる蔑みの眼……有馬君へこみますよ……」
 突然押し掛けて来たと思ったら意味不明な事を喋くる知人・有馬孝之。正直言うと彼は平和的なまでにウザい。
 大体なんだ、大して仲のいい間柄でも無ければ、そもそもそういう関係になる様な事をした覚えは無いというのにこの馴れ馴れしさは。剰え人を変な綽名で呼んで、しかも元の名前よりも長い。
「ところで、その意味不明な呼び方止めてくれないかな。君しか使ってないし、僕としてはキャラ的に全く似合わない呼び名だと思ってるんだ。そして如何にも無理矢理定着させようとしているその安直な選択は何なんだ」
「え? 何言ってんだよりょーちん。俺以外皆、りょーちんの前じゃ呼ばないだけで、影ではこう呼んでるぜ?」
「何だそれ新手の虐めか?! 本人の前で使わない綽名ってただの陰口じゃないか! しかもそれを堂々と本人の前で言うのか君は!?」
「いやー、オレってばそういうの嫌いなもんでさ。――正直って、美徳だろ?」
「何だそれは決め台詞のつもりかそれとも僕の神経を逆撫でしたいだけなのかどっちにしろおちょくりに来たのか君は……!!」
「おいおい、一分前の事をもう忘れちまったのかよりょーちん、ドジッ子だなー」
 オーケー、解っている。キレたら負けだ。我慢するんだ僕。ここでこのまま馬鹿ジーニアスに主導権を握らせ続けたら不味い。一先ず、話の優先権を僕に持っていくんだ……。
「……だから、その呼び方は止めてくれと言ったじゃないか」
「えぇー、オレ結構気に入ってたんだけどなぁ、これ。じゃ、ちょっと待って。今別の考えるわ。元の涼より短くなった方がいいんだよな」
 ふむぅ、と彼は額に手を遣り、難しい顔をして僕の新しい綽名とやらを考え始めた。単純だ。流石馬鹿の代名詞。いい流れだ、この程度なら取り敢えず問題無く会話の切り返しは出来る範囲だろう。
 よし、と有馬孝之は手を打ち、自信満々に言った。
「呂君でどうだ?」
「もう別人だ馬鹿野郎!」
「え。そうか? オレ的には究極的に短く判り易い綽名に変わったと思うんだけど」
「人種ごと変わってもう三国武将みたいになってるじゃないか!!」
「一騎当千かよ……凄ぇじゃん呂君!」
「人を自然に中国人留学生みたいに呼ぶな! 本当にもう何しに来たんだ君は!」
 おっと、忘れるトコだった、と彼は指を鳴らした。
「バレンタインだよバレンタイン! 明日は女の子からチョコレートと愛情を貰う男にとっては命運の掛かった日だぜ呂君!」
「いいか、もう突っ込まないぞ。僕の名前を普通に呼べ」
「テイクツー? しょうがねぇなぁ、注文の多い親友はこれだから困る」
「勝手に人の信頼ランク上げないでくれるかな」
「いいや! 親友だね! そしてその親友ならオレはきっと簓木サンからオレにチョコを渡す算段をしてくれると信じている!!」
「おい待て最後に下心しか残ってないぞ!?」
「友心あれば下心ありって言うだろ?」
「言わないし元の諺の用法から間違ってる!」
「いいじゃんかー! オレも簓木サンからチョコ貰いたいんだよー! 知ってんだぞ、お前毎年簓木サンからチョコ貰ってるってオレ知ってんだぞー!」
「そんな話は僕が初耳だぞ?!」
 彼女には毎年チョコを貰うどころか、冥土の土産を渡され掛けてるというのに、何処をどうやったらそんな噂が出てくるんだ。大体、高校の中では僕と簓木はほぼ全くと言っていい程に関係性を持っていない。
「誤魔化すなよ……なぁ貰ってんだろ?! お前チョコ貰ってんだろ!?」
「泣くな寄るなしがみ付くな気持ち悪い! そこまで言うなら情報元を言え、誰からそんな話を聞いたんだ!!」
「あぁ?! 情報元だぁ?! んなもん言うまでもねぇだろうが、オレをおちょくってんのか呂君!」
「逆ギレ?! このタイミングで逆ギレ!?」
 ちょっと待ってくれ。誰か助けてくれ訳が解らないぞ。
 ――あ、それならぼくが知ってるよ、と会話の後ろで誰かが言った。助かった。捨てる神あれば拾う神あり。実際大して信じてもいない神に礼を言いながら救世主の顔を拝もうと振り向くと、
「情報元はぼく達の作った校内新聞だよ、涼君」
「って諸に当事者か畜生!!」
 よりによって新聞部員の長谷誡……! しかも有馬孝之と交友関係を持っている人間……!
「たまたまぼく達の新聞に載ってる話題の話が聞こえてたから立ち寄らせて貰ったよ涼君」
 あはは、と笑いながらいけしゃあしゃあと宣う。例の事件の時は人格崩壊起こし掛ける程に追い詰められた癖に、復帰したら以前は敵対していた僕に対してもあっさりと踏み込んでくる図太さを身に付けて帰ってきた彼。以来、何だか彼からは生理的に受け付けられない属性を感じる。いや、具体的には簓木属性なんだけどさ。
 っていうか、三つ離れた教室だろう君。
「バレンタインが近付いたからさ、部長がバレンタイン特集の記事でも作ろうって企画だったんだよね」
「来たなリア充……! カノジョ持ちだからって余裕ぶっこいて他人のバレンタイン事情なんて調べやがって、趣味悪ぃぞー! ぶーぶー!」
 頬を膨らませてブーイング。ガキかこの馬鹿。
「それより何だ、君誰かと付き合ってるのか」
「あ、うん。雪華――鮎河さんとお付き合いさせて貰ってるよ。ぼくは、彼女のお陰でまともになれた気がするからね。とても大切に想ってる」
「まぁー! 聞きました奥さん?! 恋人を呼び捨てですわよこのリア充様! ファミリーネームじゃなくてファーストネームですって!! とぉっても充実した学生生活をお送りになられてるアピールですわー!」
「君ちょっと黙れ」
 何か今僕の役目が奪われた気がする。
 長谷誡が続ける。
「話が逸れたから戻すけど、校内で一番有名な女子生徒である簓木鏡花さんのチョコレートを受け取る相手は誰かっていう記事を書こうって話になったんだよ」
「そこで僕の名前が出てきただって? 有り得ないね、君達の調査能力も随分と杜撰なんだな」
「いやいや、流石に君には劣るよ。何せぼくは一般人だからね。凡人は凡人らしい事しか出来ないんだよ、いやぁ、辛いね」
 い、嫌味を棒読みと皮肉を加えて返された……明らかにブラック化が進行してるぞ長谷誡……! というかこれ、本編知らない人意味解らないんじゃないか? いいのこういうネタ回し?
「まぁ兎に角、君達のせいで実害を被っている以上、その記事をすぐに訂正してほしいね、槻木涼が簓木鏡花からチョコを受け取っているなんていう噴飯ものの情報は事実無根だと」
「いや、それは無理だよ。情報元が正確だからね」
「はぁ? 僕本人が言ってるのに何で覆せないのさ。怪訝しいだろう、どういう事さ」
「だって簓木さん本人に訊いたから」
「これ嫌がらせだー! 絶対彼女の嫌がらせだー!」
 解くまでも無いよこの謎! 命懸けてもいいぐらい確実にこれ簓木の虐めだよ!!
「ほぅれ見ろ! そうやってお前は嘘に嘘を重ねるつもりかりょーち……呂君!」
「いやいいよもうそのネタ。もう勝手に呼んでいいよ」
 そんな事より問題は簓木がバレンタイン当日ではなく前日に仕掛けてきた事だ。彼女の性格上、絶対にこれだけでは終わらない筈だ。恐らくこの新聞騒動を僕が治めようと躍起になって動き始めた頃に、その一番テンパッてるタイミングに横合いから仕掛けてくるに違いない。
 何とか、何とか対策を立てなければ……


「そう言えば、明日ってバレンタインだよな」
 ファミレスのボックス席での俺の言葉に鏡花は、そうね、と答えた。
「お菓子業界の欲望陰謀渦巻く日ねぇ。街でもセールとか色々やってるわ」
 ご苦労な事ね、と鏡花は艶のある黒髪を手梳く。
「えー、でもあたしは好きだよこの雰囲気? 街で小学生の女の子が一生懸命手作りチョコの材料を見てたりさ、微笑ましくて心がほんわかするし」
 メロンソーダを飲みながら言う捺夜に、鏡花が微笑いながら応えた。
「いえ別に私もバレンタインが嫌いな訳じゃないわよ? 一応、生徒会の皆にはチョコを渡したりしているし――まぁ、それで? ヌエはどうしたのかしら?」
「いや……思ったんだが、バレンタインって普通女から男にチョコ渡す日だよな」
 うん、と捺夜が言う。
「聖バレンタインは日本じゃ女性が意中の男性にチョコを渡すのが慣習化してるけど、本当は別に親愛の情を持っている相手になら誰でもいいんだよ。聖職者だったウァレンティヌスさんが殉教した日だから、って言うのが有名な話だよね」
「まぁ、愛を誓う日だけどアル・カポネが『血のバレンタイン』を起こしたり、アフガニスタンの政治家が群衆に撲殺された日でもあるわね」
「鏡花ちゃん……何でそういうの知ってるの」
 急な血腥い話に、捺夜が苦そうな顔をする。
「たまたま覚えてただけよ、特に意味は無いわ。あぁ、また話が逸れたわね、ごめんなさいヌエ」
「いや、別に構わないが……俺さ、バレンタインにチョコ渡した事って無いんだよな」
「あれ? そうだっけ? あたしと毎年交換してなかったっけ?」
「捺夜は特別だよ。先刻、親愛の情のある相手に渡すって言ったろ? 捺夜は俺の大切な友達だから、それはまた別カウント」
「ヌエ……嬉しい――けど、真顔でその台詞はちょっと恥ずかしいよ……」
「…………」
「はいはーい、私は貰ってないわよー。そこで顔を真っ赤にしてるヌエさーん」
「っ! お前は俺と一緒で高校の女の子達に毎年いっぱい貰ってるからいいだろ!」
 鏡花のおちょくりに向きになって怒鳴ると、捺夜が流れを取り戻そうと言った。
「えっと、それが話の元?」
「あ、うん。貰った分はきっちりホワイト・デイにお返ししてるんだが、やっぱりバレンタインにも、ちゃんと渡した方がいいのかな、って……その、何と言うか……女の子らしく……って奴で」
 言った途端、がたっ、と急に捺夜が椅子を思い切り引かせ口元を押さえ、身体を震わせ始めた。
「えっ、何だ? な、何だ捺夜どうしたんだ急に?」
「可愛い……」
「は?」
「今のヌエ物凄く可愛かった……久し振りに女の子らしいヌエを見れてちょっとツボに入っちゃって……」
「萌えねー、これがカナちゃんの萌えなのねー」
 ……一体何を言っているのかさっぱり解らない。
「だって鏡花ちゃん今の見た?! はにかむヌエだよ?! 恥ずかしそうに目を逸らしながら声小さくしながら喋ってるんだよ!? 可愛い過ぎるでしょ!」
「言いたい事はとても解るわよ? でも、とある事情でそれが十分に伝わっていない可能性が危惧されてるのよね」
「何の話?」
「気にしないで、ただのメタ発言だから。自虐ネタよ」
 状況が俺にも解る様に誰か説明してくれ。全く理解出来ない。怪訝にしている俺に気付いている癖に、鏡花は無視して話を続けた。
「つまるところ、ヌエはチョコを渡したいと思っている相手が居るって事ね」
「誰? 晨夜さん?」
「何であの探偵に渡さないといけないんだ……」
 そもそもアイツ、そう言う事しても殆ど関心も興味も示さないだろうに。
「あら、探偵さんぐらいのレベルの相手には渡しても全然いいと思うわよ?」
「そういうお前は渡さないだろ」
「今年の私はちゃんと本命が居るのよ」
「本命? 誰だよ胡散臭いな」
「秘密よ、教えちゃったら色々つまらないじゃない? それに、その為の仕込みももう全部終わらせてるしね」
「随分準備がいいな」
「というか、ヌエが遅いんだよ。せめて三日前ぐらいから材料とか何をするか決めておかないとバタバタしちゃうもん」
 だからバレンタイン初心者の俺はそんな事知らない。
 そんな事よりさ、と捺夜が身を乗り出して訊いてくる。
「誰に渡すの? そんな風に急に思い立ったって事は出会いがあったの? ねぇ、どんな人に渡すの?」
「……言わない」
「何でー!? 気になるのにー、親友にぐらい教えてよぉ」
 その親友にだからこそ言いたくないという事もある。というよりも、捺夜の場合絶対に首を突っ込んでくるから教えたくないだけだが。
「まぁ、渡したい相手が居るのなら私は渡してもいいと思うわよ。そもそもそんな風に悩んだりするキャラでもないでしょう、貴方?」
「それはそうだが……」
 だが……何かこう……俺がそういう事するのが、自分の事の癖に不自然に思ってしまって、物凄く恥ずかしい事をしているのではないかと思ってしまう。
「そうだ。そんな事よりもっと大前提の問題があるよ、ヌエ」
「え、何だ?」
「その口振りだと何も準備してないでしょ?」
「…………」
「この後は都市側にお買い物ね」
「違うんだ。準備はしておかないいけないと考えてはいたんだ。何かずっと悶々と悩んでいる内に前日になってしまっただけで、忘れてた訳ではなくて」
「いや、まぁ準備してないのは事実だし」
「……ごめんなさい」


「今日はバレンタインだぜりょーちん!!」
「君、このクラスじゃないだろ、戻れよ」
「おぉう……何たる既視感、何たる天丼……有馬君へこみますよ……」
「煩い。別にバレンタインだからって僕は何もする気は無いし、君に付き合ってやる義理も無い」
「何だよクールぶって。年下好きのむっつりの癖に」
「……人の趣味に口出ししないでくれるかな」
「お、突っ込みに切れが無いぞりょーちん。どうしたんだよ?」
 切れも糞もあったものか。今日の僕は最大限に警戒心のアンテナを張っておかなければいけないのだから、彼に付き合って愚かな振る舞いをしている余裕など無い。隙を見せて何かを見落とせば、それで一巻の終わりだ。そのままずるずると簓木の術中に嵌ってしまうに違いない。
「まさか周知の事実とは言え、年下属性をりょーちんが否定しないとは……調子でも悪いのか? 気持ち悪いぞお前」
 そう、だから目の前で如何に突っ込みたい事を馬鹿に喚かれたとしても、それに反応したら負けだ。それこそが、有馬孝之がここに来て僕の日常を引っ掻き回す事自体が、簓木の仕掛けた罠かも知れないからだ。
「何だ何だ、スルースキル発動中っすか。酷ぇわぁー、流石にりょーちんそれは無いわー……オレそこまで悪い事してねぇのになぁ」
 っていうか超突っ込みてぇ……。
 これは最早職業病だろう。仕方無い事ではある。突っ込み不在の空間が如何にカオスになるかは、その場に居る普段はボケ役の人間の中から自然に突っ込み役が選抜される様に自然の摂理と証明されているも同然の事なのだから。故に初めから突っ込み側に居る僕が目の前のボケを流して見過ごす事は、かなりの痛手で心苦しい事ではあるが、それをしてしまえば自ら危険に飛び込む可能性がある事の方が看過出来ない。
 だから、僕は今日絶対に突っ込みを入れない……!!
「それよりも、バレンタイン当日の君の目的は僕じゃなくて、暁夜鳥の方じゃないのかい?」
 どうだ……! 突っ込み無しの会話の繋ぎにだけ徹したこの返し……!! 恐らくは内容的にも大体合っているだろう、この方向性で進めば有馬孝之は僕の前から居なくなる筈っていうかもうどっか行ってくれこの野郎おぉぉ!
「あ、無理無理。朝、愛してるからチョコくれ、って言ったらバックドロップされた」
 あははは、と世間話の様に非常識な事を言いやがる……! 乗るな、絶対に乗るな僕! それで終わりだ、簓木に嵌められるに違いない!
「っていうか、ヌエはあげる側じゃなくて貰う側だぜー? 見た目と中身のお陰で随分と年下の女の子に人気出てっからなぁ」
 怪訝しい! 常識的に考えて何もかも怪訝しい!! 何かもう僕の存在自体が場違いの様に思えてきた!
「そうでも無いみたいだよ」
 不意に、後ろの席からの声。
「お、長谷じゃん。いつから居たんだよ」
「いやいや、ぼくの事は気にしないで」
 微笑みを崩さない厄介な奴が来た……明らかに先刻まで居なかった筈なのに、というか前も言ったけど別のクラスだろ君……! 何でわざわざ来たんだ。糞っ、面倒事を増やされた……!
「そ、それよりどういう事かな長谷誡? 暁夜鳥についての事だよね?」
「あぁ、うん。そうなんだ。昨日、暁さんが手作りチョコレートの材料とラッピング用と思われる包装材を買ったらしいって話が出てきたんだ」
「何ぃ!? 今朝のヌエはオレに何も言ってくれなかったぞ!」
「いや、それは有馬君が馬鹿だからでしょ」
「ふぐぅっ……! 何たる事……オレはヌエに義理チョコすら貰った事が無いというのに……一体どういう事だ!?」
「それでさ、誰に渡すのか、って話題を新聞部で調べてみたんだ、突貫だけどね」
「あれぇっ?! オレのリアクション無視っすか長谷さん!?」
「そしたら一つの結論に至ったんだよね。今まで誰にも渡していなかったのなら、最近知り合った男性に渡す可能性が一番高いんじゃないか、って」
 ……こっち見んな。
 胡散臭い笑顔で微笑ったままこっちを見るな。その意味深なフラグ立ての様な発言を止めろ。僕は今突っ込みを自粛して隙を作らない様にしているんだ。そんな虚実定まらない話に振り回されてる余裕なんか無いんだ。
「ねぇ、涼君はどう思うかな?」
「さ、さぁね……僕は彼女とは余り親しくはないから」
 こいつ……明らかに僕を何かに巻き込もうとしている。そんな事は有り得ないという事は、以前の事件に関わった人間なら知っている癖に、よくもそんな見え透いた嘘の情報を流せたものだ。
「あはは、それもそうだね。それに君には簓木さんが居るもんね」
「……それは、誤解だと、昨日散々言っただろう」
「おぉう……オレが完全に空気……」
 君はKYスキルがある限り絶対にそんな事にならないから安心しろ。
「そっかそっか。それじゃ、お邪魔したね。ぼくはそろそろ戻るよ」
 長谷誡は席を立ち上がると、片手に紙袋を持っていた。そしてその中には、リボンの付いた色取り取りの箱が沢山。あー……あれって、もしかしなくても。
「お、お、お前……! それはもしや……!」
 まぁ、有馬孝之の反応は当然そうなるか。
「あ、これは副部長とか部長に渡して下さいっていう、新聞部へのチョコレートだよ」
「そ、そっか。ならいいや。いやー、個人で袋一杯貰えるとか都市伝説だよなー」
「あ、ぼくの分も入ってるよ」
「お前爆発しろやリア充ッ!!」


「そういう訳でヌエちゃん誰にチョコ渡すか教えて!」
「嫌ですよ……いきなり何なんですか乙野さん」
 訊きたい事があるから新聞部の部室に来てくれって言うから来たのに、こんな無茶振りする為だけにわざわざ呼んだのかこの人。
「ふふふ、誤魔化そうとしたって無駄よ、調べは付いてるのよヌエちゃん……ここに居るアユちゃんが昨日バレンタイン用のチョコの材料を買っているのを目撃しているのよ! 自分のカレシの長谷君に渡す為のチョコのラッピング材を買いに行ってね! 長谷君羨ましいわこん畜生!!」
「ちょ、ちょっと部長一言多いですよっ」
 顔を赤くしながら鮎河がわたわたと言う。相変わらず振り回されてるんだなぁ……。
「あれから長谷と付き合う事になったんだな鮎河。……ごめんな、長谷の事は」
「あ、いえ。いいんです。暁さんの立場だったら仕方の無い事ですし、それにあんな事がずっと続くよりも、あんな風に一度絶ち切れた方が誡君も自分を取り戻すのが簡単だった筈ですから……」
 普通なら一番俺を恨んでもいい筈なのに、赦してくれるのか。
「……鮎河は優しいな」
「い、いいえっ! そ、そんな、わたしは別に何も……」
 顔を赤らめて俯いてしまった鮎河に、乙野さんが後ろから抱き付きながら俺に言った。
「おーおー、ヌエちゃんも中々のタラシですなぁ。でもアユちゃんはやらんぜー? アユちゃんはアタシのものだからやらんぜー? 今年のバレンタインの本命はアタシはアユちゃんって決めてたからやらんぜー?」
「ぶ、部長には副部長が居るじゃないですか!」
「ありゃ本命チョコじゃないわよ、馴染チョコよ。森枝だって毎年ホワイト・デイにきっちり同じ様な感じで返してくるしね。殆どただの習慣よー」
 ……で、俺は何で呼ばれたんだろう。遠回しな惚気を聞かされに来たんだろうか。
「だから正真正銘アタシの本命はアユちゃんよ、ホワイト・デイにはアユちゃん自身がプレゼントとかだと嬉しいわー」
「ちょ、ちょっと部長、変なトコ触らないで下さい!」
 何か勝手に楽しそうにしてるし帰ってもいいのかな……と、ぼんやり思い始めると部室に森枝さんが入ってきた。
「何してるんだ鈴風……またセクハラか。いい加減にしないと真面目に訴えられるぞ」
「アユちゃんはそんな事しないわよー」
「長谷がやるぞ」
「そ、それはそうね……もうアユちゃんには恋人が居るからちょっと自重しないとね」
 事件以来、長谷もどうやら少し変わったらしい。乙野さんの長谷に対する反応が前とは違うものになっている。というか怯えている。それなりに上手くやれている様なら、それはそれで安心する。乙野さんは相変わらず敬われていないみたいだが。
「今日は、暁さん。バレンタインの事で鈴風に呼ばれたのか?」
「あ、はい。まぁー、そうですね」
 正確には騙されたというのが近いんだが。
「悪いね、本当はプライベートな事だから首を突っ込むのは良くない事なんだが、思ったよりも暁さんのチョコを気にする人間が多くてね……どうにも皆抑えが効かない」
 じろり、と森枝さんは乙野さんを睨み付けるが、肝心の乙野さんは何処吹く風という態度で言う。
「ヌエちゃんは山瀬高校で一二を争う有名人なのよ、気にしない人間が怪訝しいわ!」
「別に無理に答えなくてもいいからな。俺は割とどうでもいいから」
「ちょっとアンタ副部長でしょう!? 部に貢献しなさいよ!」
「お前の趣味に貢献はしない」
「そんな事言ってると、折角アンタに用意してあげたチョコ渡さないわよー……情けない思いをさせない様にと用意してあげたアタシの愛の手を、アンタは突っぱねられるかしら?」
 何処からともなく取り出したチョコ(多分、渡す為にずっと用意しておいたのだろう)を、自信満々に見せ付ける乙野さん。何か間違っている。
「別にいいぞ」
「えぅ?」
 予想外の一言だったんだろう。きょとんとした顔で瞠目している。
「無理して用意したのなら逆に悪いしな、他の奴に渡せばいい」
「え? えぇぇ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「そもそも俺は愛情表現としてのバレンタイン・デイは尊重するが、ただの乱痴気騒ぎのイベントとしては興味無いからな」
「ちょ、待って」
 淡々と事務的に話す森枝さん。気のせいか乙野さん涙目になってきているが、いいのかな……。
「まぁ、暁さんもアレだ。鈴風になんかは付き合わずに戻っていいと思うぞ、鮎河もまだ鈴風に付き合って長谷に渡してないんだろう? 行ってくるといい」
「つ、つべこべ言わんと受け取らんかい!!」
 投げ付けたよ。
 追い詰められた勢い余ってか、節分の炒り豆宜しく力の限り投げられたチョコは綺麗に森枝さんの顔面に入った。
「女の子が渡すと言ってるチョコはぐだぐだ言わずに受け取りなさい! それが男子の努めよ!」
 顔真っ赤にしながら肩震わせて涙ぐみながら言われても全然説得力無いです乙野さん。
「……毎年毎年、普通に渡す事は出来ないのかお前は」
「煩いバーカ! 理屈捏ねるアンタが悪いのよバーカ!」
 仲いいなぁ……。
 そのまま普段通りに口喧嘩を始めた二人を、呆れているのか感心しているのか最早よく判らない心中で眺める俺の隣で、鮎河が可笑しそうに笑っていた。
「去年もあぁだったんですよ、素直じゃないというか解り合っているというか……羨ましいですよね」
「いや、まぁお前だって長谷が居るだろ?」
「そう……なんですけど」
 急にしゅんとしてしまう鮎河。
「え、まさか上手くいってないって訳じゃないだろ?」
「いえ……違うんです、その――誡君はモテるんです!!」
 わっと、顔を押さえて声を上げる鮎河。
 えぇー……俺にそういう話しないでくれ……。
「きっとわたしなんかよりもいい子はもっと居る筈だって思っちゃって……わたし特に何か取り得がある訳じゃないのに誡君と付き合い始めちゃって、しかも前と変わった事が特にある訳じゃないから不安になってきちゃって……」
 いや無理だって。
 俺にこの手の話題振るのが間違ってるって。
 何か変な汗出てきた……誰か助けてくれ。というか肝心の長谷は鮎河を思い詰めさせて何やってるんだ。幾ら何でも鈍過ぎるだろう、自分の事を好きだと言ってくれる奴が居るのに、剰え付き合ってるのに、この様は何なんだ。つまるところ俺を巻き込むな。
「えっ、えぇっとな、そのな鮎河。長谷もきっと鮎河の事を好きになったから付き合い始めた訳だからな? べ、別にそういう事は、ただ気にし過ぎって奴かも知れなくてだな」
 ……し、しどろもどろにしか話せない。
 おろおろする以外にこの場で俺に何が出来るんだよ!
「――そんな事無いよ雪華」
「うわぁ?! お前何処から出てきたんだ長谷!?」
「今日は、暁さん。気にしないで、今丁度来ただけだから」
 こいつ、こんなに心臓に悪い奴だったっけ……?
「ぼくは君のお陰で立ち直れたんだから、命の恩人みたいなものだよ。それ以上に大切な人なんてぼくには居ないよ。だから今日は、僕は君のチョコが欲しいんだ」
「誡君……」
 ……何だろう、いいシーンなのだろうかコレ。非常に気持ち悪く感じるのは何でだ。長谷の胡散臭さが為せる業なのか、それとも俺が変なのかな……。
 取り敢えず、何かもうこの部室居辛いから静かに出て行こう。
 教室に戻ろうと部室を出ると、ばったりと楢沢と出会った。疲れている俺の顔を見て部室の中で起こっている事が解ったのか、不思議と悟った様な顔で無言で肩に手を置かれた。
 そして楢沢はそのまま何も言わずに部室に入っていった。
 ……来年は、楢沢にチョコを用意してあげよう。


 放課後、僕は即行で家路に着いた。
 最早簓木のテリトリーである高校の中から一刻も早く脱出し、自宅で平穏なコーヒーブレイクをしたくて堪らない。今の今まで何も仕掛けられなかったのだから、残る可能性は下校のタイミングだろう。帰路の最中ですら通りすがる他人全員に気を張りながら、そして普段とは違うルートを選択して帰る事をしなければならないだろう。
 出来るだけ人目に付かない道で、それでいて最短で帰れるルート。自宅マンションにさえ入ってしまえば、それで僕の安全は保障される。あと一歩の努力だ槻木涼。
 あの犬の散歩をしている女性だって、もしかしたら簓木の仕掛け人でいきなり僕に爆竹チョコみたないものを渡してくる事さえ考えれる。思考の飛躍の憂慮は確かにあるけれども、簓木相手だったらこれぐらいで丁度いいぐらいだろう。
 歩いていたら頭上から業務用の岩石みたいなチョコが降ってくる事も考えられるから、高い建物の近くを歩くのもアウトだ。もしも僕の奇行と事情を知っている人が居たら、それは考え過ぎだと思うだろう。
 違う。
 それは否だ。
 絶対に否だ。
 日常に罠を絡めてくる事など、あの女からすれば容易な事で、それを回避する為ならばどんな些細な事すらも疑って掛からなければ生き残れない。
 それが僕が彼女と数年上付き合っている僕が下した結論であり真理だ。
 今だって塀の上を歩いている黒猫が居る。見ろ、あの特徴的なガーネットの付いた首輪。あれだって簓木が数年前に思い付いた企みの為に、数年掛けて仕込みに仕込んだ躾のされている猫かも知れない。そして突然僕に襲い掛かってきても、今のこの状況ならなんら不思議じゃない。
 暫く僕は黒猫から距離を取りつつ、大回りをする様に道をゆっくりと歩いた。厳戒態勢だ。何か来そうになったら能力(ベクター)を使う事すら僕は厭わない。
 黒猫は怪訝そうな(そう見えただけだが。猫に表情がある訳は無い)顔をして、何処かに歩いていった。
「ふぅ……」
 思わず嘆息する。
 もう家は目前だ。あと少しなんだ。
 ――と、そこでちらりと視界に白いものが掠めた。
「っ!?」
 反射的に〝全能の個(ペルソナ)〟を使って謎の物体を『固定』する。その正体を落ち着いて見て見ると、それは雪だった。
「糞っ……! ここに来て新しい要素か……!?」
 状況が変わった。雪が降ってくるという事すらも、天気予報から計算された罠に織り込み済みの事かも知れない。形振り構う段階じゃない、雪が影響を及ぼす程に積もってくる前に家に辿り着かなければ……!
 積もってしまって、風景に白い雪にカモフラージュを施してしまったら完全にアウトだ。そうなってしまえば僕に罠の在り処を知る事は出来なくなる!
 僕は走り出し、マンションのエントランスに飛び込んですぐさまエレベーターに乗り込んだ。誰も来ない事を祈りつつ、階数ボタンを押して自宅への距離を縮める事に一心不乱になる。
 何事も無くエレベーターは動き出し、そしてそのまま目的の階で止まる。エレベーターを降りて自宅の方へと駆け出し、ドアの前に滑り込む。
 そしてそのまま数秒待機。
 ……何も無い。
 起こらない。
「あぁ……勝った」
 僕は彼女の罠に勝った……狂気に囚われんばかりの注意を周囲に放ちながら、苦節の末の勝利だ。あとは、自宅の鍵を開けて、家に入ればそこは温かい独り暮らしの部屋……
「あ、お帰りなさい槻木君。遅かったわね」
 膝から絶望と共に崩れ落ちた。
「あらどうしたのかしら? そんな暗い顔をして? 今日はめでたいバレンタイン・デイよ?」
「どうやって侵入った!? 僕の家にどうやって侵入った!!」
「それは勿論、槻木君が体育の時間に鞄に鍵を入れっ放しにしている時に合鍵を作ったからよ」
「何でもありか君は! 大体何なんだ、あの新聞部へのインタビューは!」
「何ってどういう意味かしら? 私は嘘を吐くのは嫌いなのよ? だからあれは本心から出た槻木君への愛情の表れよ」
「嘘だ! 絶対に僕への嫌がらせだ!!」
「好きな子を、いぢめたくなる心理って、女の子にでもあるのよね……」
「巫山戯るな簓木!! 今日だって僕は、君が高校で何を仕掛けているか解らなかったが、こうして僕の家に居るところを見ると、結末を見る為だったんだろう!?」
「あ、惜しいわ。最後だけ合ってる」
「何ィ?!」
「正確には槻木君が疑心暗鬼に陥っている様子を今日一日中ライブ中継して、私は槻木君の家で大爆笑してたの。不思議に思わなかったかしら? 前日にあんな風に私と槻木君の関係が噂になっていたのに、当日に誰も何も言いに来なかった事を?」
 そう言えば確かに有馬孝之も何も言ってこなかったし、新聞部の長谷誡も特に何も言ってこなかった……。
「私からのバレンタインのプレゼントはスリリングな一日よ、楽しんでもらえたかしら」
 ぷふー、と吹き出しながら簓木は言う。
「録画もしてあるから、槻木君の失態プレーはずっと楽しめるわよー? あ、今から一緒に観ましょうよ。そうそう、あの、特に最後の滑り込み帰宅は、さ、最高だった、わ――あぁ、ごめんなさいもう無理だわ!」
 ぶっふ、と堪えていた笑いを彼女は最後に爆発させた。


 雪が降ってきた。
 曇天だというのに、同じ条件の雨とは違って雪だと何故か嫌にはならない。寧ろ物珍しいからか、気分は高揚してきて、柄にも無くはしゃぎたくすらある。
「あ、ヌエ。高校の帰り? バレンタインお疲れー」
「うん、まぁ毎年の事だけど、荷物一杯になっちゃうからな」
 何とも無く、いつもの様に俺は黒木探偵事務所に訪れていた。玄関で服に付いた雪を落として、貰ったチョコの紙袋を置く。
「おぉ、今年も大量だね」
「何か貰い過ぎて悪い気もするぐらいだよ」
「こういうのは皆好きで渡してるんだよ」
 あはは、と笑いながら捺夜は台所に立つ。バレンタインだからか、ココアの準備をしてくれているらしい。
「黒木は?」
「晨夜さんは自分の部屋、いつもと何も変わらないよ。折角のバレンタインだってのにね。あたしがチョコあげたのに『そうか、バレンタインか。有り難う彼方』って、何も調子変わらないの。もう慣れちゃったけどさ」
 言いながら、ホットココアを持ってきてくれた。
「有り難う捺夜。あ、そうだ。忘れない内に渡しておく、捺夜の分」
「わーい、ヌエからのチョコ、何気に楽しみなんだよね」
「そんなに大層なものじゃないんだが……」
「ふふっ、あたしは知ってるんだよ。ヌエが毎年ウロボロスのマスターに手伝ってもらってチョコを作っている事を。段々上手くなってきているのが、あたしのバレンタインの楽しみの一つなの」
「別に……親友に渡すものなんだから、手作りぐらいしてあげたいだけだよ」
「嬉しい言葉です。あたしも親友甲斐があるよ」
 可愛いらしく首を傾げさせながら捺夜は微笑う。
「はい、じゃあこれはあたしから」
「あぁ、毎年有り難う」
「その前に」
 受け取ろうとしたら手を引っ込められた。そして捺夜は変わらないにこにことした笑顔で続ける。
「ね、誰に渡したの?」
「……その話は、別にいいだろ」
「って事は渡したんでしょ? ね、渡したんでしょ?! 誰だれ?」
「渡してないよ。結局面倒臭くなって止めたんだ」
「えー、そうなのー? つまらないなぁ」
「面白がるなよ。別にどうだっていいだろ俺が誰に渡そうが。それより捺夜だって誰か本命は居ないのかよ。毎年、俺と黒木と、商店街の人とかに渡してるだけだろ」
「え? あたしはマスターが本命だよ」
「そう言えば中年オタクだったな捺夜は……」
「失礼なっ。あたしだっておじ様なら誰でも好きな訳じゃないんだよ」
「でも中年オタクには変わりないだろ」
「まぁそうだねー。あーあ、でも今年はヌエが本命さんを作ると思って期待してたのになぁ」
 残念そうにココアを啜る捺夜。それを見て、嘘を付いた事を心中で謝る。
 まぁ、でも。
 恥ずかしくて言えないよな。
 直接渡せなかったからって、下駄箱に置いてきたなんてさ。

おわり

拍手[0回]

Miraculous Answerer 4/前脚の砂掛け

4/前脚の砂掛け


『気に入らない』
「来た早々何さ、柘榴ちゃん……」
 霧澤(きりさわ)有栖(ありす)は、勝手に自宅に上がりこんだ猫――柘榴に眠そうに答えた。
「折角寝てたのに、別に今日は何も鼎さんは予定無かったっしょ」
 狭いアパートの部屋で寝起きの目を擦りながら、有栖は起き上がった。左目だけを寝惚け眼に開き、彼は手探りで机の上に置いてあった眼帯を掴むと、右目に付けた。
『そのカナエから呼び出しだよ。お前が必要だってさ』
「俺が? 何でさ」
 自分が必要とされる事は特に無いだろうに――有栖はぼんやりと思う。彼自身も〝忘却の澪(レテ)〟という能力を持っているが、それは鼎の能力と比べると下位互換と言っても仕様が無い『過去を視る』だけのものだし、そもそも有栖は媒介者(ベクター)ではない。
 昔事故に遭った時に右目を失明した彼は、一緒に巻き込まれ死んだ兄の角膜を移植された。その眼――即ちが兄が媒介者(ベクター)だったのだ。
 数奇と言えば数奇な運命だろう。だが、彼自身はもう右眼とは折り合いを付けている。その切っ掛けを与えてくれたのが鼎であり、伽藍の堂で働く事になったというのは、また数奇ではあるが。
『別に、お前の能力が必要って訳じゃないみたいだよ』
 柘榴は妙に不機嫌に言った。窓の桟に座り込み爪を立てて、かりかりと引っ掻いている。来た時にいきなり言った『気に入らない』事があるのだろうか。
(……ってか、何が?)
 もしも自分の事だとしたら豪く理不尽である。
「あのさ、柘榴ちゃん。窓枠傷付くから、出来れば引っ掻くの止めて欲しいんだけど」
『…………』
 余計に爪に力を入れ始めた。
「ちょ、止めて! 敷金引かれちゃうから傷付けないで!」
 有栖が慌てて柘榴を抱き上げようとすると、彼女はそれを躱し、するりと有栖の脇を通り抜けた。そのまま有栖が寝ていた布団の上で丸まり言う。
『あたしは暫くここに居る。お前はさっさとカナエのところに行きなよ』
「いや、あの何言ってるんすか柘榴ちゃん。ってか、家のアパート動物禁止なんだけど……」
 手を引っ掻かれた。
「痛ぇ!? 何すんだよ、俺何か悪い事したか!」
『うっさい。あたしは堂に今は帰りたくないんだ』
 んん、と有栖は手の傷を押さえながら訝しむ。どうやら、柘榴の言からすると、気に入らない事は伽藍の堂にある様だ。
 鼎と柘榴の仲はとても良い。良いから特に喧嘩もしない、というよりも互いに互いを解っているので、軋轢が生じ様が無いのだ。
 有栖は堂で働き始めてまだ日が浅いが、それでも二人の関係が拗れる事は有り得ないと思う。それがどうしてか、今の柘榴は家出少女宜しく帰りたくないと言い始めていた。
「……嫉妬か」
 がばっ、と柘榴は物凄い勢いで起き上がった。
『何だって?』
「柘榴ちゃん、嫉妬してんなぁ? 堂に誰か来てて、それで鼎さんが独り占めされてっから面白くないんだろ?」
『違う。いや、人が来てるのは合ってるけど、別に嫉妬なんかじゃない。ただ、あたしはあの女と馬が合わなくて、カナエが仲良くしてるのが気に入らないだけだ』
「世間じゃそれを嫉妬って言うんだよ」
 柘榴が本気で言っているとしたら、素直じゃないを通り越して天然である。あの女とやらが余程気に入らないのか、柘榴はそちらにばかり意識が向いてしまっているらしい。
『いいからあたしは放っておいて。お前はカナエが呼んでるんだから急ぎなよ』
「んー、別にいいけどさぁ」
 自分が呼ばれる理由が今一解らない。柘榴の言葉の端々から推測するに、どうやら来客の女性は鼎の知り合いらしい。その知り合いが来ている状況で、自分の必要性が何処にあるのだろうか。
 柘榴を使いに出してまで――彼女にはそれが気に入らない事だったのかも知れないが――呼び出されても、やる事など無いだろう。
 いや。
 違うのだ。
(正直な話……ぶっちゃけ不安、なんだよな)
 あの鼎の知り合いなんてモノは初めてだから、単純に有栖は本能的に拒んでいただけである。しかも何も予定が無かった日に、わざわざ呼び出しを掛けてきた。碌な予感はしない。
 一人じゃ心許無いから誰か連れが欲しいなぁ――当然、それは柘榴なのだが。その当人はここを動きそうにないので、どうにかして煽らなければならない。
 狡っ辛い事を考えていた有栖は、柘榴を横目で見ながら言った。
「……鼎さんに今の柘榴ちゃんの事、話しちゃおっかなぁ。柘榴ちゃんがこんなに嫉妬してるって知ったら、きっと鼎さん喜ぶだろうなぁ」
 にやにやしながら有栖が言うと、柘榴は身を低くして軽く唸った。
「あ、怒った」
『アリス……あんまり調子に乗るなよ』
 柘榴は有栖に眼を合わせじっと見つめてくる。ちょっと怖い。思わず有栖は気圧されて退いた。
「や、いや別に、今のは軽い冗談で」
『……いいよ』
「は?」
『あたしも行くよ。大方、あたしをここに居座らせない為の発破みたいなもんなんだろうけどさ』
 ばれていた。
 だがしかし、柘榴が付いてきてくれるというだけで、有栖は精神的に大分楽になる。何ともまぁ、矮小な目論見ではあったが、上手くいく事はいったのだ。
 ただ、と柘榴は言った。
『苛ついてるあたしを揶う様な事を言った責任は取ってもらうよ』
「……責任?」
 有栖は、その言葉を疑問というよりも、ただ反復しただけだった。一つ間が遅れて有栖は、言われた事を理解する。
「え、いや。いや、ちょっと待とうぜ柘榴ちゃん?」
『待たない』
 柘榴は有栖が動揺している間に、身軽に手頃な高い位置に移動する。そして、その縦長の瞳孔の眼を細めて言った。
『あたしの爪は痛いぞ?』


5/気狂い共のお茶会

拍手[0回]

6.手袋

6.手袋


 一日の授業が終わって、掃除当番だったぼくが掃除を終えて帰ろうとしていた時だった。
 佐渡さんは先に帰ってしまった様なので(一緒に帰ってくれる気配すら見せなかった)、一人寂しく帰路に着こうかと思っていると、教室を出たところで「あっ」と誰かが声を上げた。
「えっと、真麻安孝って貴方?」
「あ、はい。そうですけど」
 知らない女子だ。
 肩口で揃えた髪に、赤いカチューシャを付けた大きい眼の女子。何処かで会った事があるのかなと思ったけど、全く思い当たらなかった。
「あたしは二年生の風紀委員の空弦ひより。ちょっと貴方に用があるの、今大丈夫?」
 風紀委員? 何でまた……ぼくはこれでも自慢じゃないが毒にも薬にもならない人畜無害な普通の男子高校生を自負しているのに。
「貴方、佐渡真子と付き合ってるわよね?」
「申し訳御座いません」
 深々と頭を下げた。自分でも吃驚するくらいの社会人並の四十五度の謝罪。
 何はともあれ佐渡さんの名前が出た時点で謝っておいた方がいいと、ぼくの脳回路が弾けた。恐らくは佐渡さんが何かしたに違いない。その為の話をカレシ(笑)のぼくに訊きに来たんだろうけど、
「ぼくには佐渡さんについて話す事が出来ません。お役に立てなくて本当に済みません」
 ぼくが知っている事だろうが知らない事だろうが、勝手に話したらきっと佐渡さんがお怒りになるので、ぼくは何も言えないのデス。だけどよく考えてみると、ぼくは佐渡さんについて名前以外に知っているのは太腿の柔らかさぐらいだ。あー……思い出すと、気持ちよかったなぁ、あの膝枕。
「えっ。いや、急に何? 大丈夫、貴方?」
「あ、いや太腿が」
「えっ!?」
 彼女は慌てた様にスカートで太腿を隠す様にした。
「あぁ、いやいや違います!! 何でも無いです!! 見てたとかそういう意味の発言じゃないんです!!」
「…………」
 じっとりと睨まれた。
 そんな。ぼくは人畜無害な男子高校生なのに。
 しかし、最近佐渡さんの蔑みの目に曝され続けていたせいか、女子特有の陰湿な感じがする心に刺さる視線も不思議と辛くなかった。前のぼくだったら多分、やらかしてしまったらそのまま一日へこんで、イオ辺りに『。゜。゜(ノД`)゜。゜。』とか『(´;ω;`)』とかの慰めて構ってちゃんメール爆撃をしていただろう。十中八九『( ゚д゚)、ペッ』って返されるけど。あぁ、思い返すと全くいい友達だな奴は。死ね。
 それはそうと、強くなったんだな、ぼくは……。
 そう考えると、見知らぬ女子の軽蔑が薄く見て取れる視線すらも自分のレベルアップに感じられて気持ち良かった。
 空弦さんは「まぁいいわ」と気を取り直すと、一歩ぼくから離れてから話を続けた。
「今日貴方のところに来たのは、佐渡真子について訊きに来たんじゃないの。寧ろその逆、貴方に忠告しに来たのよ」
「……忠告、ですか?」
「そう。あと、何で敬語なの? 同じ二年生なんだからタメ口でいいのに」
「あ、うん。そうだね、何かその場のノリで……」
「あはっ。何それ、変なの。あ、それより忠告よ忠告」
 彼女は軽く笑うと、脱線し掛けた話を元に戻し、こほんと一度間を取る様に咳払いをした。
 そして言う。
「佐渡真子とは別れなさい」
 は?
「これは最初で最後の忠告」
 え?
「碌な事にならないって、断言出来るから」
 言いたかった事はそれだけ、と空弦さんはくるりと背を向けて、呆然とするぼくを置いて去っていった。

「――って言う事が昨日あったんだよね」
 昼休みに「お弁当食べましょう」とまた佐渡さんに誘われたぼくは、前と同じ様に嬉々として屋上に一緒に来ていた。昨日の出来事を話す機会だと思い、空弦さんに言われた事を話すと彼女は足を組みながら「ふぅん」と特に興味無さそうに応えた。因みにぼくは隣に座る事を許されず、目の前で地べたに座る形になっていた。この程度の扱いはもう余裕。慣れだよ慣れ。
「で、佐渡さん何か知らない?」
「知らないわ」
「空弦ひより、って名前も?」
「知らないわ」
「でも風紀委員が口出しする事じゃないよね?」
「知らないわ」
「先生とかも関係してるのかな?」
「知らないわ」
「ぼくの妹の名前は?」
「唯維」
「教えてないよ?!」
「知ってるわ」
「怖い! 怖いよ佐渡さん!」
「そんな事より」
 そんな事って。情報化社会でぼくの個人情報が守られてない事がそんな事って。
「真麻くん、私、今の話で貴方に一つ言いたい事があるの」
 佐渡さんは足を組み直して、前屈みに顎を乗せた手の甲を膝で支える。表情は変わっていないけど、明らかに雰囲気が変わっていて機嫌が悪くなっているのを表に出したのが判った。
 あ。
 やばいこれ。
 不条理が来る。
「え、ええっと何でしょうか佐渡さん……」
 何が悪かったんだろうか。空弦さんの話をする時は最大の注意を払って、佐渡さんの機嫌を損ねる部分はカットしつつ話の内容が伝わる様にしたのに。
「貴方、私の下僕の分際で何を勝手に頭を下げているの?」
 そこですか。
 佐渡さんについて問答無用で謝った事は喋らずに、普通に質問に答えられなくて軽く頭下げただけって説明したのに、そこですか。
「いや! だって、違うんですよ、人間的に普通の対おっふ?!」
 今日は顎を蹴り上げられました。
 幸いな事に舌は噛まずに済んで、ぼくは仰向けに倒れた。ぐわんぐわんと揺れる頭で頑張って顎の位置と歯に異常が無い事を確かめてどうにかこうにか起き上がる。
「口答えは認めてないわよこの愚図」
「も、申し訳御座いません……」
「判ってないわ。何も判ってないわ。貴方は自分の立場をこればかりも把握していない」
 佐渡さんは立ち上がり、ぼくの前まで歩いてくる。
「私を恋人として付き合いながら他の女子と話をするところまではいいわ、認める。けれども、主従がはっきりしている相手が居ながら、それ以外の人間に頭を下げる? 言語道断よ、この屑」
 あー、スイッチ入ってるー。超楽しそう。普段は絶対見せない可愛い笑顔になってる事気付いてるのかなぁ、佐渡さん。
 でもこの笑顔を知っているのはぼくだけで、独り占め出来ているっていうのは、それはそう悪くない気分なんだよだなぁ。暴力には反対したいところだけど、本気でやってきている訳じゃないし、嫌われているからって訳じゃないから、それを考慮すればまぁ耐えられるかな。
「えっと、許可を取ればいいんでしょうか……」
「許可? そんな訳無いでしょう」
 佐渡さんは更に歩いてきて、ぼくの足の間に爪先を割り込ませてきた。ぼくの身体を跨がずに近付けるところまで近付いて彼女は続ける。
「懇願から始めるべきよ。哀れな塵なんだから、そのくらいしないと駄目よ」
「……以後気を付けます」
 今後、こうやってぼくの知らない新ルールが随時追加されていくのだろうか。男女交際ってこういうのだったっけー……最悪、お互いに付き合う上での取り決めをするとしても、ぼくと佐渡さんの場合(一方的に)主従関係だしなぁ。
 あぁ、出来る事ならいちゃつきたい。
「で?」
「え?」
「それで、どうこの落とし前を付けるのかしら?」
 そう言いながら佐渡さんは膝を落とし、目線をぼくと同じ高さにして続ける。
「勿論、それなりの誠意のある謝罪を見せてくれるわよね……?」
 じっとぼくの眼を見つめながら、彼女は掌で軽くぼくの腹を押してきた。その手でなぞる様にあばらまで指先を遊ばせて、ぼくの肋骨の隙間を見つけると、そこに軽く押し込む様に力を込める。
「……っ」
 くすぐったい様な痛い様な感覚に僅かにぼくが身じろぐと、佐渡さんはうっとりと愉しむ様な顔で、一段ずつ階段を登る様に指を肋骨に這わせた。最初は片手でしていた戯れを彼女は途中から両手で始め、ぼくの身体で、反応で、表情で愉しむ。やがてその手が肩に辿り付くと、佐渡さんは撓垂れ掛かる様に力を入れて体重を預けてきた。されるがままにしていたぼくは、自然とそのまま押し倒される。
「ねぇ……貴方はどうやって謝ってくれるのかしら?」
 精神的な屈服から来るものなのか、ぼくの口はからからに渇いていて、何かを答えようと舌を動かしたものの、上手く喋れずにただ生唾を飲み込んでしまうだけだった。
 ぼくは。
 ぼくは、ただ、君と居られるなら、それで――
「不純異性交遊!!」
 突然、屋上にぼく等以外の誰かの大声が響き渡った。
「そこ! そこの女子生徒、佐渡真子!! 今直ぐに真麻から離れなさい!!」
 声を張り上げてつかつかとぼく達の許に歩いてきたのは、赤いカチューシャを付けた大きい眼の女子――空弦ひより、さんだった。
「真昼間から学校の屋上でいちゃこらいちゃこらするな!! 不純異性交遊!! 禁止!!」
「は……?」
「あぁ、全く真麻。昨日言ったばかりなのに、何でそう躊躇いも無く佐渡に合ってるの? 貴方馬鹿なの?」
 空弦さんはそう言い放つと、腰に手を当てて仁王立ちする。
「校内で不純異性交遊を発見した場合、風紀委員である私はそれを先生に報告する義務がある。佐渡、貴方がひた隠しにしてきた傍若無人な振る舞いも、本性もこれで全部白日の下に曝される事になるのよ!!」
 自身満々に佐渡さんを指差して言う空弦さん。何か、佐渡さんと知り合いみたいな口振りだけど……。気になって、ちらっと佐渡さんに目を遣ると、彼女はいつの間に立ち上がっていて、
「……誰、貴方?」
 素で困ってた。
 困る佐渡さん可愛い。
「なっ……あたしを忘れたというの?! あたしの十代前半の人生を滅茶苦茶にしておきながら貴方はあたしを忘れたというの!?」
 そして何かキレる空弦さん。ぼく関係無い。
「ごめんなさい、本当に誰か判らないわ」
「ほ、本気で言ってるの……? 本気で言ってるの……!!」
「本気で判らないわ、ごめんなさい」
「小学校、中学校とあれだけあたしの事を陰湿に虐め続けてたのに、忘れた……? ――信じられない、何処まで最低なの貴方」
「あぁ……ごめんなさいね。私、今まで虐めてきた人の顔とかいちいち覚えてないの。飽きたら次の人に集中しちゃって……取っ換え引っ換えで虐めてたから、もしかしたら貴方の事も何回かのスパンで虐めてたかも知れないわね」
 凄く申し訳無さそうに言ってるけど、佐渡さんマジで言ってる事最低だよ……。
「忘れるなんて許さないわよ……あたしの事を思い出しなさい! 空弦ひより!! 小学校時代に『ひよちゃん』なんて綽名で呼んで先生の前では仲良しぶってたけど、帰り道ではいつもの様に靴を隠して泣いて帰るあたしを『また靴を失くしたの? 馬鹿じゃないの』って追い討ちを掛けて、中学時代はクラスの中で巧妙に根回しをしてあたしを常に孤立させて笑いものにしたのよ貴方は!!」
 一気に捲くし立てると空弦さんは肩で息をして、ちょっと半泣きになっていた。昔を思い出してしまったらしい。
 一方、佐渡さんは言われた事を考えて思い返しているのか、暫くすると「あぁ」と手を叩いた。
「手袋のひよりね」
「思い出したのねっ!!」
 空弦さん嬉しそうだけど何か違う気がする。
「それより手袋って……?」
「真麻くん、手袋を逆から言ってみて」
「え? えっと……『ろくぶて』?」
 間髪入れずに胸倉を掴まれて六発殴られた。
「こういう事よ。幼稚園とか小学校の時に、よくやらなかったかしら?」
「……うん、やった様な記憶あるけどさ……口で言えば判るよ……佐渡さん」
 口の中が切れただけで済んだのが幸運なくらい本気で殴られた気がする……。
「だから言ったのよ真麻! そいつとは別れた方がいいって!!」
「無駄よひより。真麻くんは本気で私の事を愛してくれていて、私もまた本気で彼の事を愛しているの」
「あ、愛っ……!?」
「愛しているわ」
「そんな事真顔で二回も言うな恥ずかしい!!」
「ぼくも割と恥ずかしいです佐渡さん……」
「それよりも、随分と変わったわね、ひより。昔の貴方の方が可愛かったわ。虐めがいがある雰囲気があって」
「ふ――ふふふ!! そーよ、あたしは変わったのよ! 貴方に虐められ続けて自分を変えようと夏休みを使ってお遍路もしたし、滝に打たれる事もして、禅寺で修行もしたのよ!! あたしは強くなった! そして変わったの!! 虐められる自分から秩序を守り正す事が出来る人間として!! その甲斐もあって高校に入ってからは風紀委員にもなれたわ!!」
 ……何か台詞にエクスクラメーションマーク多い人だなぁ。
 佐渡さんは特に感想を漏らす訳も無く、ただ「ふぅん」とどうでもよさそうに答えると空弦さんに一歩近付いた。
「それで?」
「だからっ、先刻も言ったでしょう! 貴方の本性を暴く為に」
「それで?」
「え、いや……だから、その。風紀委員としてあたしは」
「それで?」
「いや、えっとですね……佐渡に仕返しをする為に」
「佐渡? 呼び捨て?」
「ひぅっ! さ、佐渡さんに仕返しする為にですね……」
「真麻くん、何でこの娘が虐められやすかったのか判るかしら?」
「えっ、突然過ぎじゃないその質問?」
「判る?」
「いや、判らないけど」
「簡単よ。『名は体を表す』とはよく言ったもので、この娘はね、物凄く『日和易い』のよ――ねぇ、ひより?」
 優しく囁く様に佐渡さんに呼び掛けられると、空弦さんはびくりと身体を動かして、恐怖の対象から目を逸らしていたが、歯を食い縛って覚悟を決めた様に向き直った。
「そ、そんな事は! あたしは修行して強くなったんだ!!」
「嘘ね」
「嘘です、はい……」
 日和った。
「い、いや! でも、修行して変わったのは事実よ!!」
「そうかしら?」
「あ、いえ、そうでもないですね……」
 日和った。
 空弦さんは何度か佐渡さんに日和らされると(変な日本語だな)、耐え切れなくなったのか途中で「くぅっ」と泣きそうな声を上げて走り去った。そして屋上の扉の前に立つと、遠くから威勢よく言う。
「佐渡!! 今日のところは見逃してあげるわ!! だけどね、貴方がもしも他に誰かを虐めようとしているのを見つけたら、この風紀委員の空弦ひより!! 絶対に見過ごさないから!!」
「行くなら早く行きなさい」
「あ、はい……じゃなくて!! あたしは貴方を絶対に許さない!!」
 言うだけ言うと、空弦さんは屋上から去っていった。
 ……で、何だったんだ。本当に何しに来たんだろうあの人は。

7.扉

拍手[0回]

9.フラスコ

9.フラスコ


 どうも、久し振りに出番を貰って張り切ってる五百旗頭鬨日出です。
 早速ですが、袖に引っ込みたくなりました。
 何故かと訊かれりゃ答えるけれども、その原因は、
「五百旗頭君、そこのゴミ捨てておいて」
「……うぃっす」
 佐渡嬢と二人切りだからだ。
 オレは機械的に塵取りでゴミを集めて、ゴミ箱に運ぶ。先刻からずっと繰り返しこの動作をしているオレはというと、佐渡嬢と掃除当番でバッティングした訳だった。
 他の男子諸君からは佐渡嬢と二人切りで掃除当番だなんて羨ましいだの、代わってくれてもいいんだぜだの、好き勝手抜かすが(未だに真麻との関係は知られてないらしい)、ところがどっこいオレは佐渡嬢の正体を知ったのでもうガクブルもんです。
 クラスの中じゃ『黒髪』・『寡黙』・『クール』なんて感じのキーワードで高ランク評価をキープしている佐渡嬢だが、しかし如何せん怖いんだよ。
 いやもうマジで怖い。
 普段から無表情なのがまた文学系少女(文学少女ではないらしい)で、トルストイとかドストエフスキーとかツルゲーネフとか読んでそうなイメージとしてまた受けているらしい。何で全部ロシアの作家なのかは知らん。
 だけどさ皆、あの人面と向かって「死ね」って言うんだよ? 「死ね」って? しかもそれで傷付くと悦ぶの。喜ぶんじゃなくて悦ぶの。頭怪訝しいよあの人絶対。上手ーく猫被ってるのか何なのかは知らないけど、少なくとも他人の前で同じ様な事してなかったし、オレだけあんな態度取られるの。
 真麻は真麻で「慣れればエロいよ?」とか訳判んねぇ事言ってて、特殊な性癖みたいな頼りにならん事言い始めてるし、末期だ末期だ。あいつはもう手遅れだ。
 んで、本日掃除当番代わりたいという方々に、じゃあ是非とも代わってもらおうと思ったらさ。
「…………」
 って、無言で三メートル横から睨んでるのあの人。無言の圧力って普通さ、対面で会話してる人にするものだよね、横からやられるなんてオレの人生で初体験だよ。それにオレは屈して放課後残った。
 当然ながら『これは明らかに何かされるであろう』という覚悟を持って、オレはずっとビクビクし通しのチキンハート。近寄られるだけでビビる。
 だが、
「あとは机を戻すだけね」
 予想に反して、
「そこ少しずれてるわ五百旗頭君」
 何かする訳でなく、
「これで全部終わりね、帰りましょうか」
 佐渡嬢はさらりと掃除を終えた。
 ……あれ、マジでノーイベント?
「じゃあ、私は先に帰るわね」
「いやいやいやちょっと待って佐渡さん!!」
「何かしら」
 何でしょう。
 思わずノリで引き止めてしまったけど何も無い。佐渡嬢はオレが何か言うのを待ってじっとこちらを見ている。あれ不味くね、自分で死地を作っちゃったよ。
「早くしてくれないかしら」
 少し苛立っていらっしゃる様にも見えるし、何か適当に話題を繋いで急場を凌ぐしか無いか……
「あの、さ。佐渡さんは何で真麻と付き合おうって考えたん?」
 うん、まぁ、割と気になってた事だし嘘じゃないからいいとしよう。
 オレの問いに佐渡嬢は、ほんの少し首を傾げると教室の中に戻り、適当な椅子に座った。
「ホムンクルスって、知ってるかしら五百旗頭君」
「え、『からくりサーカス』でなら」
「まぁ、それでもいいわ。出来るなら『ハガレン』の方がよかったけど」
 意外と漫画読んでるんですね佐渡嬢。
「で、それが何か?」
 全然話題と関係無い様な気が。
「フラスコの中の小人」
「はあ?」
「ホムンクルスの事よ。狭い狭いフラスコの中でしか生きられない哀れな生き物」
「あぁ、まぁそんな説明してたな漫画でも」
「私にとっては世界はそのフラスコと一緒なの」
「狭いって事か」
「あら、意外と物分りがいいのね五百旗頭君。真麻君はもっと要領が悪いのに」
 まぁ、そこが可愛いんだけどね――佐渡嬢は無表情のまま惚気た。意外と、は余計なお世話だっての。だが言えない俺はチキンハートです。そして「だから」と続ける。
「私はフラスコの中で見つけた貴重なものを逃す気は無いの。世界は広いなんて言うけれど、実際は限定的よ」
 自嘲しているのか、それとも冷笑しているのか馬鹿にしているのか特に意味は無いのか、佐渡嬢は薄く微笑う。
「その貴重なものが真麻? 別に何処にでも居る様な奴だとは思うけどなぁ、大袈裟じゃね?」
 言ってから、うっかりと普段のノリで適当に適当な事を言ってしまった事に気付いて、オレは慌てて「あ、個人的な見解です」と付け加えた。
 だが佐渡嬢は特に気を害する訳でもなく、椅子から立ち上がった。思わずそれに反応してオレは少し距離を取る。
「それよ、五百旗頭君。貴方のその態度。殆どの男子は私がつい虐めをすると、その後怯える。だけど真麻君は違うの」
 佐渡嬢はそのまま教室の扉に向かい手を掛けた。
「私の世界で見つけた初めての貴重品。それこそ、私を受け容れられる唯一のね。愛が重いと言われても構わないわ、私は自分の小さな世界、せめて気儘に生きたいと思っているから」
「佐渡さん、真麻は別に普通の奴だけど……何か勘違いしてねぇ?」
「それでも別にいいわ。傷付くのは私の勝手だし、傷付けるのも私は楽しいから」
 その一言を最後に、また明日、と佐渡嬢は何も無かった様に帰っていった。
 何だか随分、真面目でどうでもいい事を聞いて、オレは損した気分になった。

10.迷子

拍手[0回]

Märchen Funeral

Märchen Funeral


――それは、とっても不思議な体験でした。


 大晦日を過ぎて暫くした一月の事です。あたし、堂崎(どうざき)美和子(みわこ)は動物園に出掛けていました。
 子供の頃から動物が好きで、小学生の時には『動物博士になる』とか言っていて事もあります。中学生になった今は将来の事を真面目に考えて、シートンさんの様な博物学者になりたいと思う様になりました。
 ですが、あたしの家ではお母さんが動物嫌いで家ではペット禁止です。お父さんにも頼んでみましたが、やっぱりお母さんに敵わなかったらしくて駄目でした。よく考えてみたら、お父さんとお母さんに動物園に連れて行ってもらった時も、お母さんだけ遠くからあたし達を見ていた様な気がします。
 少し気になって調べてみたら、高所恐怖症みたいに動物恐怖症というものがあるみたいでした。きっとお母さんは昔に動物に嫌な思い出があるんだと思います。考えてみると、お買い物に行って道で野良の猫に会った時、お母さんはあたしの手を取って物凄い勢いで走り出したので多分原因は猫。
 可愛いのに。
 そういう訳で、中学生になって行ける場所が増えたあたしは定期的に一人で動物園に行く様になりました。
 お年玉を貰えて、お小遣いに余裕がある今回は少し遠出して、前から行きたいと思っていた大きな動物園に朝から行く準備をしていました。一人で知らない場所に行く不安と、色々な動物に会えるからと、前の日の夜は中々眠れませんでした。
 それが駄目だったんです。
「君、終点だよ」
「ふぇっ?」
 見事に寝過ごしました。
「え、えと、その」
 慌てて周りを見ると、電車の中にはあたしの他にはもう誰も居なくて、駅の名前も知らないものになってました。
「この電車回送になっちゃうからね、一旦降りてもらっていいかな」
「あ、あぁ、そ、その済みませんっ」
 困惑した表情であたしを見る駅員さんに、急に恥ずかしさが込み上げて来て、あたしは顔を真っ赤にしながら電車を降りました。
 兎に角恥ずかしさで駅員さんから離れたくて、事情が判る人の目があるのも恥ずかしくて、その目が届かないところまでホームを早歩きで移動しました。泣きそうで、少しパニックです。
 ホームを大分動くと、ベンチがあったのであたしは思わず座り込みました。零れそうになっていた涙を拭うと落ち着いて、今自分が何処に居るのか、駅を確認するぐらいの余裕が出来ました。
「えっと……」
 行こうと思っていた駅はあたしの駅と終点の駅の中間。一時間で着く予定だったから、単純に考えて一時間も電車で寝ていた事になります。
「もうお昼だ……」
 今から戻っても一時間掛かるし、そこから更にバスにも乗るから着く頃には午後二時前になっちゃう……それだと、一日で動物園を全部見て回れないし、そもそも普通に見て回るにも楽しめない……。
 ところで、あたしの動物園の回り方は他の人とは違うそうです。一つの場所を見るのに、何十分も掛けないとか――あたしにはそっちの方がよっぽど不思議です。
 なのであたしは、今から動物園に向かって中途半端になるのも嫌でしたし、かと言って家に帰るのも何だか悔しいので嫌でした。
 そこで出した結論は一つでした。
「うん、野良猫探ししよう」
 猫大好きなんです。
 折角なのであたしは、地元以外の野良猫に逢って、この失敗を取り戻す事にしました。地元の猫達とはもう皆友達なので、この機会に新しい輪を広げるのもいい事だと思います。
 見知らぬ土地で交流を深めるのって、何だかちょっとインターナショナルな気分です。
 そうと決まれば話は早く、あたしは早速改札を出ました。

 野良猫が居る場所は、何処でも似た様なものです。
 人通りが少なくて、それでいて人が居る様な場所――つまり、駐車場や公園、高架下、場合によっては民家やマンションの隙間です。ゴミ捨て場とかは餌場になる事が多いですし、公園で餌をあげている人も居ます。ただ、無責任に餌を与えるだけで、その地域の猫の事を考えていない人が大半なのが問題だそうです。
 そう言った事を解決する為に、地域で出来る限りを野良猫を管理しようという活動もあって、そうやって管理されている猫は『地域猫』と呼ぶそうです。
 餌場が無い場合でも、猫は基本的には肉食で繁華街の裏に出るネズミや例の黒い虫も食べるので、やっぱり最終的には人気の裏に住んでいる事が多いです。
 ちょうど駅は高架線にあったので、改札を出てすぐにあたしは高架沿いに歩き始めました。
 少し歩くと駐輪場がありました。今の時間帯だと、駐輪場の様な場所は殆ど人は来ない筈です。野良猫達が居る条件としてはぴったりだったので、あたしはそこで猫を探し始めました。沢山の自転車がある中で、ちらほらと猫が陰に隠れてこちらを見ているのが判ります。
 猫は基本的に自由気儘という印象が持たれていますが、それは同じ様に人に飼われる事が多い犬と比べているからだそうです。犬は社会性を持っていて飼い主に従う習性があるのに、猫は自分のテリトリーの中を歩き回るというところが、そういうイメージの原因なんだと思います。
 それと、犬と違って猫の習性は余り知られてない事があるから、気分屋と思われがちですが、それは正しくはありません。
 例えば、猫は目を合わせると警戒するので、犬の様に顔を見ながらじゃれるのは良くないです。だから、逆に視線を逸らしたり目を瞑ってあげる方が安心します。
 と言う事で、
「にゃー」
 実践です。
 近くに居た三毛猫に目線を合わせる様にしゃがんで、目を閉じたりして少し遠くから声掛け。人にそれなりに慣れている子だったら、これで警戒心を解ける筈です。
「…………」
 中々近付いてくれません。
 ですがあたしは諦めません。何故ならこういう時の為に動物用のビスケットは常備しています。鞄から取り出して、小さく砕いて投げてあげればきっとこっちに興味を持ってくれます!
「ほら、ビスケットだよー」
 ぽいっと投げてあげると、少し興味を持ってくれたらしく、こっちを窺ってきます。ですが、三毛猫はまだ警戒しているらしく、こっちに近付いてくれません。
「むぅ……」
 安心させる為に、ちょっと視線を外してみよう……。
 わざと遠くを見る様にしてあげると、ゆっくりと近付いて来てくれました。少し歩いてまたこっちを見てきますが、気にしない様にして目線は戻しません。それを繰り返している内に、ビスケットを齧り始めてくれました。
 少ない量で、あっという間に食べてしまったので、またビスケットを投げてあげると、それも食べてくれました。
 ……そろそろ平気かな。
 ある程度警戒しなくなってきたと思うので、もう我慢の限界も来ていたので、撫でてあげようと手を伸ばしてみました。
 ですが、そんな事は無かったらしく、
「あ」
 一目散に離れてしまいました。
「うー……」
 流石にそんなに甘くなかったみたいです。一定の距離を取ってこっちを見つめて、そのまま動きません。
 失敗しちゃった……。
 どうやらもう、仲良くなる事は出来そうにないので、残念ですが場所を変える事にします。
「きゃっ」
 立ち上がって駐輪場を出ようとして、あたしは思わず声をあげてしまいました。いつの間にか、近くの自転車のサドルに黒猫が居たからです。
「…………」
 あたしが驚いて声を出したのに、その黒猫は特に驚きもせずにそこでじっとあたしを見て来ます。普通だったらあっという間に逃げちゃうのに……。
 黒猫はどうやら飼い猫らしく、首輪を付けていました。赤くて綺麗な、宝石でしょうか、高そうな石が付いています。真っ黒で艶のある綺麗な毛並みに、金色の眼をしています――確か、金眼の黒猫は珍しくて、ボンベイ種が大半だった気がします。
 人に慣れている子なのかなぁ……。
『お前、堂崎美和子だろ?』
 じっと黒猫と睨めっこしていると、突然声を掛けられました。辺りを見回しますが、誰も居ません。
「えっ、だ、誰?」
『あたしだあたし。お前の目の前に居る猫だ』
 言われて、黒猫にばっと向き直ると、何処か面倒臭そうに、その子はにゃーと鳴きました。
「えっ……」
 猫?
 猫があたしに?
 猫があたしに話し掛けてる?
 それはつまり――
「も、もしかしてあたしもドリトル先生みたいに動物の声が、き、聞ける様に?!」
『違う』
 ばっさりです。何か手厳しいです。
「うぅ……じゃあ何であたしに黒猫さんの声が聞けるんですか」
『あたしはそういうものなんだよ』
「あぁ、そういうものなんですね」
 だったら仕方ありません。
『それで納得するのか……』
「? 違うんですか?」
『いや、いい。それでいいよ』
 黒猫さんは何故かジト目でこちらを見てきました。猫の奥深い味のある表情です。可愛い。猫じゃらしで喜んでくれるかな。鞄から取り出して試してみよう。
『で、だ。あたしはちょっとお前の案内役を頼まれて……るんだ』
 あ、反応した。
『だからもしも良かったら――あたしに付いて来て……くれ』
 やっぱり喋れても猫です。ちょいちょいと猫じゃらしの方に目が行っています。
『ここから少し歩く事になるけど――』
 ちょいちょい。あ、前脚動いた。
『どうせ暇……。暇だったんだろ?』
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
 ちょいちょいちょいちょいちょい。
『いい加減にしろ!』
「えぅ?! ご、ごめんなさい!」
『仕舞え! それを仕舞え! 今すぐ!! あたしの話をちゃんと訊いてたのか?!』
「は、はい! えと、黒猫さんは誰かに頼まれてあたしを何処かに案内する様に、い、言われてたんですよね?」
『そう。それで? 返事は? 付いてくるのか! 来ないのか!』
「い、行きます! ごめんなさい! ちゃんと付いて行きますから、お、怒らないで下さい!」
 うぅ……この黒猫さん怖いです……。
『よし、判ればいい。それと、あたしの名前は黒猫じゃなくて柘榴(ざくろ)だ』
 黒猫さんは自転車から降りると、こちらを向いて言いました。
『宜しくな』
「あ、はい。宜しくお願いします、柘榴さん」
 どうしよう。
 勢いで答えちゃった。
 知らない人に付いていっちゃ行けないって言うけど……この場合はどうなるんだろう?

 柘榴さんに案内されて、あたしは駅から外れた裏道を歩いていました。殆ど人の居ない場所で、たまに地元の人と思しき人とすれ違うぐらいです。
 柘榴さんは垣根を歩いていて、話し掛けると応えて雑談くらいはしてくれますが、誰か他の人が居る時は黙ってしまいます。どうやら、柘榴さんの声はあたしにだけ聞こえるのではなくて、誰にでも聞こえてしまうみたいでした。
『ここだよ』
 駅から十五分程歩いた場所で柘榴さんは言いました。そこは小さな洋館で、周りの家と比べると、とても古い印象で何だか作り物みたいです。字は読めませんが『伽藍の堂』という何かのお店でしょうか、看板がありました。
『あたしは先に中に行ってるから、ノックすれば中に入れてもらえるよ』
 柘榴さんはそう言うと、敷地の中に姿を消してしまいました。
 辺りを見ても、ここの家主さんの名前が判る様なものは置いてなかったので、あたしは取り敢えずノックしてみる事にしました。
「あ、あのっ。柘榴さんに案内されてきたんですけどー……」
〝あぁ、美和子君だね。鍵は開いてるよ、中にどうぞ〟
 若い女の人の声です。
 何だかちょっと安心して、あたしは中に入りました。
「お邪魔しまーす……」
 そろそろと入った洋館の中は、外とは大分違う印象です。沢山の置物があって、よく判らないものが一杯飾られています。何処かの部族みたいなお面があると思ったら、洋風のお人形さんも置いてあります。あとは中国みたいな模様が入った、使い方の判らない三脚の釜みたいなものとかがあります。
「やぁ、いらっしゃい」
 きょろきょろとしているあたしを玄関で迎えてくれたのは、目隠しをして黒いワンピースを着た女の人でした。
「初めまして、私は藤堂(とうどう)鼎(かなえ)。ここ伽藍(がらん)の堂の主だよ」
「あ、ど、どうも初めましてっ。堂崎美和子です」
「うん、よく来てくれたね。私は外に出れないから柘榴君に道案内を頼んだんだけど、驚かせてしまったみたいだね」
 眼が不自由なのでしょうか、それで出歩けないのかと思いましたが、鼎さんは特に苦も無くあたしの前まで歩いてきました。
「私の眼はちゃんと見えるよ。普通の人よりもよく視えるぐらいだ」
「え?」
「ふふふっ、まぁ不思議だろうね。兎に角奥にどうぞ、色々と説明するから。お茶でも飲もう」

 奥に通されて、鼎さんは「そこに座って待っててくれるかな」とアンティークみたいなテーブルを指すと、言った通り普通にお茶の準備を始めました。柘榴さんも何処からかやってきて、テーブルの上に乗ります。そのまま柘榴さんは丸まって眠り始めてしまいました。かちゃかちゃと鼎さんが食器を動かす音だけがやけに響きます。
 …………。
 な、何か静か過ぎて沈黙が……。
「あ、あのっ」
「あぁ、いやいいよ。美和子君はお客さんだから、そこでゆっくりしていて」
「え、あ、はい」
 あれ、あたしまだ何も言ってないんだけど……? え? えぇ?
『カナエ。ミワコが付いて来れなくてパンクしそうな顔してるぞ。ちゃんと説明したのか』
 柘榴さんが目を瞑ったまま言いました。
「いや、まだだよ。お茶でも飲みながら話そうと思って」
 柘榴さんに応えながら、鼎さんはトレイを持ってきました。トレイにはポットとカップの他に、何かの花の蕾の様なものと空のガラスの容器が載っています。
「待たせたね」
「あ、い、いえ大丈夫ですっ」
 鼎さんはあたしの顔を見て微笑むと、椅子に座りました。
「さて、美和子君。何で君を呼んだかと言うとね――実は、私は魔女なんだ」
「え?」
『は?』
「え?」
『いや何でもない……』
 柘榴さんは怪訝しそうな声を出して身体を起こしましたが、そのまま、また眠り始めました。
「柘榴君が喋れるのも、私が目隠しをしたまま自由に動けるのもそれが理由なんだよ」
「あ、あぁっ! 成る程、だから外にも出られないんですね」
「そうなんだ。今の時代に魔女が平然と出歩く訳にはいかないからね」
 あっはっはっは、と鼎さんは笑いながらポットのお湯をガラス容器に注ぎます。
「そ、それで……何で、魔女さんが、あたしを……?」
 うん、それはね――と鼎さんは注いだお湯をまたポットに戻しました。ガラスの容器から湯気が立ち上り、鼎さんは湯気越しにあたしを見てきます。
「動物と、話せる様になりたくないかな?」
 一瞬、言われた事を理解するのに時間が掛かりました。
「えっと、それは……あたしにも魔法が使えるって事ですか?」
「そうだよ。簡単に言うと、私の弟子になってくれないかな、ってね」
 言いながら、鼎さんはまたガラスの容器にお湯を注ぎました。今度は注いだお湯は戻さず、そのままです。
「君には才能があるからね、是非私の跡を継いでほしいんだ」
「えっえっえっ、でも。そ、そんな突然言われても」
 ちょっと混乱してきました。魔法というものの存在には驚きましたが、実際に猫の柘榴さんと会話したのは事実ですし、鼎さんが目隠しをしながらでも動き回れているのは確かです。だからその辺りはもう信じていますが、あたしに魔法が使えるというのは、いきなり過ぎて信じられません。
 も、もしかして鼎さんはあたしを騙して何かの生贄にしようとしてるんじゃ……
 余りの不安に、そんな童話みたいな事を考えてしまいます。
「いやいや、そんな事は無いよ」
「えっ?!」
 こ、心まで読まれてる!?
「落ち着いて。そうだね、君が魔法を使える事を証明してあげるよ」
 と、鼎さんはトレイに乗せられた花の蕾をあたしに渡してきました。
「その蕾を掌で包んで咲く様に祈ってごらん。そしたら、それをこのお湯の中に入れるんだ」
「は、はい」
 言われるままに、あたしは蕾を手で包んで祈りました。枯れてしまっているのか、とてもかさかさしていて、力を込め過ぎると崩れてしまいそうです。
「うん、もういいね。それで十分君の魔力は込められた」
「こ、この中に入れればいいんですか?」
 鼎さんは微笑いながら頷きました。
 あたしは恐る恐る蕾をお湯の中に落としました。ちゃぷりと、蕾はお湯の中に沈んで、ガラスの底に触れます。すると、不思議な事が置きました。蕾が見る見る内に花開いて、お湯が綺麗な黄金色に変わります。
「わぁ……!」
 あっという間に、先刻まで蕾だった花は大きな白い菊になりました。
「ほら、言った通りだろう。君には才能がある。今みたいな簡単な魔法だったらすぐに使えるぐらいだ」
「す、凄いです! 蕾が咲きました!」
 それだけじゃないよ、と鼎さんは黄金色に変わった液体を、カップに注ぎます。
「飲んでごらん」
「は、はい。頂きます」
 こくり、と一口飲んでみると、香ばしい様な甘い様な、今まで感じた事の無い味がしました。
「あ、美味しい……」
「それが君の魔力の味だよ。どうかな、信じてもらえたかな?」
「す、凄いです! 感動しました!」
 それは良かった、と鼎さんもカップに口を付けます。
「うん、美味しい。柘榴君も飲むかい?」
『あたしはいいよ。二人で飲めばいい』
 あ、そう? と鼎さんは肩を竦めてまた一口飲みました。
「そ、それで本当にあたしも動物と話せる様になるんですかっ?」
 あたしは興奮してしまって、声が少し震えて変な声で鼎さんに訊いてしまいました。
「勿論。ただ、その為には条件があってね。守れるかな?」
「はい! 守ります」
「それじゃ、先ず一つ目は魔法の事、ここの事は誰にも言わない事。二つ目は、ここを訪れるのは一ヶ月に一度だけ。三つ目は、私が許すまで勝手に魔法を使わない事。四つ目は、決して自分の力を疑わない事、だ。いいかな?」
「はい。判りました、絶対に約束は破りません」
 いい子だね、と鼎さんは頬杖を付きながら目隠し越しにあたしを見ました。
 本当に、本当にあたしも魔法を使える様になれるんだ……。
 何だかそれはとても嬉しくて、自分が特別な事が出来るんだという事は、物凄くどきどきします。嬉し過ぎて、顔が綻ぶというんでしょうか、多分今のあたしは恥ずかしいぐらいにやにやしているかも知れません。でも、そんな事が気にならないぐらいにあたしは心の底から喜んでいました。
「それじゃ、もう時間も遅いし。魔法の事をちゃんと教えるのは次からにしよう」
「えっ? もうそんなに経ちましたか?」
 慌てて鞄からケータイを取り出して時間を見ると、いつの間にか午後の四時になっていました。もう夕方です。
「悪いけど、私は送ってあげる事が出来ないからね。柘榴君に案内させようか?」
「あ、いえっ、大丈夫です」
「そうか、じゃあ、次はまた二月に会おう」
「はいっ! 楽しみにしてます」

 美和子が居なくなった後の伽藍の堂で、柘榴が言った。
『……何であんな変な嘘を吐いたんだ? あたしが喋れるのはあたし自身の能力だし、あの蕾だってただの洋菊茶じゃないか』
「彼女は多分来月死ぬ」
 静かに洋菊茶を飲みながら鼎は言う。
『何だって?』
「あの子はね、不幸な事に死ぬ可能性が高い。そしてその死は、彼女の周囲の人間には正しく伝わらないし、正しく立ち会う者も居ない」
『ちょっと待てよ。カナエの能力では未来を知る事は出来ない筈だろ?』
「たまにあるんだよ、運命を糸で表すのはそれなりに正しくて、様々なモノが交差するが為に結節が出来る事が。彼女は偶然、私の糸の近くを通って、私も彼女の糸に気付いた。だから手繰り寄せてみたんだよ」
 鼎の言葉に、柘榴は何処か落ち着かなさそうに、尻尾をゆっくりと左右に振りながら言う。
『それで……お前はミワコを助けようとは思わなかったのか?』
「『ラプラスの魔』を受胎している私には世界に干渉する資格が無いし、美和子君だけを特別に導いてあげる訳にも行かない。だからもしも彼女が助かるとすれば、それはそうであったというだけの話だよ」
 聞きながら、柘榴は溜息を吐く様に喉を鳴らすと、テーブルから降りた。
『まぁ、カナエがそう言うのならそうなんだろうけどさ。あたしには今一理解出来ないね、何でミワコにあんな話をしたか』
 柘榴が部屋を出て行った後、墨色の服を着た堂の主は、ガラス容器の湯に揺蕩う白い菊の花を見ながら呟く。
「夢を与えて送り出す、ただの気まぐれの弔いさ」

 あたしが地元の駅に帰ってくると、改札口に見知った顔がありました。
「あれ、誡(かい)お兄ちゃん?」
「お帰り、美和子」
 そこに居たのは、お隣さんで高校生になった今でもたまに遊んでくれる長谷のお兄ちゃんです。あたしが小さい頃から家族同士での付き合いがあるせいか、殆どもう本当のお兄ちゃんみたいになっています。
「あ、うん。ただいま。何してるの?」
「美和子がちょうど帰ってくる頃合いだと思って迎えに来たんだよ。時間も遅いしね、幾らもう中学生だからって、小母さんも不安って事だよ」
「うー、別にそんなのいいのに……」
 こうやって極端に子供扱いされるのは恥ずかしいのに……しかもよりによって、誡お兄ちゃんに……。
「それだけ美和子が大切って事だよ。ぼくだってそうだしね」
「でもそれってどうせ、あたしが子供って事でしょ!」
「それだけじゃないよ。小母さんにとっては大切な可愛い娘で、ぼくからすれば大切な可愛い妹って事だからね」
 ……結局、『妹』っていう扱いなんだ。
 何だか少しむかむかします。
「それで? 今日は遠くの動物園に行ったんだって? どうだった?」
「え? えっと……それは」
 本当は鼎さんのところに行ってたんだけど、あそこに行ってた事は秘密にしないといけないし……誡お兄ちゃんは変なところで鋭いから、下手な嘘も吐けません。
「もしかして――動物園に行くっていうのは嘘だった?」
「えぇ?! そ、そんな事無いよっ」
「美和子、嘘吐くの下手だなぁ。恋人でも出来たのかな、今日はカレシと逢ってた、とか」
「ち、違うもん! そんなのじゃないもん! もうっ、揶ってくる誡お兄ちゃんには教えない! 内緒!」
 明らかに慌てるあたしを見て面白がってる誡お兄ちゃんを鞄で叩きながらも、何だか話が有耶無耶になったので、あたしは内心ほっとしていました。
 もしも。
 もしも本当にあたしが魔法を使える様になるのなら、動物と話せる様になりたいと思うのは勿論ですが、それよりもっとしたい事があるからです。
 いつもあたしを助けてくれる、一番大切な人の為に魔法を使ってあげたいな、と――あたしはそう思っています。

Märchen Funeral......End

拍手[0回]